63.よそ者
ハウグの家は、北の山の、8合目にあった。
木札を頼りに5日歩いて、6日目の昼に見つけた。
石を積んだ小屋が1つ。煙が出ている。周りに、木の柵が半円に立ててあって、その柵の上に骨が並べてあった。
太い。牛でも熊でもない。
指の骨1本が、俺の前腕くらいある。
戸を叩く前に、開いた。
出てきたのは、大男だった。
背は俺より頭ひとつ高い。40くらい。髭。目が細い。手に、銛のような穂先の長物を持っていた。
彼は、俺たちを上から下まで見て、それから、こう言った。
「よそ者」
「……はい」
「帰れ」
俺は、木札を出した。
彼の目が、そこで初めて動いた。
「どこで」
「ヴェルンハイムの傭兵団『灰狼』です。30年前、ご一族の方が団にいたと」
「叔父だ」
「……はい」
彼は、木札を受け取って、指で表面をなぞった。
そして、こう聞いた。
「柱に、関わったか」
俺の背中が、そこで止まった。
——来た。
「うちには掟がある」
彼は言った。
「柱に関わった者は、家に入れん」
「……なぜですか」
「そういう掟だ。理由は、5代前で切れとる」
俺は、そこで、2秒くらい考えた。
正直に言えば、こうなる。
南の柱を殺したのは、俺だ。
7人で行って、47分ではなく2時間かけて、左腕を焼いて殺した。
言えば、たぶん、通じる。
竜殺しの名前は、この山にも届いているかもしれない。
そして——
戸が、閉まる。
口伝は、この家の中にある。
外に出たことのない口伝だ。学者が7人読めなかった古語の、答えの半分がある。
名乗れば、それが永久に閉じる。
——ヴェルンハイムと、同じだ。
あそこでは、英雄として入ると、誰も本当のことを言わなくなった。
ここでは、英雄として入ると、戸が閉まる。
理由は違う。形は同じだ。
俺は、答えた。
「関わってません」
嘘だ。
はっきりした嘘だ。
シグルド・ハウグは、俺の顔を、10秒くらい見ていた。
それから、戸を大きく開けた。
「入れ」
家の中は、暗くて、あたたかかった。
囲炉裏に鉄鍋。壁に、干した肉と、道具。天井の梁から、細い骨がいくつも吊るしてあった。
そして、少女が1人いた。
15くらい。髪を短く刈っている。俺たちを見るなり、鍋をほったらかして立ち上がった。
「うわっ、客だ! 叔父さん、客!」
「見りゃ分かる」
「4人も! 4人も来たの、7年ぶりじゃない?」
彼女は、ミアといった。
一族は、この2人で全部だそうだ。
シグルドは、ほとんど喋らなかった。
代わりに、ミアが全部喋った。叔父の分まで喋った。
叔父が「ふん」と言うと、ミアが「叔父さん、それ『座れ』って意味です」と訳した。
3日いて、シグルドが俺に言った言葉は、全部で11個だった。
4日目の朝、シグルドが立ち上がって、こう言った。
「塚を見るか」
巨人の墓所——ヨトゥン塚の外縁までは、山を越えて1日半だった。
雪が深い。空気が痛い。息が肺に入るときに、刺さる感じがする。
そして、外縁に着いたとき、俺は初めて、それを実物で見た。
塚。
雪原の真ん中に、小山が1つある。
自然の山じゃない。盛ったものだ。裾が円くて、稜線が滑らかで、上のほうに石が環になって並んでいる。
高さは、たぶん200メートル近い。
ゲームでは、ここが最終区域への入口だった。
俺は、この景色を、画面で何十回も見ている。
本物は、静かだった。
音が、まったくしない。
風は吹いている。なのに、風の音がしない。
「叔父さん、あれ」
ミアが、指した。
塚の裾から、3つ、立ち上がった。
高さ4メートル。
凍った土と、骨と、石が絡み合った形をしている。人の形に近いが、腕が長い。
墓守。
——格500帯。
俺は、そのとき、Lv478だった。
3体は、まずい。
シグルドが、銛を構えた。
ミアも、自分の銛を構えた。
俺は、2人に言おうとした。
「下がってください」と言おうとした。
その前に、ミアが走った。
「あたし、腱いける!」
——いけない。
墓守は、腱で動いていない。
あれは、凍った土が骨に張りついているだけだ。腱を狙えば、銛が土に刺さって、抜けなくなる。
ミアの銛が、1体目の膝の裏に入った。
そして、抜けなかった。
彼女が、柄を両手で引いた瞬間、墓守の腕が下りた。
——0.5秒じゃ、足りない。
俺は、隠すのを、やめた。
《紅蓮嵐》。
火の渦が、3体をまとめて包んだ。
墓守の外殻は、凍土だ。火では割れない。
だが、溶ける。
