72.削った一行
翌朝、俺は死者の検分に行った。
3人だ。
灰狼の若手が2人。名前は、ケルとイド。20歳と22歳。
冒険者が1人。ノーマという女で、26歳。
3人とも、西門の外で死んでいた。
死体は、詰所の裏の土間に並べてあった。
俺は、布をめくった。
——姿勢が、同じだ。
3人とも、右足が前に出ている。
上体が、やや前傾。剣を持った手が、下から上へ。
踏み込みの姿勢だ。
俺の紙に、書いてあるとおりの。
3人とも、若かった。
ケルとイドは兄弟で、去年の秋に灰狼へ入っている。名簿では「ヴァント兄弟」と1行にまとめられていた。まとめられていたので、俺は2人を1人として覚えていた。
ノーマは、駆け出しではない。7年やっている。西門の外を選んだのは、そこがいちばん人が少なくて、取り分が大きいからだ。
3人とも、剣を持つ手に、新しいまめができていた。
潰れていない。まだ白い。
昨日の朝から昼までのあいだに、できたまめだ。
「先生」
後ろで、ヴィオが言った。
「どうした」
俺は、答えなかった。
代わりに、聞いた。
「この3人が死んだのは、西門の外の、どのあたりですか」
「西の水路の脇だ」
——水路。
俺は、そこで、走った。
西門を出て、水路の脇まで。
そこは、白い水溜まりが、他より濃く溜まっている場所だった。
昨日、13体か14体、そこで倒れている。
俺は、しゃがんで、地面に手を当てた。
あたたかい。
冬だ。昨日から気温は下がりっぱなしだ。堀は凍っている。
なのに、そこの地面だけ、あたたかい。
俺は、水路の縁を、20歩ぶん、掘った。
地脈が、出ていた。
太いものじゃない。
裂け目みたいに、地面が割れているわけでもない。
水路を掘ったときに、たまたま浅い層に当たっていた。
だから湯気は出ない。だから草も枯れない。
冬に、そこだけ地面があたたかい。それだけの、小さい吹き出し口だ。
この街の人間は、それを知っている。
俺も、知っていた。
日雇いに出ていた8日のうち、2日、そこを通っている。
洗濯場の女が、湯気の立たない水に手を入れて、こう言ったのを覚えている。
「ここだけ、冬でも手が切れないんだよ」
俺は、そのとき、「あたたかい水路だ」と思った。
それだけだった。
地脈という語と、その水路が、頭の中で一度も繋がらなかった。
繋げるための材料は、両方とも、俺の中にあった。
「西の水路は冬でも凍らない」——洗濯場が、そこにある。
俺は、その場に、しゃがみ込んだ。
『※ただし、地脈の吹き出し口の近くでは、落ちるのが右肩になる。』
——削った。
俺は、2日前の夜、その1行に線を引いた。
理由は、覚えている。
地脈の吹き出し口は、ここから12キロ南だ。
明日には関係ない。
13人のうち9人が、今日初めて読む。
0.9秒で左右を迷った人間は、死ぬ。
——4つとも、正しかった。
4つとも、正しくて、3人死んだ。
俺は、地面に手をついたまま、動けなかった。
ケルと、イドと、ノーマは。
書いてあるとおりに、踏み込んだ。
左肩が落ちるのを待って、落ちた瞬間に、前へ入った。
そこは、右肩が落ちる場所だった。
左肩が落ちたように見えたとき、突進は既に始まっていた。
——書いてあるとおりにやって、死んだ。
「ハルダさんは」
俺は、顔を上げて聞いた。
「昨日、東門の外で一撃もらってましたよね」
「もらった。肋と鎖骨だ」
「なんで、生きてるんですか」
ヴィオは、少し考えて、こう言った。
「赤毛が、叫んだからだ」
「……リゼが」
「城壁の上から、『右!』と1回」
「それだけですか」
「それだけだ。ハルダは、半歩ずれて、肩で受けた。半歩ずれてなかったら、首だった」
俺は、その日の午後、リゼに聞いた。
「昨日、東門で、なんで『右』って言ったの」
彼女は、矢を拭きながら、あっさり答えた。
「そっちが落ちたので」
「……見えた?」
「見えました」
「左だと思わなかった?」
「思いませんでした。右が落ちたから、右って言いました」
彼女は、そこで、少し首を傾げた。
「……あれ。左って書いてありましたっけ」
——この人は、紙を読んでいない。
いや、読んでいる。
読んで、目の前を優先した。
『三、書いてあることと、目の前が違ったら、目の前を信じること。』
俺が書いた四項の、三番目だ。
死んだ3人は、それを読めなかった。
あの紙は、13人と近接8人に配ったものだ。
灰狼の若手2人と、冒険者1人。この3人は、朝礼で1行だけ聞いた。
『左肩の霜が落ちた瞬間に踏み込め』。
四項は、聞いていない。
◇
