65.24人いる
ヴェルンハイムに戻って、俺は3日、宿の部屋から出なかった。
今度は、地図を睨んでいたわけじゃない。
数字を潰していた。
足りないものを、1つずつ書き出した。
『格が足りない。俺486、要700。
人数が足りない。いま実質1人、要24人。
火が2割落ちる。塚の領域補正。
時間が足りない。討伐に2時間14分。』
上から順に、潰し方を考えた。
格700。
これは、無理だ。
486から700まで、214ある。地脈喰いを全部の裂け目で回しても、1周で8つそこそこしか上がらない。1周19日、7周で133日——4か月半かけて、56だ。
そのあいだ、氷は南へ来る。
そもそも、裂け目は3つ凍っている。
——無理だ。
俺は、その行に線を引いた。
次の行を見た。
人数が足りない。いま実質1人、要24人。
俺は、そこで、手が止まった。
——待て。
俺はずっと、この4行を「同じ形の問題」として見ていた。
足りないものが4つある。全部足りない。だから無理だ。
違う。
格700は、上げられない。時間も縮められない。領域補正は世界の側のものだ。
だが、人数は、違う。
人は、作れる。
ゲームでは、24人でヨトゥンを削った。
その24人は、格700が24人という意味じゃない。
内訳がある。
盾役が3。回復が4。近接が8。遠距離と術者が9。
そして、術者に要求されるのは、格ではなく——
上級魔法を撃てるかどうかだ。
上級を1発撃つのに必要な格は、四元素どれも120前後。
それ以上あっても、威力はほとんど変わらない。上級は、格ではなく術式で決まっている。
——120。
この街に、格120以上の術者は、6人いる。
王都には、たぶん20人以上いる。
足りている。
足りていないのは、格じゃない。
契だ。
そして、契の取り方は——
俺の机の上に、全部書いてある。
4日目の朝、俺は詰所へ行った。
ヴィオ、ハルダ、灰狼の幹部が5人。ガウス、リゼ、トビアス、ヤナ、徹。そして相馬。
12人が、長机に座っていた。
俺は、紙を1枚、机の真ん中に置いた。
『24人、作ります』
説明に、1時間かかった。
上級魔法は、格ではなく契で決まる。
契の取り方は、前提込みで書き上がっている。火・土・水は完成、風は王都のセシルが第二稿を上げている。
必要な格は120前後。この大陸に、それを満たす術者は80人以上いる。
そのうち3か月で到達できるのは、たぶん3割。
24人には、届く。
「3か月だ」
ヴィオが、算盤を弾きながら言った。
「金は」
「王都と院と、ギルドと、この街で割ります」
「いくらだ」
「金貨2400枚」
ヴィオの手が、算盤の上で止まった。
「……あんた、竜1頭の値段を知ってて言ってるな」
「1180枚でした」
「2頭ぶんだぞ」
「はい」
「出す」
彼女は、算盤を置いた。
「うちの取り分の全部と、来年の前借りだ。街が凍ったら、どうせ全部紙屑になる」
そこから、机が動きはじめた。
ハルダが、いちばん先に立ち上がった。
「あたし、募集を出す。うちの掲示板と、ギルドと、市の門」
「条件は」
「格120以上の術者。それだけでいいのか」
「もう1つあります」
俺は、紙をめくった。
「途中でやめてもいい、と告知に書いてください」
ハルダの手が、止まった。
「……募集に、そんなこと書くのか」
「書きます」
「集まらねえぞ」
「集まらなくていいです」
俺は言った。
「やめられない人が来ると、死にます」
ハルダは、しばらく俺を見て、それから、鼻から息を吐いた。
「……あんた、そういうとこは、ぶれねえな」
ハルダが「募集の告知は、うちの掲示板と、ギルドと、市の門の3か所だ」と言った。
トビアスが「講師は私とヤナで。王都から誰か来ますか」と言った。
ガウスが「近接は俺が見る。8人ぶんだな」と言った。
リゼが「わたし、弓の子を探してきます」と言った。
