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66.教える側になった日

3日目の朝、俺は相馬を呼び出した。


詰所ではなく、城壁の上にした。人がいない。逃げ場もない。


彼女は、時間どおりに来た。


そして、来るなり、こう言った。


「答え、出てないですよね」


「出てません」


「顔で分かります」


俺は、素直に言った。


「あなたの言ったことは、全部、正しいです」


「はい」


「24人は、たぶん、あなたと同じものになります」


「はい」


「紙に書いてあることは完璧にできて、書いてないところで、同じ形で転びます」


「……はい」


彼女は、頷きながら、少しずつ、顔が硬くなっていった。


否定されるつもりで来たのに、全部肯定されているからだ。


「それでも、やります」


俺は言った。


「やらないと、210キロが凍るので」


「じゃあ、わたしが言ったことは」


「無視しません」


俺は、そこで、懐から紙を出した。


白紙だった。


「相馬さんに、頼みたいことがあります」


「3年で転んだ4回を、全部、書いてください」


彼女の目が、少し開いた。


「……4回」


「氷の斜面が4回だと言いましたよね。それ以外もです。書いてないところで詰まった全部」


「……それ、わたしの失敗を集めるってことですか」


「はい」


彼女は、そこで、笑いかけて、やめた。


「なんの役に立つんですか」


俺は、答えた。


「転んでいない場所を、想像する材料になります」


彼女が、動かなくなった。


俺は、続けた。


「昨日、考えてて、分かったことがあります」


「あなたは、転んだ場所は、ちゃんと覚えます。同じ道では、二度と転ばない」


「……はい」


「でも、隣の道で転ぶ」


「……はい」


「それは、記憶が悪いんじゃないです。転んでいない場所を想像する材料が、紙にはないからです」


俺は、白紙を、彼女のほうへ差し出した。


「俺は、それを書けません」


「なんでですか」


「俺は、転んでないからです」


風が、城壁の上を通った。


「俺が知ってるのは『ここは滑る』です。『滑ったらどうなるか』は、知りません」


「……」


「あなたは、30歩滑って、岩で止まって、這って村まで戻った」


「それは、俺には一生書けません」


彼女は、紙を受け取らなかった。


しばらく、受け取らなかった。


それから、片手を出して、受け取った。


「……やります」


「ありがとうございます」


「でも」


彼女は、紙を胸の高さで持ったまま、こう言った。


「これで解決したとは、思ってません」


「はい」


「4回書いても、5回目は、また知らない場所です」


「はい」


「24人が、それぞれ5回目で転びます」


「……はい」


彼女は、紙を折って、懐に入れた。


そして、城壁の階段を降りていった。


——決着していない。


俺は、それを分かったうえで、始めた。


王都からの返事は、11日で来た。


早すぎる。伝令が3回馬を替えている。


『院、承認。


 条件2つ。


 一、講義は院の建物で行うこと。


 二、手順の第二稿を、院の名で刷ること。


 ——グレイス・オルデン』


そして、その下に、別の字で1行あった。


『学籍停止、取消。セシル・ウェイン』


俺は、その1行を、3回読んだ。


王都へ着いたのは、それから12日後だった。


講堂は、地下三層と同じ階の、いちばん大きい部屋だった。


席が80。


応募は、61人あった。


俺は、いちばん後ろの席に座った。


前に立ったのは、俺じゃない。


セシル・ウェインだった。


彼女は、ローブの袖を、いつもより短くしていた。


左腕の火傷が、見えていた。隠していない。


「はじめに、1つだけ申し上げます」


彼女の声は、震えていなかった。


「上級魔法は、伝説ではありません」


——この人が。


1年8か月前、この人は、ステインの宿の卓で、こう言った。


『三百年前の英雄が空を裂いたという記録は残っていますが、術式は失われました。私たちは失われたものを追いかけている世代です』


俺は、あのとき、黙って相槌を打った。


