70.近道を通ってみる
白銀の甲冑が、北門を通ったのは、その5日後だった。
騎士が12人。旗は王国のものだ。
ヴェルンハイムは王国の街ではないので、市参事会と2日揉めた。揉めた末に、「討伐隊への出向」という名目で通った。
レイン・アシュフォードは、俺を見つけると、まっすぐ来て、こう言った。
「13人と聞いた」
「はい」
「俺は入れるか」
——正直な人だ。
「入れません」
俺は言った。
「上級魔法の使い手が13人です。あなたは魔法を持っていません」
「知っている」
「知ってて聞きましたか」
「確かめた」
彼は、それだけ言って、少し黙った。
そして、こう続けた。
「それでも、行く」
俺は、彼の格を測った。
《看破》で見えるのは概算だけだ。
Lv.187。
1年半前、初めて木剣を合わせたとき、彼は135だった。
52、伸びている。
魔法なしで、剣だけで、52。
「レインさん」
「なんだ」
「毎朝、何回振ってますか」
「2000だ」
「1年半、続けてますか」
「11年、続けている」
俺は、そこで、頭の中の計算をやめた。
11年で、800万回。
2000掛ける365で、1年に73万。それが11年ぶんだ。
3年半、俺が画面の向こうで振った回数は、たぶん、その10分の1もない。あのゲームの1振りは、指の1動作だ。
俺が3年半のゲームで振った回数より、たぶん、多い。
「教えます」
俺は、そう言った。
レインの眉が、動いた。
「……何をだ」
「あれの、削り方です」
塚の話をするのに、丸2日かかった。
ヨトゥンの戦い方は、この世界の戦い方と、根本から違う。
この世界の戦闘は、強い者が前に出て、弱い者を守る。
灰狼もそうだ。騎士団もそうだ。ガウスもそうだ。
ヨトゥンには、それが通用しない。
「全長27メートルです」
俺は言った。
「腕の一振りで、前衛が全員飛びます。守るという概念が成立しません」
「では、どう戦う」
「削るのは、遠距離と術者です」
「近接は」
「近接は、立ち位置を作ります」
レインが、俺を見た。
「……意味が分からん」
「あれは、いちばん自分を痛くしたやつを見ます」
「うむ」
「だから、わざと痛くして、こっちを向かせる。向いてる間に、後ろが削ります」
「囮か」
「囮とは違います」
俺は、地面に線を引いた。
「囮は、逃げ回るだけです。これは、あれを立たせたい場所に立たせる仕事です」
「あれの右足を1歩前に出させたい。そうすると術者の射線が通る。だから、右前方から痛くする」
「……」
「次に何をさせたいかを決めて、そのために殴る」
レインは、しばらく、地面の線を見ていた。
そして、こう言った。
「それは、剣の使い方ではないな」
「はい」
「11年、俺が習ってきたものと、1つも重ならない」
「はい」
彼は、そこで、少しだけ笑った。
俺は、この人が笑うのを、初めて見た。
「面白い」
——面白い、と言った。
11年、正しい振り方だけを積んできた人間が、自分の11年と1つも重ならないものを見て、最初に出した言葉がそれだった。
俺が同じ立場なら、たぶん出ない。
実地は、北の街道でやった。
霜の使徒を相手にする。ヨトゥンの27メートルには遠いが、突進と硬直の型は近い。
レインは、1回目で失敗した。
理論どおりに立った。理論どおりに動いた。
そして、一撃をもらった。
左の肩当てが割れて、5歩飛んだ。
「……なぜだ」
立ち上がりながら、彼は言った。
「立ち位置は合っていた。踏み込みも合っていた」
「合ってました」
「では、なぜ当たった」
俺は、答えた。
「避けたからです」
レインが、動きを止めた。
「……避けた」
「はい。最後の瞬間に、体が横に逃げました」
「当然だろう」
「当然です。11年、そう習ってきたので」
避けるのは、正しい。
この世界の剣は、全部そうできている。当たれば死ぬからだ。11年かけて体に入れた反射を、俺は3日で外せと言っている。
外せと言っている側が、一度も肋を折ったことがない。
俺は言った。
「でも、あの仕事は、避けたら成立しません。受けて、そこに立ち続けて、相手の足を1歩動かす仕事です」
「避けるな、と言うのか」
「はい」
