64.推奨レベル700
ハウグの家で、俺は6日を使った。
シグルドが口伝を口に出して、俺がそれを書き取る。1日2つか3つが限界だった。
彼は、思い出すのに時間がかかる。5代前から声だけで渡されてきたものだ。紙は1枚もない。
「口伝は、あと11ある。半分は嘘だ」
——選ぶのは、俺だ。
11個は、こうだった。
『一、氷の巨人は、左胸に心臓を置かぬ。』
——保留。
ゲームでは、ヨトゥンの弱点は左胸の霜核だ。24人レイドの解説記事にも、俺自身が書いた。
だが、引っかかることが1つある。第三形態に、霜核の位置が移動する演出モーションがある。当たり判定は変わらない。ただの見栄えだ、と当時は言われた。
俺も、そう書いた。
この世界では、演出という概念がない。
だから、保留にした。判断は、現場でする。
『二、巨人の吐息を吸えば、七日眠る。』
——嘘。
ヨトゥンのブレスに睡眠効果はない。あるのは凍傷だ。
たぶん、吸って倒れた者が動かなくなったのを、眠ったと見たのだろう。
7日眠るのではなく、死んでいる。
『三、柱の足元では、火が燃えぬ。』
——本当。
塚の周囲500歩で、火属性の威力が2割落ちる。ゲームでは領域補正と呼ばれていた。攻略記事に必ず書いてある。
「燃えぬ」は誇張だが、「弱る」は正しい。
これは、大きい。
火が2割落ちるということは、俺の切り札の火が、あそこでは2割弱いということだ。
『四、巨人は影を持たぬ。』
——嘘。
見た目の話だ。全身が半透明の氷なので、影が薄い。それだけ。
『五、巨人の血は、雪を溶かさぬ。』
——本当。
体液が氷属性なので、雪に落ちても溶けない。
これは戦闘で使える。血の跡を追えば、どこを削ったか分かる。
『三』は、その場で試した。
塚の外縁から500歩の位置に線を引いて、内と外で《火球》を1発ずつ撃った。
外は、いつもどおり。
内は、焦げ跡の直径が2割小さかった。
ミアが、その2つの焦げ跡を、歩幅で測って回った。
「外が11歩! 中が9歩!」
「ありがとうございます」
「これ、なんの意味があるの?」
「火が2割弱くなる、って意味です」
「2割って、どのくらい?」
「5発撃って、4発ぶんです」
「ふーん」
彼女は、9歩のほうの焦げ跡の縁を、靴の先でなぞった。
「こっち、まんなかが濃いね」
「濃いですか」
「濃い。外のは、まんなかも端も、おんなじ黒」
——それも、書いておく。
彼女は、9歩の焦げ跡の前でしゃがんで、こう言った。
「じゃあ、火の人は、外から撃たなきゃだめだね」
俺は、そこで、彼女を見た。
——それだ。
俺は「火が2割弱くなる」までしか考えていなかった。
弱くなるなら、外から撃てばいいという発想が、出ていなかった。
理由は、簡単だ。
ゲームでは、射程内なら威力は同じだ。距離で減衰しない。だから「外から撃つ」という選択肢が、俺の頭の中に最初から存在しない。
この世界では、距離が意味を持つ。
俺は、11個目の口伝の下に、1行足した。
『※火の術者は、領域の外に置く。ミア・ハウグの案。』
そうやって、6日で11個を仕分けた。
本当が4つ。嘘が4つ。
判定できないものが、3つ残った。
1つは『一』だ。左胸の話は、現場で見るまで決められない。
『十、三たび鐘が鳴れば、柱は目を開く。』
鐘。この山に鐘はない。ヴェルンハイムにはある。
意味が分からない。
そして、最後の1つ。
『十一、柱に名を呼ばれた者は、帰らぬ。』
俺は、これを書き取ったとき、ペンを止めた。
「シグルドさん」
「なんだ」
「これ、名を呼ばれるって、どういう意味ですか」
「知らん」
「巨人が、喋るんですか」
「聞いたことがない」
「じゃあ、なんで」
「知らん」
彼は、そこで初めて、少しだけ苛立った顔をした。
「5代前で切れとると言ったろう。俺が知っとるのは、音だけだ」
——音だけ。
