↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
73/91

73.一人目の告白

19日のうち、6日を、俺は狩りに使った。


薄情に聞こえるかもしれない。


だが、俺が1つ上がるたびに、塚での判断が1つ増える。


これは、準備の一部だった。


空が裂けてから、北の獣が南に降りてきていた。


蒼氷のグリフォン。


ニヴル最北にしか湧かない。この世界の誰も、存在を知らない獣だ。


翼幅が9メートル。羽が氷でできている。降下するとき、羽が擦れて音が鳴る。その音を聞いてから2秒で来る。


格でいうと520帯。


飽いは、13体。


13体目から、1体あたりの伸びが半分になる。だから、12で切り上げる。


6日で12体。1日2体だ。狩っている時間より、探している時間のほうが長い。


6日で、12体狩った。


ガウスとレインとシグルドを連れていった。3人には「見て覚えてくれ」としか言わなかった。


音が鳴ってから2秒で来る、というのは、塚でも使う。ヨトゥンの第二形態が同じ音を出すからだ。


7日目の朝、相馬が宿に来た。


来るなり、こう言った。


「クエストログ、見てください」


俺は、開いた。


 クエストログ


 進行中:帰??


指が、止まった。


——変わってる。


2年1か月、これは『???』だった。


一度も変わらなかった。称号の一文字目が読めるようになった日ですら、変わらなかった。


「わたしのも、同じです」


相馬が言った。


「一昨日からです」


「一昨日」


「空が裂けた日です。夕方に確かめました」


俺は、徹を呼んだ。


彼は、寝ぼけた顔で来て、ログを開いて、そして目が覚めた。


「帰」


彼は、その1文字を、口に出した。


「……帰る、の帰っすよね」


「たぶん」


「帰れるってことっすか」


「分からない」


俺は、机に紙を出して、3人ぶんを並べた。


『相馬——帰??(一昨日から)


 俺————帰??(一昨日から)