「11年、避けろと教わってきた」
「知ってます」
レインは、そこで、長く黙った。
割れた肩当てを、外して、地面に置いた。
そして、こう言った。
「11年、俺は一度も近道を通らなかった」
「はい」
「毎朝2000回、正しい振り方で振った。近道を通る者を、俺は認めなかった」
「……はい」
「お前を『近道屋』と呼んだのも、そのせいだ」
彼は、剣を持ち直した。
「一度だけ、通ってみる」
3回目で、彼は避けなかった。
胴に、まともに受けた。
甲冑が凹んで、肋が2本いった。
音は、金属の音ではなかった。厚い板を、平手で叩いたような音だった。
彼の踵が、5センチだけ後ろへ滑った。
5センチで、止まった。
だが、彼は、その位置から1歩も動かなかった。
霜の使徒の右足が、1歩、前に出た。
そして、その1歩が空けた射線に、リノの《断空》が通った。
——線が、繋がった。
◇
夜、宿の一階で、レインが酒を持ってきた。
肋を巻いたまま、彼は座って、こう言った。
「1年半前、俺はお前にこう言った」
「はい」
「『お前が死んだら、この世界には何も残らない』」
「はい」
「取り消さない」
俺は、頷いた。
「まだ、届いてませんか」
彼は、コップを置いた。
「13人は、見た。表も見た。あの小男の紙も読んだ」
「はい」
「それでも、お前が死んだら、書けなかったことが消える」
「……はい」
「今日、俺が習ったのも、お前の頭の中にしかなかった」
彼は、俺を見た。
「だから、俺は、まだ言い続ける」
——この人は、正しい。
俺は、いま、口で教えた。
紙には書いていない。書こうとして、書けなかったからだ。
「受けろ。避けるな」は、書けば人が死ぬ。
——書けないものが、まだある。
「レインさん」
「なんだ」
「1つ、いいですか」
俺は、コップを置いた。
「今日のあれ、あなたが書いてください」
彼の眉が、動いた。
「……俺がか」
「はい」
「お前が書けばいい」
「俺には書けません」
俺は、正直に言った。
「俺が書くと、『受けろ。避けるな』の6文字になります。それを読んだ誰かが、明日死にます」
「……」
「でも、あなたは今日、受けました」
「肋が2本いった」
「はい」
「それを書けと言うのか」
「はい」
「肋が2本いくと分かったうえで受ける方法を、あなたなら書けます。俺は、肋が折れたことがないので」
レインは、しばらく、コップの底を見ていた。
それから、こう言った。
「書き方が、分からん」
「知ってます。俺も分かりませんでした」
「では、どうした」
「7人死んでから、分かりました」
7人。
53回、68回、44回、44回、70回、31回、79回。
いまでも、順番に言える。名前より先に、数字のほうが出てくる。
それが、俺の書き方の始まりだった。
彼は、そこで、初めて目を伏せた。
「……紙をくれ」
◇
その夜、宿の一階の卓で、白銀の甲冑の男が、肋を巻いたまま、字を書いていた。
上手い字だった。11年、毎朝2000回振ってきた手だ。
俺は、その背中を、階段の途中から見ていた。
◇
3日後、彼は紙を1枚、俺に渡した。
『立ち位置を作る者の心得
一、受ける前に、自分が何をさせたいかを先に決めること。
決めていない受けは、ただの被弾である。
二、受ける箇所を、先に選ぶこと。
肋は折れてよい。肘と膝は駄目だ。折れると次に立てない。
三、受けた直後、動きたくなる。動くな。
動けば、相手はこちらを見るのをやめる。そこまでが仕事だ。
四、避けてしまった者を責めるな。
11年避けてきた体は、11日では変わらない。
わたしは3回目で、やっと受けられた。
——レイン・アシュフォード』
俺は、四番を、2回読んだ。
——俺の『やめどき』の四番と、同じ形だ。
『途中でやめて戻った者を、笑ってはならない』
『避けてしまった者を、責めるな』
俺は、それを、この人に教えていない。
「レインさん。四番は」
「読んだからだ」
「……何をですか」
「お前の綴りだ」
彼は、肋を押さえながら、椅子にもたれた。
「あれの、いちばん効くのは四番だ。手順ではないと書いてあるやつ」
「……はい」
「だから、俺も四番に書いた」
Lv.508