外側の氷が溶けて、中の土が緩んで、骨と土の噛み合わせが甘くなる。
——それが、下ごしらえだ。
俺は、そこへ、次を重ねた。
火を保持したまま、1/8拍ずらして、風。
《焔嵐》。
雪原が、鳴った。
3体が、内側から吹き飛んだ。
骨が、雪原の上を200歩ほど飛んで、散らばった。
火の渦が消えたあと、そこに残ったのは、円い焼け跡と、湯気と、泥だった。
ミアは、その泥の中に、尻もちをついていた。
シグルドが、動かなかった。
銛を構えたまま、10秒くらい、動かなかった。
それから、銛を落とした。
そして、膝をついた。
雪の上に、両膝をついて、彼はこう言った。
「……お前、何を殺してきた」
俺は、答えなかった。
答えられなかった。
4日前に、俺は「関わってません」と言っている。
そのとき。
泥の中から、声がした。
「うわああああ」
ミアだった。
彼女は、尻もちをついたまま、泥だらけの顔で、こっちを見ていた。
そして、目を、異常に輝かせていた。
「今の! 今の、なに!?」
「……魔法です」
「魔法って火でしょ! 火は赤いでしょ! なんで風が入ってんの!?」
「入れました」
「入るの!?」
「入ります」
彼女は、泥から立ち上がって、俺の前まで走ってきた。
そして、こう言った。
「もう1回やって!」
——この子だけ、反応が違う。
灰狼の80人は、静かになった。
避難民は、笑って止まらなくなった。
トビアスは、膝をついて震えた。
シグルドは、膝をついて「何を殺してきた」と言った。
この子だけが、「もう1回」と言った。
俺は、思わず、笑った。
久しぶりに、腹から笑った。
「……やりません。あれ、めちゃくちゃ疲れるので」
「えー」
「あと、あなたの銛、まだあそこに刺さってます」
「あっ」
◇
その夜、俺たちは塚の外縁の岩陰で火を焚いた。
シグルドは、火を見たまま、長いこと黙っていた。
そして、こう切り出した。
「うちには、口伝がある」
「はい」
「柱が起きるときの、しるしだ」
彼は、指を3本立てた。
「一、青い鎧の形をしたものが、里に降りる」
——霜の使徒だ。
「二、地の底の水が凍る」
——井戸だ。3本、同じ夜に。
「三、鳥が、北を避ける」
俺は、そこで、火を見ていた。
1つ目は、俺の頭の中にある。ゲームの進行フラグだ。
2つ目も、実はある。演出として実装されていた。
3つ目は、ない。
ゲームには、鳥がいない。
背景に飛んでいる鳥はいる。だが、あれはただの絵だ。避けもしないし、寄りもしない。
この世界にだけある、しるしだ。
「シグルドさん」
俺は、火の前で、頭を下げた。
「教えてください」
彼は、しばらく黙って、それから、鼻から息を吐いた。
「口伝は、あと11ある」
「はい」
「半分は嘘だ」
「……嘘」
「どれが嘘かは、うちの誰も知らん。5代前で切れとるからな」
彼は、火に枝を放り込んだ。
「選ぶのは、お前だ」
そして、最後に、彼はこう付け足した。
「1つだけ、意味の分からんのがある」
「はい」
「——昔、空を裂く者が、北へ来た」
俺は、顔を上げた。
「シグルドさん。その口伝、いつからありますか」
「知らん。あるだけだ」
「意味は」
「空を裂く、というのが分からん。剣で裂けるものじゃない」
彼は、火を見たまま言った。
「うちの一族は、代々、それを『たとえ話』だと思ってきた。空みたいにでかいものを退けた男が、昔いた、という話だと」
「……」
「だが、お前が今日やったのを見て」
彼は、そこで、初めて俺のほうを向いた。
「たとえ話じゃないかもしれん、と思った」
俺は、火の粉を見ていた。
——300年前。
——風の上級《断空》。
——刃は面ならず、線なりき。
王都の禁書庫で読んだ記録に、日付があった。三の月、十一の日。
そこには「山ひとつを退けた」と書いてある。
北へ来た、とは書いていない。
だが、この山には、それが残っている。
学者7人が読めなかった注釈を書いた誰かと、この一族の5代前が、同じ人間の話をしている。
「シグルドさん」
「なんだ」
「その人、どうなったんですか」
彼は、少し黙って、それから、こう答えた。
「口伝はそこで終わっとる」
——また、そこで終わる。
『柱を数える者は——』
『空を裂く者が、北へ来た』
2つとも、続きが書かれていない。
書けなかったのか。
書かなかったのか。
それとも——
書く人間が、いなくなったのか。
Lv.486




