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69.シフト表

その朝、詰所の壁に、紙が4枚貼ってあった。


でかい。1枚が卓ほどある。


『訓練日程表』


『物資受け渡し表』


『宿割り』


『炊き出し当番』


字は、下手だった。


だが、線がまっすぐで、枠が全部同じ幅で、名前が縦に揃っていた。


「これ、誰が」


ハルダが、パンを齧りながら、親指で後ろを指した。


「あのチビ」


徹は、脚立の上にいた。


5枚目を貼っている途中だった。


「あ、ノルンさん。おはようございます」


「……これ、いつ作ったんですか」


「昨日の夜っす」


「夜」


「深夜2時から朝10時。得意なんで」


——夜勤の時間だ。


俺は、表を上から読んだ。


読んで、驚いた。


俺が困っていたことが、全部、解決していた。


30人の遠征だ。


内訳は、術者13、近接8、盾3、回復4、それと俺と相馬。


出身がばらばらだ。灰狼、王都の魔術院、冒険者ギルド、騎士団、そして北の山の一族。


指揮系統が、5本ある。


灰狼はヴィオの命令で動く。院の術者はセシルの言うことしか聞かない。冒険者は依頼票の書式でしか動かない。騎士は上官の許可が要る。


俺が「明日、地割れへ」と言っても、5通りの手続きが必要だった。


徹の表は、それを1枚にしていた。


「どうやったんですか、これ」


彼は、脚立の上から答えた。


「発注元を1個にしたんす」


「発注元」


「みんな『誰の指示か』を気にするでしょ。だから、指示を出すの、紙にしました」


彼は、表の左上を指した。


そこに、こう書いてあった。


『この表が、指示です。人ではありません』


「人が言うと、『あんたに言われる筋合いはない』が出るんすよ」


彼は言った。


「表に書いてあると、表と喧嘩するやつはいないんで」


俺は、その1行を、しばらく見ていた。


——俺が1年半かけて悩んでたやつだ。


英雄が言うと託宣になる。だから名乗らない。だから舐められに行く。


そこまでやって、俺は「誰が言うか」の問題を解けていなかった。


この人は、言うのをやめた。


「徹さん」


「はい」


「これ、8年やってると分かるやつですか」


「分かるっす」


彼は、脚立を降りた。


「バイトが8人いるとするじゃないですか。店長が口で言うと、必ず1人『聞いてない』って言うんすよ」


「はい」


「で、シフト表に書いとくと、言わない」


「なんでですか」


「紙は、その人を嫌ってないんで」


俺は、表の4枚を、もう一度上から読んだ。


字は下手だ。線は定規で引いていない。それでも、全部の枠が同じ幅で、名前が縦に揃っている。


揃えるのに、たぶん何度も書き直している。


そして、いちばん下に、小さくこう書いてあった。



『この表に間違いを見つけた人は、赤で直してください。直した人の名前を、下に書いてください。』


——余白だ。



俺が『この本の使い方』の四番に書いたのと、同じものが、シフト表の下にある。


「徹さん。この最後の1行、誰かに教わりましたか」


「え? いや、普通っすよ」


「普通」


「直せない表って、誰も見なくなるんで」


   ◇


その日、ヴィオが表を見にきた。


彼女は、4枚を上から下まで読んで、それから、こう言った。


「坊主。あんた、格はいくつだ」


「120っす」


「120」


「戦闘は無理っす。3日前、藪兎に転ばされました」


ヴィオは、算盤を出した。


そして、しばらく弾いてから、こう言った。


「この表、金貨168枚ぶんの働きだ」


「え」


「30人が、待ち時間を1日2時間減らす。3か月で5400時間。日雇い換算で、金貨168枚」


「うわ、そんなに」


「うちに来い」


「えっ」


「団の事務方だ。給金は日雇いの4倍出す」


徹は、そこで、ちょっと考えた。


「あの。それ、夜勤ありますか」


「夜勤?」


「夜、誰もいない時間に、1人で書きものする仕事っす」


ヴィオは、変な顔をした。


「……あるが」


「やります」


俺は、その一部始終を、詰所の隅で見ていた。


——Lv120。


この世界では、Aランクにも届かない数字だ。


