62.一と二と三
その朝、街の井戸が3本、同時に凍った。
南三区、北四区、そして市場の中央。
離れた3か所だ。深さも違う。掘った年も違う。
それが、同じ夜に、同じ深さまで凍っていた。
俺は、3本とも見にいった。
南三区の井戸は、深さが14メートル。北四区が11メートル。市場の中央がいちばん浅くて、8メートルだ。
深さは、縄で測った。井戸ごとに、水汲みが自分の縄を持っている。3本とも借りて、結び目を数えさせてもらった。
3人とも、変な顔をした。誰も、自分の井戸の深さを数字で知らなかったからだ。
3本とも、水面から2メートル下まで、白く詰まっていた。桶を落とすと、途中で止まって、乾いた音がした。
——深さが、揃っている。
掘った年が違う。地面の高さも違う。井戸の底の高さは、3本とも別々のはずだ。
なのに、凍った深さだけが揃っている。
つまり、凍っているのは井戸の水ではない。
井戸が3本、たまたま同じ日に凍ったのではない。
3本の下を通っている、同じものが凍った。
市の水汲みが騒いで、灰狼が人を出して、正午には氷を割って通した。
そのあと、誰も、それ以上は気にしなかった。
「寒いですからね」
水汲みの男が、そう言って笑った。
深さが違うのに、凍った厚みが同じだ。
上から冷えたのなら、浅い井戸のほうが厚く凍る。
俺は、その3本の位置を、地図に落とした。
落として、線を引いてみた。
3点を通る線は、引けなかった。
3点で作った三角形の重心が、まっすぐ北を指していた。
——地下水だ。
シグルドの一族の口伝を、俺はまだ聞いていない。
このとき俺が知っていたのは、ゲームの仕様だけだった。
ヨトゥンの覚醒進行度が一定を超えると、地下水系が北から順に凍る。
ゲームでは、これは演出だった。街のNPCが「井戸が凍った」と言うだけの、雰囲気づくりの台詞。
進行度を示す指標だと気づいていたプレイヤーは、たぶん俺を含めて数人しかいない。
◇
俺は、地図を丸めて、宿の二階へ上がった。
そして、3人を集めた。
「昨日の話の続きです」
『順番が、先に決まっている』
紙のいちばん下に、その1行が残っていた。
「順番があるなら、番号がある。徹さんが、そう言いました」
「言いました」
「あります」
俺は、ステータスウィンドウを開いた。
「相馬さん。徹さん。称号の欄、見えますか」
2人が、同時に、宙を見た。
「……見えます」
「見えますね」
——両方、持ってる。
これは、確認しておく必要があった。
俺の《看破》は、他人の格しか見えない。称号は見えない。スキル欄も見えない。
だから、こうやって、自分で読み上げてもらうしかない。
「読めますか」
「読めません」
相馬が言った。
「記号が並んでるだけです。3年、そのままです」
「本数は」
「……本数?」
「横棒が何本あるか、数えたことありますか」
彼女は、少し黙って、それから、こう言った。
「3本です」
「そのうち、読めるのは」
「1本目だけ」
「なんて」
「一」
俺の背中を、何かが降りた。
「徹さん」
「はい」
「あなたのは」
「三っす。あと、横棒が3本」
「全部で4文字?」
「4文字です」
俺は、自分のを読み上げた。
「二。あと、横棒が3本。全部で4文字」
部屋が、静かになった。
「一、二、三っすね」
徹が、先に言った。
「一が相馬さん。二がノルンさん。三が俺」
「はい」
「着いた順です」
——一致する。
相馬が−15か月、俺が0、徹が+6か月。
着いた順に、一、二、三。
昨日の仮説3が、これで裏づけられた。
順番が、先に決まっている。
「なんだよ、俺、三番目かよ」
徹が、頭の後ろで手を組んだ。
「しょっぱいっすね。一番乗りしたかった」
「したかったんですか」
「いや、しなくていいっす。一番乗りの人、3年一人ですもん」