 徹————帰??(いま確認)』


3人とも、同じ日に、同じ1文字。


「何が起きた日ですか、一昨日は」


徹が聞いた。


「北の柱が、目を覚ました日です」


相馬が、すぐに言った。


「柱です」


「柱が動くと、これが進むんです。だから、4つ倒せば、全部読めます」


「全部読めたら、帰れます」


——早い。


俺は、そう思った。


彼女の言っていることは、筋が通っている。


だが、通りすぎている。


「相馬さん」


「はい」


「南の柱のときは、変わりましたか」


彼女の口が、止まった。


「……変わって、ないです」


「起きた日も、死んだ日も」


「変わってないです」


「じゃあ、今回だけです」


彼女は、しばらく黙った。


それから、こう言った。


「でも、これしかないんです」


——ああ。


これは、議論じゃない。


3年ぶんの、しがみつきだ。


彼女は、ノルンの記事の1行を信じて、竜の巣に手をつけた。


村が3つ焼けた。


その1行が間違いだったと、俺の口から聞いた。


それでも、彼女には、帰る理由が要る。


理由がないと、11人の子供に字を教えている3年が、ただの罰になってしまうからだ。


俺は、否定しなかった。


「調べます」


そう言った。


「塚で、確かめます」


彼女は、頷いた。


そして、少しだけ、いつもの半拍遅い笑い方をした。


「今度は、あとって言わなかったですね」


   ◇


その日の午後、詰所に、見慣れない男が来た。


30代の商人だった。


痩せている。丁寧な物腰。東の訛りがある。


「クアン・タオと申します」


彼は、深く礼をした。


「以前、市の書庫で、あなたを一度、拝見しております」


——あのときの。


9か月前、『飽いと戻りについて』を交換した日に、隅に立っていた男だ。


「何のご用ですか」


彼は、荷から、綴りを1冊出した。


俺の手順書だった。


いや、違う。


そっくりだが、俺のものではない。


紙が違う。綴じ方が違う。字が、東の書法だ。


そして——


表紙に、俺の名前がない。


「東方の6つの都市で、これを売っております」


彼は、当たり前のことを言う顔で、そう言った。


「1冊、銀貨40枚。既に2400冊ほど」


俺は、その綴りを開いた。


——前提が、ない。


『やめどき』も、ない。


『この本の使い方』も、ない。


『この手順で死んだ者』も、ない。


手順だけが、抜き出されている。


「これは」


俺は、声が低くなった。


「前提を全部抜いてますよね」


「抜きました」


彼は、即答した。


「売れないのです。あちらの読者は、注意書きの多い本を買いません」


「……人が死にます」


「死ぬでしょうな」


彼は、少し目を伏せた。


悪びれてはいなかった。だが、面白がってもいなかった。


「わたくしも、承知しております」


「じゃあ、なぜ」


「あなたが、無料で配ったからです」


俺の手が、止まった。


「金を取っていれば、権利がありました。写しを禁じることもできました」


彼は、丁寧に続けた。


「ですが、あなたは無料で配った。であれば、これは誰のものでもありません」


「誰のものでもないものは、誰が何をしても、罪になりません」


俺は、返す言葉を探した。


探して、見つからなかった。



俺は、半年前、灰狼の詰所で、自分でそう言った。


『金では売りません』


『無料で、全員に教えてください』



ヴィオは、あのとき、こう言った。



『あんた、それで何を取るつもりだ』



俺は、何も取らなかった。



取らなかったから、守れない。



「1つ、伺ってもよろしいですか」



クアン・タオが、言った。



「なぜ、無料で配られたのですか」



俺は、答えた。



「金を取ると、買える人にしか渡らないからです」



彼は、頷いた。



「よい考えです」


そして、綴りを荷に戻しながら、こう付け足した。



「そして、無料だと、注意書きが抜かれます」



俺は、その日、彼を止められなかった。



止める権利が、1つもなかった。



   ◇


その夜、俺は、その東の綴りを、最後まで読んだ。



読んで、1つだけ、笑ってしまったところがある。



火の《紅蓮嵐》の項に、誤字があった。



「108回」が「180回」になっていた。



写しの写しの、そのまた写しなのだろう。



180回。



誰も、届かない。


108回で喉が焼ける手順を、180回やろうとする人間が、東方の6つの都市に、いま何人いる。



俺は、その頁に、赤で正しい数字を書き込んだ。



そして、翌朝、それをクアン・タオの宿へ届けさせた。



添えた手紙は、1行だけだ。



『108です。180ではありません。刷り直してください。金は要りません。』


書きながら、俺は、この1行が何なのかを考えていた。


抗議ではない。取引でもない。


俺が3年半やってきたことの、いちばん最初の形だ。


誰かが数字を間違えている。だから、正しい数字を書いて渡す。


それだけの行為に、3年半前は、名前がなかった。


書いてから、俺は、その1行を長いこと見ていた。



金は要りません、と書いた。


——また、それだ。


半年前、俺は同じことを言って、手順書を無料で配った。


無料で配ったから、前提が抜かれた。


いま、俺はまた無料で誤字を直している。直したものが、また誰かに抜かれるかもしれない。


それでも、書き直さなかった。



金を取る方法を、俺はまだ1つも思いついていない。


思いつくまでのあいだにも、東方では、誰かが180回目を数えている。



——これが、いまの俺にできる全部だった。



止められない。禁じられない。取り返せない。



誤字を直すことだけが、できる。



   ◇


3日後、返事が来た。



『刷り直しました。


 1240冊は既に売れております。回収は不可能です。


 残り1160冊を訂正し、あわせて東方6都市の商館へ、訂正の触れを出しました。


 費用は当方で持ちます。


 ——クアン・タオ』



そして、そのあとに、こう続いていた。



『追伸。


 なぜ、お教えくださったのですか。


 わたくしは、あなたの敵であるはずです。』



俺は、返事を書いた。



これも、1行だった。



『あなたを敵にすると、東方の1240人が死ぬので。』



 Lv.521

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。