言えば、この人の20年が何になるのか分からなかったからだ。


そして今、この人が、教壇に立っている。


隣に、誰かが座った。


ドロテア・ハルトだった。


火傷の残る腕を組んで、教壇を見ていた。


「あんた」


「はい」


「1年8か月前、あたしは、あんたに聞いたね」


——覚えている。


ステイン支部の執務室。書類に判を押しながら、彼女はこう言った。


『嘘は構わないよ。ただ、あんたが誰の側で嘘をつくのかだけは、いずれ見せてもらう』


「見せてもらった」


彼女は、教壇を顎で示した。


「あんたは、あそこに立ってない」


「……はい」


「立ってるのは、あんたが1年、断り続けた相手だ」


彼女は、そこで、初めて笑った。


「合格だよ」


彼女は、それだけ言って、腕を組み直した。


火傷の残る腕だ。20年、冒険者の命が金で決まるのを見てきた腕でもある。


その腕が、いま、教壇のほうを向いていた。


だが、頷かなかった人間が、1人いた。


講義が終わったあと、廊下でグレイス・オルデンに呼び止められた。


杖をついて、ゆっくり歩いてきた。


「ノルン殿」


「はい」


「わたしは、反対のままです」


俺は、足を止めた。


「……承認、いただきましたが」


「承認と賛成は違います」


彼女は、杖の先で床を1回突いた。


「61人来ました。24人選びます。37人が落ちます」


「はい」


「24人のうち、何人が届くとお考えですか」


俺は、正直に答えた。



「……半分です」



「では、残りの12人は、どうなりますか」



俺は、答えられなかった。



グレイスは、頷いた。



「そうでしょうね」


「わたしは反対です。ただ、止めません」



彼女は、俺の横を通り過ぎた。


そして、通り過ぎてから、こう付け足した。



「止めれば、210キロが凍りますから」


   ◇



選抜には、5日かかった。



61人から24人。


基準は3つ。格120以上。詠唱耐性の契。そして——やめると言える人間かどうか。


3つ目は、面談で見た。俺とセシルとヤナで、1人ずつ、20分。


「途中でやめたことは、ありますか」と聞いた。



「ない」と答えた者を、7人落とした。



落選の名簿は、ミリアが清書した。



俺は、それに目を通した。



37人。


そのいちばん下のほうに、こういう行があった。



『ラス・ウェイド(18) ヴェルンハイム 斧 術者適性なし』


俺は、その行を、2回読んだ。


年が、1つ増えている。


去年の冬、沢の帰り道で「それ、弱い武器じゃない」と言ったとき、あいつは17だった。


そして、格の欄が空白だった。


書かなかったのか、書けなかったのか。


たぶん、聞かれなかったのだと思う。術者適性がない時点で、そこから先は誰も見ない。



——応募してたのか。



俺は、その1行を、少し見ていた。



俺は、ミリアに聞いた。


「この人、面談まで来ましたか」


「来られました」


彼女は、控えの綴りをめくった。


「ヴェルンハイムから、8日歩いて来られたそうです。術者適性がないことは、ご自分でも分かっていたと」


「……じゃあ、なんで」


「『中の様子を見たかった』とおっしゃっていました」


「あと、これを置いていかれました」


ミリアが出したのは、綴じてもいない紙の束だった。



汚い字だ。炭で書いてある。


『岩ガニ209 鉄殻蟲139 甲羅ムカデ88


 斧は半歩浅く


 吐きながら振れ


 1200回で腕が変わる


 外殻200体で当たり方が変わる


 ※これ全部、人から教わったやつ。確かめたのはオレ』



俺は、その最後の1行を、長いこと見ていた。



「ミリアさん」


「はい」


「これ、保管しておいてください」


「落選者の私物ですが」


「院の書庫に入れてください」



ミリアは、少し驚いた顔をして、それから、頷いた。



「分類はどうしましょう」



俺は、少し考えて、こう答えた。



「『確かめたこと』で」



 Lv.498

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