俺は、その晩、配った枚数を数え直した。
13人ぶんと、近接8人ぶん。21枚だ。
昨日、城壁の内と外で動いたのは、灰狼が80人、冒険者が200人。
21枚の紙と、朝礼の1行で、300人が同じ瞬間に踏み込んだ。
櫓の上から、俺はそれを見て、すごいな、と思った。
思ったことを、取り消すつもりはない。
だが、21枚と300人のあいだにあった距離を、俺は昨日、一度も数えていない。
その夜、俺は手順書の最終頁を開いた。
『この手順で死んだ者』
グレイス・オルデン(78)——公開を承認した者
マレン・ドス(19) 土 63回目 落石
トビアス・レーン(31) 風 64回目 契の直後
俺は、そこに、3つ足した。
ケル・ヴァント(20) 西門外 踏み込み
イド・ヴァント(22) 西門外 踏み込み
ノーマ・ロウド(26) 西門外 踏み込み
そして、その下に、1行書いた。
『この3人は、書いてあるとおりにやった。
書かなかったのは、俺だ。
削った1行は、以下。
※地脈の吹き出し口の近くでは、落ちるのは右肩。』
書き終えて、俺は、ペンを置けなかった。
相馬が、部屋に来たのは、そのあとだった。
彼女は、俺の手元の紙を見た。
読んだ。
そして、何も言わなかった。
「相馬さん」
「はい」
「あなたが正しかった」
彼女は、首を振らなかった。
頷きもしなかった。
しばらくして、こう言った。
「わたし、これ、当たってほしくなかったです」
彼女は、それから、机の上の最終頁を、指で押さえた。
「ノルンさん。1つだけ、言っていいですか」
「はい」
「わたしが言ったのと、これは、少し違います」
「……違う?」
「わたしが言ったのは、『書いてないところで転ぶ』です」
「はい」
「これは、書けたのに削ったやつです」
彼女は、俺の顔を見た。
「わたしのは、あなたにもどうしようもないやつです。人間は全部は書けないので」
「はい」
「でも、これは、あなたが決めたんですよね」
——そうだ。
彼女は、そこで、初めて、少しだけ声を荒げた。
「なんで削ったんですか」
「読みやすくするためです」
「誰が読みにくいって言ったんですか」
俺は、答えられなかった。
誰も言っていない。
俺が、そう思っただけだ。
「わたし、こっちに来てから3年、あなたの記事だけを読んでます。暗記したやつを、頭の中で」
彼女は言った。
「長くて読みにくいと思ったこと、一度もないです」
「……」
「読む側は、多いほうがいいんですよ」
彼女は、そこで、少し早口になった。
「わたし、あの表を、何回読んだと思います?」
「……」
「数えてません。数えられません。毎朝、狩りに出る前に読みました。3年です」
「はい」
「長いと思ったこと、一度もないです。長いと思うのは、読まない人です」
——同じ日に、もう1つ、来た。
◇
ヴィオが、灰狼の10年ぶんの狩猟台帳を持ってきた。
「先生。あんたが言ってた、数の話だ」
霜の使徒の討伐数を、月ごとに並べたものだった。
『5か月前 11体
4か月前 39体
3か月前 78体
2か月前 154体
先月 310体
昨日 1200体』
俺は、その数字を見た。
倍々になっている。
ゲームでは、これが進行度だった。
討伐数が閾値を超えるたびに、覚醒までの残り時間が縮む。
俺は、頭の中で、逆算した。
——2か月。
俺たちがこの5か月で狩った数のせいで、覚醒が2か月早まっている。
狩らなければ、人が死んだ。
狩ったから、あれが早く起きる。
9か月前の街道で、俺はそれを分かったうえで狩った。
紙の左に「10」と書いて、右に何も書けなかった夜のことを、俺は覚えている。
——請求書だ。
請求書には、金額と、日付と、宛名がある。
金額は、3人だ。
日付は、昨日。
宛名の欄が、空いている。
俺は、そこに自分の名前を入れた。入れてから、それも違うと思った。
この請求書は、俺だけに来たものじゃない。狩った灰狼の80人にも、狩れと言った俺にも、狩らせた街にも、同じ額で来ている。
だが、額を読めるのは、俺だけだ。
◇
そして、その日の夕方だった。
北の空が、縦に裂けた。
音は、しなかった。
色が変わっただけだ。地平線から天頂まで、細い線が1本、青白く走った。
その線が、ゆっくり開いた。
半日で、気温が20度下がった。
港の海が、沖まで凍った。船が11隻、氷に噛まれた。
鳥が、1羽も飛ばなくなった。
シグルドが、城壁の上で、震えていた。
「口伝どおりだ」
俺は、数字を出した。
覚醒から、あれが塚を出るまでの猶予。
19日。
Lv.510