戦えば、藪兎に転ばされる。


その人間が、いま、金貨168枚ぶんの働きをしている。


この世界で、初めて証明されたことだ。


俺は、3年半、レベルで人を見てきた。


格が高い者が強い。格が低い者は弱い。それ以外の軸を、あのゲームは持っていなかった。


——軸が、増えた。


   ◇


夕方、リゼが表の前に立っていた。


炊き出し当番の欄を、指でなぞっている。


「徹さん」


「はい」


「わたしの当番、ノルンさんの隣にしてもらえませんか」


徹は、表から目を離さずに、こう答えた。


「私情はナシっす」


「えー」


「あと、リゼさんとノルンさん、両方いっぺんに厨房に入れると、他の28人が飯を食えなくなるんで」


「なんでですか」


「空気で腹いっぱいになるんで」


ハルダが、パンを吹いた。


俺は、詰所を出た。


背中で、リゼが「どういう意味ですか!」と言っているのが聞こえた。


   ◇


その夜、徹が俺のところへ来た。


手に、5枚目の表を持っていた。


「これ、まだ貼ってないんすけど」


「なんですか」


「離脱表っす」


俺は、その紙を受け取った。


『離脱の手順


 一、離脱を申し出た者は、その場で列を外れる。理由は聞かない。


 二、離脱した者の担当は、次の者が引き継ぐ。順番は下表のとおり。


 三、離脱した者を、戻す枠を1つ空けておく。』


三番で、俺の指が止まった。


「……戻す枠」


「はい」


「なんで」


徹は、当たり前のことのように言った。


「やめた人、だいたい戻ってくるんで」


「8年で、何人か見ました。戻れる枠がないと、戻ってこないんすよ」



俺は、その紙を、手順書の綴りに挟んだ。



『やめどき』の、すぐ隣に。



——戻る枠。



俺は、その言葉を、しばらく噛んでいた。



俺の『やめどき』には、「やめてよい」と書いてある。


「やめた者は失敗していない」とも書いてある。


「笑ってはならない」とも書いてある。


だが、「戻ってこい」とは、書いていない。



やめることは、許した。


戻ることは、設計していなかった。



——出口だけ作って、入口を作っていない。



俺は、その夜、『やめどき』に五番を足した。



『五、やめた者のための枠を、常に1つ空けておくこと。


  戻れる場所がない者は、戻ってこない。


  相沢徹の案。』



書き終えて、俺は、綴りの余白の名前を数えた。



トビアス・レーンの案。


相沢徹の案。


ミア・ハウグの案。


そして、余白の書き込みが41か所ある束が、いま徹の手元にある。



——これ、もう、俺の本じゃないな。



そう思って、俺は少し笑った。


笑ってから、その感覚が、少しも嫌ではないことに気づいた。



1年前の俺なら、たぶん、嫌だった。


自分の頭の中にあるものが、いちばん正確だと思っていたからだ。



   ◇


翌朝、離脱表が、さっそく使われた。



13人のうちの1人——土の術者で、院の第三級の男が、朝いちばんに列を外れた。


理由は聞かない、と書いてある。だから誰も聞かなかった。


彼は、荷をまとめて、詰所を出ていった。



セシルが、俺のところへ来た。



「12人になりました」


「はい」


「……止めなくて、いいのですか」



俺は、壁の表を見た。



戻る枠が、1つ空いている。



「いいです」



「ですが、塚は人数が要ります」


「要ります」


「では」



「引き止めて連れていったら、あの人は塚で列を外れます」



俺は、そう答えた。



「街で外れるなら、生きて外れられます。塚で外れたら、死にます」



セシルは、しばらく黙って、それから、頷いた。



——そして、彼は、9日後に戻ってきた。



何も言わずに、朝の列のいちばん後ろに立っていた。


徹が、名簿に印をつけて、こう言った。



「おかえりなさいっす」



それだけだった。



誰も、9日のことを聞かなかった。



その3か月、俺も狩りに出ていた。


訓練の合間に、北の樹林で霜苔鹿を299体。廃坑の三層で洞蝙蝠を599体。


どちらも、境界の1体手前で止めた。


 Lv.505

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