そして、徹が手を挙げた。
「あの。これ、進行表いります?」
「進行表」
「3か月で24人育てるんすよね。同時に24人は無理っす」
彼は、指を折った。
「講師が2人でしょ。地割れも湖も1か所ずつでしょ。待ち行列ができます」
「……」
「あと、脱落した人の枠、繰り上げるかどうかも決めとかないと」
ヴィオが、徹を見た。
「……坊主。あんた、何者だ」
「コンビニっす」
「なんだそりゃ」
「あー。夜の店番です」
——回りはじめた。
俺は、机の端で、それを見ていた。
12人が、それぞれの持ち場の話をしている。
俺が言ったのは「24人作ります」の1行だけで、あとは全部、この人たちが自分で作りはじめた。
——残せばいい。
1年前、白銀の甲冑の男が言った。
『お前が死んだら、この世界には何も残らない』
俺は、それに何も返せなかった。
紙を書いた。40枚書いた。それでも彼は取り下げなかった。「書いた者が死ねば、書けなかったことは消える」と言われた。
24人は、消えない。
俺は、そのとき、初めて、あの指摘に届いたと思った。
そして、部屋の隅で、椅子が鳴った。
相馬が、立ち上がっていた。
全員が、そっちを見た。
彼女は、机まで来なかった。
立ったまま、少し離れたところから、こう言った。
「ノルンさん」
「はい」
「わたしを見てください」
俺は、彼女を見た。
「わたし、あなたの書いたものだけでできてます」
「3年、あなたの記事どおりに生きてきました。狩場も、契も、拍の取り方も、全部そこから取りました。この世界の誰より、あなたの文章に忠実です」
「……はい」
「そして、書いてないことは、何ひとつできません」
彼女は、外套の左側を、手で押さえた。
腰から膝まで、縫った跡がある側だ。
「この前、氷で転びかけたの、見ましたよね」
「見ました」
「あれ、3年で4回目です」
「……」
「わたし、毎回、同じ形で転ぶんです。書いてないところで」
彼女は、そこで、机の12人を見渡した。
そして、言った。
「あなたは、これを、24人つくろうとしてるんですよ」
部屋が、音を失った。
俺は、反論しようとした。
口を開けた。
言葉が、出てこなかった。
理由は、はっきりしている。
彼女が言っていることは、全部、正しい。
俺が渡すのは、紙だ。
紙に書いてあることは、俺が3年半で拾ったものの、2割もない。
残りの8割は、俺の中にある。地形の癖、音の響き方、雪の乗り方、獣の足跡。書くほどでもないこと。
24人は、その2割で作られる。
そして、塚には、書いてないことしかない。
ヴィオが、低く言った。
「先生。返事は」
俺は、答えられなかった。
代わりに、こう言った。
「……3日、ください」
相馬は、それを聞いて、少しだけ笑った。
例の、半拍遅い笑い方だった。
そして、部屋を出るときに、こう言った。
「また、あとなんですね」
◇
その夜、俺は宿の窓辺で、机に紙を並べた。
左に、24人の内訳。
右に、相馬が言ったこと。
『あなたは、これを、24人つくろうとしてるんですよ』
俺は、その1行を、何度も読んだ。
反論の材料は、探せばあった。
彼女は3年ひとりだった。誰も隣にいなかった。24人には講師が付く。ガウスが近接を見る。ヴィオが兵站を回す。環境が違う。
そう言えば、たぶん、この場は収まる。
だが。
環境の話じゃない。
彼女が言ったのは、こうだ。
「書いてないところで、毎回、同じ形で転ぶ」。
3年で4回。
同じ形で、4回。
つまり、彼女は、転んでも学習しないのではない。
転んだ場所は、ちゃんと覚える。
転んでいない場所を、想像できないのだ。
そして、それは——
紙で育った人間の、構造的な欠陥だ。
24人は、紙で育つ。
塚には、紙に書いていないものしかない。
俺は、蝋燭を消した。
3日、と言った。
3日で、答えが出るとは思っていなかった。
Lv.495




