55.遅い
露見から、3か月が過ぎた。
その3か月で、俺がやったのは3つだ。
灰狼の80人に、正の字の書き方を教えた。木の板は、2巡目には自分たちで削るようになっていた。
徹に、猟場を12か所ぶん渡した。彼は余白に、俺の書いていないことを24、書き足した。
そして、裂け目を回った。
裂け目は、大陸に7つある。
竜骨山脈の裏に2つ。東の高原に1つ。西の岬に1つ。そして、北の氷原の手前に3つ。
戻りは19日。1か所で9体。順に回れば、最初のところがちょうど戻っている。
3年半前、俺はこれを8か月続けて、600から750まで積んだ。
——同じことを、もう一度やればいい。
そう思っていた。
1巡目は、南の4か所を回った。
竜骨山脈の裏で2つ、東の高原で1つ、西の岬で1つ。9体ずつ、36体。
Lv.456
2巡目で、東の高原が凍った。
湯気が出ていない。縁が霜で白い。底を覗くと、20歩ほど下で氷が詰まっている。
俺が王都を出る前に見た、北の裂け目と、まったく同じ形だった。
27体。
Lv.459
3巡目で、西の岬が凍った。
ここは海のそばだ。潮の匂いのする岩場に、地面の傷から湯気が上がっている場所だった。
行ったら、湯気がなかった。
近くの漁師に聞いた。
「先月からだな」
「原因、分かりますか」
「今年は寒いんだろ」
18体。
Lv.461
3か月で、9だ。
1年前の俺なら、半日で上がった数字だった。
だが、上がらないことより、気になることがあった。
俺は、宿の卓に地図を広げて、凍った裂け目に印をつけた。
最初に凍ったのが、北の氷原の手前。次が、東の高原。そして、西の岬。
3つを、凍った日の順に並べた。
——北から、順に。
残っているのは、竜骨山脈の裏の2つと、北の氷原の手前の2つだ。
竜骨山脈は、大陸のいちばん南にある。
——あそこが凍るときは、もう全部が凍っている。
「ノルンさん」
リゼが、地図を横から覗き込んだ。
「これ、次はどこが凍るんですか」
「……北の、残り2つです」
「じゃあ」
彼女は、まだ印のついていない2つを、指で押さえた。
「先に行かないと、なくなりますね」
北の裂け目を2つ、片づけた。
凍っていない残りの2つだ。9体ずつで18体。
Lv.463
3つ目——最初に凍っているのを見つけたやつ——は、氷がさらに厚くなっていた。
底が、20歩下ではなく、10歩下まで上がってきている。
「上がってきてます」
リゼが、縁を覗いて言った。
「氷が、下から」
俺は、その日、ヴィオに報告した。
「北へ行きます」
「どこまでだ」
「氷原の入口まで。泣き石を見に」
ヴィオは、地図を出して、指で線を引いた。
「フロスト坂を越えろ。峠に隊商の休み場がある」
「はい」
「ただし、今月は3隊やられてる」
彼女は、線の途中を、爪で叩いた。
「霜の使徒だ。20体、30体で出るようになった」
出発は、5人だった。
俺、リゼ、ガウス、それとトビアスとヤナ。
徹は、街に残った。「俺、寒いのマジで無理なんで」と言って、灰狼の荷の管理を手伝うことになっていた。
道中、街道で霜の使徒に3度当たった。合わせて19体。ヴィオの言ったとおりだった。
フロスト坂は、2日目の午後だった。
峠の手前で、匂いに気づいた。
焦げた匂いだ。
雪の中で、焦げた匂いがした。
「走ります」
峠を越えたところで、俺たちは足を止めた。
戦場だった。
だが、終わっていた。
隊商が、街道の真ん中で止まっていた。馬車が6台。人が20人ばかり。全員、生きている。何人か座り込んでいるが、死体は1つもない。
そして、その周りに。
雪が、なかった。
半径100歩ほど、雪が消えていた。
地面が出ている。土がむき出しで、湯気が上がっている。
石が、赤い。
赤熱して、そのまま冷えかけている。
割れた岩が、放射状に飛んでいた。
そして、白い水溜まりが、40か所。
——40体。
「……ノルン」
ガウスが、掠れた声で言った。
「これ、なんだ」
俺は、答えられなかった。
答えは、分かっていた。
火と、土が、同時に落ちている。
赤熱した石。放射状に割れた岩。
火だけでは、岩は割れない。土だけでは、石は赤くならない。
《溶岩落》。
火と土の混合魔法。
俺が、17日と42回の暴発をかけて、河原で覚えたやつの、隣にあるものだ。
セシルが「二つの術式は同じ座を占められない」と断言したものを。
この世界の人間には、絶対に組めないものを。
誰かが、ここで撃った。
トビアスが、その場に膝をついた。
彼は、上級魔法の使い手だ。この世界に3人しかいない側の人間だ。
その男が、地面を見て、震えていた。
「これは」
「はい」
「これは、なんですか」
隊商の人間に、話を聞いた。
荷主は、40くらいの女だった。膝が笑っていて、立てないまま喋った。
「40体、いたんです」
「40」
「馬車を囲まれて、御者が2人やられて、もう駄目だと思って」
