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59.3つの村

朝、集会小屋に子供が集まった。


11人だった。いちばん小さいのが5歳のヨナ、いちばん大きいのが12のカイ。全員がすり切れた外套を着ていて、全員が板と炭の欠片を持っている。


スミレは、壁に立てかけた大きい板の前に立って、こう言った。


「じゃあ、名前から」


11人が、自分の名前を書きはじめた。


5歳のヨナは、3文字を書くのに、かなりかかった。1文字目で炭が折れて、2本目を出して、それでも書き切った。書き終えてから、スミレのほうを見て、返事を待つ顔をした。


スミレは、それを覗き込んで、こう言った。


「うん。きのうより、真ん中が真ん中にある」


ヨナが、笑った。


——褒め方が。


俺は、小屋の隅で、それを見ていた。


褒め方が、俺のやつだ。


「上手」でも「よくできました」でもない。昨日と比べて、変わった箇所を1つだけ言う。


3年半、俺が初心者に使い続けた言い方だった。


「相馬さん」


授業のあと、俺は聞いた。


「褒め方、誰かに教わりました?」


「教わってません」


彼女は、板を拭きながら答えた。


「ノルンさんが、こむぎさんにそうやってました」


「……見てたんですか」


「見てました。あれ、いいなと思って」


11人の来歴は、村長から聞いた。


全員、南の3つの村の生き残りだ。


去年の秋、スミレが荷馬車1台に詰めて連れてきた。3週間かかっている。


村長は、そのとき初めて彼女に「あんた、何者だ」と聞いたそうだ。


「なんて答えたんですか」


「『通りすがりです』だとよ」


村長は、鼻を鳴らした。


「通りすがりが、ガキ11人と、冬ごしの麦を2袋、置いてくか」


「麦も」


「毎回だ。顔を出すたびに、何か置いてく」


彼は、囲炉裏の灰をかき混ぜた。


「この村はな、19軒しかねえ。11人も増えたら飢える。それが分かってるから、あの女は、麦を持ってくるんだ」


「……」


「魔法は使わん。あの女、この村で一度も使ってねえ」


「なんでですか」


村長は、少しだけ考えた。


「聞いたことがある。そしたら、こう言った」


「『わたしが教えたことで、また誰か死んだら嫌だから』」


——教えた。


俺は、その一語で、引っかかった。


「使ったら」じゃない。「教えたら」だ。


彼女は、この村の子供に、魔法を教えることができる。


《溶岩落》を撃つ人間だ。中級までなら、たぶん半年で何人か育つ。


村は強くなる。魔物に怯えなくてよくなる。


それをやらない。


理由が、彼女の中で、俺と同じ形をしている。


——渡したら、死ぬ。


俺が1年前にたどり着いて、7日前に徹に殴られた、あの形だ。


   ◇


昼、リゼがスミレを手伝っていた。


麦を挽く仕事だ。石臼を2人で回す。俺は薪を割っていて、少し離れたところから、2人の声が聞こえていた。


リゼは、いつもの調子だった。


「その髪、生まれつきですか」


「こっちに来てからです。1年で抜けました」


「痛かったですか」


「痛くなかったです。それが、いちばん嫌でした」


臼が、ごろごろ鳴っていた。


「あなた、この村に何日いるんですか」


「月に4日くらいです」


「あとの26日は」


「歩いてます」


「どこを」


「北です。だいたい、北」


リゼは、そこで、少し黙った。


それから、こう聞いた。


「一人でですか」


臼の音が、止まった。


「……はい」


「3年」


「3年です」


俺は、薪を割る手を止めていた。


リゼは、しばらく何も言わなかった。


それから、臼を回しはじめて、こう言った。


「あなた、ずっと一人だったんですね」


俺のいる場所からは、スミレの背中しか見えなかった。


だから、顔は分からない。


分かったのは、臼が、3回、拍を外したことだけだ。


   ◇


その日の夕方、彼女は俺のところへ来た。


目のあたりが、少し腫れていた。


だが、それには触れないほうがいいと、俺にも分かった。


「ノルンさん」


「はい」


「1つ、聞いていいですか」


「どうぞ」


「いつから『相馬』って呼んでるか、気づいてます?」


俺は、口を開けて、閉じた。


——気づいてなかった。


「……いつからですか」


「峠の、次の日からです」


彼女は、指を2本立てた。


「最初の日は『スミレさん』でした。次の日から『相馬さん』になりました。3回目で気づきました」


「……すみません」


「謝らないでください」


彼女は、首を振った。