相馬が、鼻から息を吐いた。
笑ったのだと、俺には分かった。
場が、緩んだ。
——だが。
俺は、緩まなかった。
引っかかっているものが、2つあった。
1つ目。
文字数が、揃っていない。
相馬が3文字。俺が4文字。徹が4文字。
着いた順を示す番号なら、桁が揃うはずだ。「一」「二」「三」はどれも1桁で、後ろに続く言葉が同じなら、文字数も同じになる。
なのに、彼女だけが1文字短い。
2つ目。
柱だ。
泣き石で読んだ。市の1葉で読んだ。原本の注釈で読んだ。
『南の柱、眠りにつきしより千年』
『柱は、4つ』
『柱を数える者は——』
「一」「二」「三」は、人の順番として、確かに合う。
だが、柱の数としても、同じ形をしている。
俺は、竜を1体、殺している。
なら、俺は「一」のはずだ。
——合わない。
だから、柱ではない。
だから、人の順番でいい。
そう結論するのが、いちばん自然だった。
それでも、俺は、その日、それを口に出さなかった。
理由は、うまく言えない。
言えないが、1つだけ、はっきりしていることがある。
『柱を数える者は——』のあとが、書かれていない。
書けなかったのか、書かなかったのか。
500年前の誰かが、そこでペンを止めている。
——止めた理由が、あるはずだ。
俺は、それを確かめないまま、この2人に「お前らも柱の数かもしれない」と言うのが、嫌だった。
それだけだ。
たぶん、それだけだった。
「ノルンさん」
相馬が、部屋を出るときに、振り返った。
「顔、また白いですけど」
「……そうですか」
「言わないんですね」
俺は、答えなかった。
彼女は、それ以上、聞かなかった。
同じ日、俺はもう1つ、確かめた。
『???』のクエストログだ。
3人とも、受けた覚えのない依頼が1件だけある。それも確認済みだった。
だが、俺は、もう1つ聞いた。
「相馬さん。その依頼、中身を開けたことは」
「開きません。何度も試しました」
「文字数は」
「……文字数?」
彼女は、そこで初めて、俺と同じ顔をした。
『???』——3文字だ。
「わたし、3年、これを『分からない』の記号だと思ってました」
「はい」
「数えたことなかったです」
徹が、宙を見た。
「俺のも3個っすね。?が3つ」
3人とも、3文字。
こっちは、揃っている。
——じゃあ、称号のほうが、おかしい。
俺は、それを紙に書いた。
『クエスト 3・3・3(揃う)
称号 3・4・4(揃わない)』
同じ仕組みが配ったものなら、揃うはずだ。
揃わないということは、称号は、配られたものではない。
——あとから、変わるものだ。
そこまで書いて、俺はペンを置いた。
その先を書くと、1つの結論に着く。
相馬の3文字が、俺と徹より1文字少ないのは、彼女がまだ何かをしていないからだ、という結論に。
俺は、その紙を、二つに折った。
◇
その日の夕方、ヴィオに呼ばれた。
彼女は、井戸の報告書を机に投げて、こう言った。
「先生。北に、何がいる」
俺は、そこで、初めて答えた。
「名前を言っても、たぶん通じません」
「言え」
「ヨトゥン」
ヴィオの眉が、動いた。
「聞いたことがねえ」
「はい」
「どのくらいだ」
俺は、答えを持っていた。
持っていたが、口に出すのに、少しかかった。
「竜より、上です」
ヴィオは、しばらく俺を見て、それから、机の引き出しを開けた。
出したのは、地図ではなかった。
古い、粗末な木の札だった。
「読めるか」
俺は、それを受け取った。
炭で、こう彫ってあった。
『巨人狩り ハウグ家 北の山』
「30年前、うちの団に一族の男がいた」
ヴィオが言った。
「そいつが死ぬ前に置いてった。血筋がまだ2人だけ残ってるはずだ」
彼女は、傷のある側を歪めた。
「あんたが名前を言えねえもんに、名前を持ってる一族だ」