彼女は、赤い石を指した。
「あの子が、あそこに立ってて」
「あの子」
「白い、髪の。両手を、こう、開いて」
彼女は、両手を胸の前で開く仕草をした。
「そしたら、地面から石が出てきて、その石が、出てくる途中で燃えました」
「……」
「わたし、20年ここで商売してますけど、あんなもの、聞いたこともない」
ガウスが、俺の袖を引いた。
「おい」
「はい」
「あれ、お前がやるやつだろ」
俺は、答えなかった。
答えられなかった、が正しい。
そのとき。
雪の残っている、街道の外れ。
そこに、人が1人、立っていた。
背は、高くない。
外套のフードを外していて、髪が出ていた。
白かった。
染めたのでも、老いたのでもない。
生まれつきそうであるかのような、色の抜けた白だった。
彼女は、俺たちに背を向けていた。
そして、ゆっくり、振り返った。
若かった。
20歳前後に見えた。
顔に、見覚えは、なかった。
——当たり前だ。
俺が知っているのは、画面の中の、4体のキャラクターだけだ。生身の顔は、1つも見ていない。
彼女は、俺を見た。
そして、目を、細めた。
——気づいてる。
俺は、それが、すぐに分かった。
彼女は、俺の顔を確認していない。確認する必要がないからだ。
俺は、ノルンの顔をしている。
日本サーバーでいちばん名前を知られていたキャラクターの、顔をしている。
彼女は、口を開いた。
そして、言った。
「遅い」
ガウスが「あ?」と言った。
リゼが、俺の顔を見た。
トビアスとヤナは、意味の分からない音を聞いた顔をしていた。
——そりゃそうだ。
日本語だった。
俺の口が、勝手に動いた。
「……スミレさん」
彼女は、頷かなかった。
否定もしなかった。
代わりに、こう言った。
「3年、待ちました」
俺は、そこで、頭が真っ白になった。
——3年?
俺は、1年8か月だ。
徹は、1年2か月だ。
3年?
彼女は、俺の顔を見て、たぶん、それを読んだ。
そして、少しだけ、首を傾げて、こう続けた。
「最初の15か月、この世界のどこにも、あなたはいませんでした」
風が、雪を運んできた。
赤い石に落ちて、消えた。
「探しました」
彼女は言った。
「ステインにも、王都にも、南にも。あなたは、どこにもいなかった」
「……」
「わたし、あの日、投げられたんですよ」
彼女は、自分の肩のあたりを、手で押さえた。
「ノルンさんが、わたしを投げて、自分が落ちた。見てました」
「……はい」
「だから、こっちに来たとき、思ったんです。ノルンさんも、絶対どっかにいるって」
彼女は、そこで、初めて笑った。
笑い方が、遅かった。
冗談を言われて笑うときの、あの一拍。
普通の人間より、半拍ぶん、遅かった。
「15か月、いなかったんですよ」
「先に落ちたはずの人が、1年3か月遅れて着いたんです」
彼女は、笑ったまま言った。
「意味、分かります?」
「……分からない」
「わたしも分かりません」
彼女は、そう言って、雪の上を歩いてきた。
3歩手前で、止まった。
そして、こう聞いた。
「ノルンさん」
「はい」
「わたしの記事の使い方、間違えてました?」
——記事?
俺は、その言葉の意味が、そのときは、まだ分からなかった。
そのあと、彼女は、俺の後ろの4人に目を移した。
そして、この世界の言葉に切り替えて、丁寧に頭を下げた。
「はじめまして。スミレといいます」
——訛りが、ない。
俺より、この世界の言葉が、うまかった。
当たり前だ。3年いる。
リゼが、一歩前に出た。
彼女は、スミレの顔を、しばらく見ていた。
そして、こう聞いた。
「あなた、いま、この人になんて言ったんですか」
スミレは、少し考えて、答えた。
「遅い、って言いました」
リゼは、頷いた。
それから、俺のほうを見て、こう言った。
「ノルンさん」
「はい」
「この人、たぶん、あなたより長くあなたを待ってます」
——なんで分かるんだ。
俺が聞く前に、リゼは背を向けて、隊商の負傷者のところへ歩いていった。
雪の上に、赤い石が、まだ湯気を上げていた。
◇
その夜、俺たちは峠の休み場に泊まった。
スミレは、隊商の子供たちのところにいた。
5、6人が、彼女の周りに集まっていた。彼女は炭で板に何か書いて、子供に読ませていた。読めた子が笑って、読めなかった子がもう一度睨んでいた。
40体を消し飛ばした手が、板に字を書いていた。
ガウスが、俺の隣で、その様子を見ていた。
「なあ」
「はい」
「あれが、お前の探してた『先客』か」
「……たぶん」
「思ってたのと、違ったか」
俺は、答えるのに、しばらくかかった。
「宝箱を開けて、祭壇を踏んで、鉱脈を掘った相手です」
「おう」
「竜の巣の位置を、変えたかもしれない相手です」
「おう」
「それが、字を教えてます」
ガウスは、少し黙って、それから、こう言った。
「坊主。人ってのは、たいてい、思ってたのと違うぞ」
Lv.465