「3年ぶりだったんです」


「え」


「名字で呼ばれたの」


彼女は、外套の懐を、上から押さえた。


例の、四つ折りの紙が入っているところだ。


「『スミレ』は、わたしが自分でつけた名前です。ハンドルネームです。それは、忘れないんですよ」


「……」


「毎日、名乗るので」


彼女は、少し笑った。


「でも『相馬』は、19年間、一度も自分で名乗ったことがないんです。呼ばれるだけの名前だから」


「呼ばれなくなったら」


彼女は、そこで、言葉を切った。


「……薄くなります」


俺は、そのとき、たぶん人生でいちばん、言葉を選んだ。


そして、選び終わる前に、口が動いた。


「相馬さん」


「はい」


「相馬さん」


「……はい」


「相馬さん」



3回目で、彼女は、両手で顔を覆った。



俺は、それ以上、何もしなかった。



肩に手を置くのも、隣に座るのも、違う気がした。


だから、その場で、名前を呼び続けた。



日が落ちるまでに、何回呼んだかは、数えていない。



   ◇


翌朝、村を出るとき、5歳のヨナが走ってきた。


板を、両手で持っていた。


「せんせい。なまえ、かいた」



スミレは、しゃがんで、それを見た。



俺の位置からも、読めた。


炭で、大きく、3文字。



『すみれ』



——ああ。



この村の11人は、彼女を「スミレせんせい」と呼ぶ。


村長も、そう呼ぶ。



誰も「相馬」を知らない。



彼女は、教えていない。


自分の名前を書けるようにしてから他を教える、と言った人間が、自分の名前だけは教えていない。



スミレは、板を受け取って、ヨナの頭に手を置いた。


そして、こう言った。


「うん。『み』の一画目が、まっすぐになった」


ヨナが、跳ねた。



そのあと、彼女は同行すると言った。



「ヴェルンハイムまで行きます」


「……いいんですか」


「北の話をしないといけないので」



彼女は、荷を背負い直した。


「わたし、3年、北を歩いてます」


「はい」


「去年までは、氷原の縁まで行けました。今年、行けなくなりました」



俺は、足を止めた。



「行けない、って」


「凍ってるんです。去年まで凍ってなかったところが」


彼女は、北を指した。



「氷の線が、去年の秋から、南に40キロ動きました」



——40キロ。



「相馬さん。それ、誰かに言いましたか」


「言いました。村長に」


「なんて言われました?」


彼女は、鼻から息を吐いた。



「『今年は寒いな』って」



俺は、その返事を聞いて、しばらく歩けなかった。



——誰も、知らない。



40キロぶんの氷が南に来ていることを、この世界の誰も、災害として見ていない。


寒い年だと思っている。


それを異常だと言えるのは、氷原を3年歩いた人間と、ゲームの湧きデータを暗記している人間だけだ。



そして、その2人は、いま、同じ道を歩いている。



   ◇


峠の手前で、霜の使徒に当たった。



14体。


俺が口を開く前に、彼女が言った。


「わたし、要をやります」


「じゃあ、俺は外を」


「はい」



打ち合わせは、それだけだった。


彼女が扇の要に立って、突進線を1点に集める。集まったところへ《溶岩落》。


集まりきらずに外へ逃げた3体を、俺が拾う。



31秒だった。



終わってから、彼女は、白い水溜まりを見て、こう言った。


「……いま、3体、外に流れましたよね」


「流れました」


「記事には、扇は崩れないって書いてありました」



彼女は、俺のほうを見た。



「10体までしか、書いてないですよね」


「……書いてないです」


「11体以上だと、どうなるんですか」



俺は、答えた。


「外の2体か3体が、扇からこぼれます。数が増えるほど、こぼれる数も増えます」


「なんでですか」


「たぶん、後ろのやつは前が見えてないからです」


「たぶん」


「たぶんです。俺も、11体以上を数えたことはないので」



彼女は、しばらく黙って、それから、荷から板と炭を出した。



そして、書いた。



『11体以上→外に2〜3体こぼれる。ノルンさんも数えてない。要確認』



俺は、その板を、横から見ていた。



——書きはじめた。



3年、読むだけだった人間が、初めて、自分で1行書いた。



俺は、それを口には出さなかった。



出したら、たぶん、書かなくなると思ったからだ。



 Lv.473

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