意味の分からない言葉を、5代、音だけで渡してきた一族がいる。
意味が分からないのに、捨てなかった。
捨てなかったから、いま、俺の手元にある。
◇
7日目の朝、俺たちは山を降りた。
シグルドは、家の前まで見送りに出て、そこで初めて、俺の名を呼んだ。
「ノルン」
「はい」
「柱に関わってない、と言ったな」
俺は、そこで、足を止めた。
彼は、俺の顔を見ていなかった。
塚のある北のほうを見ていた。
「掟は、5代前で理由が切れとる」
「……はい」
「理由の切れた掟を守るのは、俺の勝手だ」
彼は、そこで、ようやくこっちを向いた。
「だが、家に入れんのと、一緒に行くのは、別だ」
「……」
「呼べ。行く」
俺は、頭を下げた。
嘘をついたことを、そのとき、謝らなかった。
謝ったら、この人は「掟を破った」ことになる。
◇
ヴェルンハイムへ戻る道で、俺はもう1つの仕事をした。
ヨトゥンの数字を、書き出す。
3年半、一度も忘れたことのない数字だ。
だが、この世界に来てから、一度も紙に書いていない。
書きたくなかったからだと思う。
『ヨトゥン
推奨 格700
人数 24
平均討伐時間 2時間14分
行動 11種
形態 3段
覚醒後の範囲 半径210キロ』
書き終えて、俺は紙を見た。
しばらく、見ていた。
俺の格は、486だ。
この世界の最強は、レイン・アシュフォード。たぶん180台。
Sランクは大陸に3人。全員200そこそこ。
上級魔法の使い手は、この世界に7人。俺、セシル、院の3人、トビアス、ヤナ——いや、相馬を入れて8人か。数えるのも変な話だ。
足りているものが、1つもない。
俺は、その紙を、ガウスに見せた。
彼は、数字を読めない。だから、読み上げた。
読み終えると、彼は、こう聞いた。
「その700ってのは、どのくらいだ」
「……ガウスさんが、いま130くらいです」
「130」
「その5倍と、ちょっとです」
ガウスは、5本の指を立てて、それを2回、見た。
彼は、しばらく考えて、それから、豪快に笑った。
「駄目じゃねえか」
「駄目です」
「駄目なんだな?」
「駄目です」
そこで笑えるのが、この人の強さだと思う。
「勝てないのですか」
セシルの声——ではない。彼女は王都だ。
聞いたのは、トビアスだった。
俺は、初めて、正直に答えた。
「今は、無理です」
隊列が、静かになった。
「じゃあ、逃げますか」
リゼが、後ろから聞いた。
軽い口調だった。彼女はいつも、いちばん重い質問を、いちばん軽く聞く。
俺は、首を振った。
「逃げると、ヴェルンハイムが凍ります」
「半径210キロです」
俺は、地図を出して、塚を中心に円を引いた。
円の中に、ヴェルンハイムが入った。
サルヴが入った。ハウグの家が入った。
北方の集落が、17個入った。
そして、円の縁が、王都まであと60キロのところを通っていた。
「逃げる先がないんです」
俺は言った。
「南に2か月歩いても、冬が追いついてきます」
◇
その日の夜、街道の宿で、ヴィオからの報せが届いた。
灰狼の伝令が、馬を潰して追いついてきた。
『霜の使徒 この10日で 北街道に41体
うち、市の門から6キロの地点に11体
団の負傷12、死亡2
——先生、戻れ』
俺は、その紙を見て、日付を数えた。
俺が街道で10体を処理したのが、5か月前。
あのとき、この街の周りに霜の使徒が出るのは、月に1度あるかないかだった。
いま、10日で41体。
加速している。
俺は、紙を折って、懐に入れた。
——加速している理由を、俺は知っている。
霜の使徒を狩れば狩るほど、覚醒が早まる。
この5か月、俺は狩った。灰狼も狩った。街道を通る隊商を守るために、必ず狩った。
狩らなければ、人が死ぬからだ。
それは、正しい。
正しいことを、5か月やった。
その請求書が、どこかで来る。
俺は、そのとき、それを「いつか」だと思っていた。
4か月後だ。




