54.渡していい相手
3日、考えた。
考えて、答えが出なかった。
だから、4日目の朝、俺は徹の前に紙を置いた。
「全部、書きます」
彼は、紙を見て、それから俺を見た。
「……いいんすか」
「よくないです」
俺は言った。
「でも、あなたの言ったことのほうが正しいので」
書いた。
7日かかった。
猟場を12か所。それぞれの獲物、格、湧く時刻、飽いの境界、戻りの日数。
契を23個。短剣で取れるもの、素手で取れるもの、逃げ回るだけで取れるもの。
危険の避け方を19項目。灰爪の見分け方。川の速さの測り方。藪に入ってはいけない条件。
金策を6つ。
最後に、いちばん上の頁に、こう書いた。
『これを疑いながら使うこと。
合わなかったら、俺ではなく、目の前のほうを信じること。』
——彼が、言ったことだ。
俺は、それを、自分の言葉として書いた。
書きながら、少しだけ、恥ずかしかった。
徹は、その束を受け取って、その日のうちに読み切った。
そして、翌朝、質問を持ってきた。
「12番の猟場、ここ、朝しか行けないって書いてありますよね」
「はい」
「なんでっすか」
「昼から、風が北に変わるからです。匂いが向こうに流れます」
「じゃあ、風がない日は昼でもいいんすね」
俺は、そこで、止まった。
——考えたことがなかった。
ゲームでは、風がなかった。
「午前のみ出現」という仕様だっただけだ。理由は俺が後付けした。
「……たぶん、いいと思います」
「たぶん、っすね」
「たぶんです」
「じゃあ、確かめます」
彼は、そう言って、出ていった。
◇
夕方に戻ってきて、こう報告した。
「風のない日は、昼でもいました。ただし数が3分の1でした。書き足しといてください」
俺は、書き足した。
彼の狩り方は、俺のやり方とは、まるで違った。
俺は、いつも「今日はここで何体」と決めて出る。決めた数まで狩って、帰る。
徹は、朝いちばんに、猟場を1周だけ歩く。
何も狩らない。歩いて、見て、戻ってくる。それから始める。
「なんで1周するんですか」
「棚卸しっす」
「たなおろし」
「今日、何がどのくらいあるか見とかないと、発注が読めないんで」
——発注。
彼は、藪兎の湧きを「入荷」と呼び、戻りの日数を「サイクル」と呼んだ。
俺が「飽い」と呼んでいるものを、彼は3日目に「慣れられた」と言い換えた。
「同じ棚ばっか触ってると、客が飽きるんすよ。あれと同じでしょ」
3週間で、徹はLv40になった。
そして、死ななかった。
かすり傷は山ほど作った。指を1本折った。3日寝込んだこともある。
だが、死ななかった。
一度も、死にかけなかった。
俺は、それが分からなかった。
——なんでだ。
1年前、俺は14歳の少年に、たった一言、渡した。
「東の森の谷筋なら、地形を使えば森狼が安全に狩れる。経験値は6倍以上だ」
それだけだ。
たった1つの助言で、パーティが壊滅して、1人が死んだ。
今回、俺は全部渡した。
猟場を12か所。契を23個。危険を19項目。
量でいえば、100倍だ。
なのに、こっちは死なない。
——量じゃない。
◇
その夜、宿の一階で、俺は徹の狩りの記録を見ていた。
彼は、俺の渡した束の余白に、自分で書き込んでいた。
『12番、風なし昼→数3分の1。要注意』
『藪兎、7羽以上いたら逃げる。転ぶ』
『灰爪、ノルンさんは「見れば分かる」と言うが分からん。耳の形で見分ける。丸いのが岩狼、尖ってるのが灰爪』
『川、膝まで入る前に石を投げる。石が流されたら渡らない』
『12番、帰り道は日が落ちる前に出る。落ちると風向きが変わって、匂いがこっちに来る』
——待て。
耳の形。
石を投げる。
俺は、どっちも書いていない。
俺は、束を最初から見直した。
余白の書き込みが、41か所あった。
そのうち、俺が書いたことの言い換えが、11。
俺が書いたことの訂正が、6。
そして、俺が書いていないことが、24あった。
——ああ。
そこで、やっと分かった。
トトは、俺の言葉をそのまま受け取った。
疑わなかった。確かめなかった。訂正しなかった。
英雄が言ったからだ。
徹は、俺の紙を材料として受け取った。
読んで、疑って、確かめて、自分のを書き足した。
同じものを渡して、受け取り方が違った。
じゃあ、違いはどこにあったのか。
トトは、14歳だった。
徹は、26歳だった。
——いや。
年齢の話じゃない。
徹は、8年、コンビニの夜勤をやっていた。
本部から降りてくるマニュアルを、8年、疑いながら使ってきた。
渡されたものを疑う癖を、彼はこの世界に来る前から持っていた。
トトは、14歳で、ステインの外に出たことがなくて、目の前の男が空を焼くのを見ていた。
疑う材料を、彼は1つも持っていなかった。
俺は、机に手をついた。
そして、もう1つ、思い出した。
ラスだ。
斧の少年に、俺は数字を渡した。岩ガニ209、鉄殻蟲139、1200回、200体。
全部渡した。
あいつも、死ななかった。
あいつは3年、笑われながら素振りを2000回やっていた。
うまくいかないことを、3年ぶん、体で知っていた。
だから、渡された紙を、そのまま信じなかった。「本当か?」と言いながら数えた。
——2人とも、疑う癖を持っていた。
攻略情報は、他人の人生の答えにはならない。
1年前に、俺はそこまでたどり着いた。
だが、そこで止まっていた。
答えにならないから、渡さない。そう決めた。
渡さないことで、俺は安心していた。
違う。
攻略情報は、他人の人生の答えにはならない。
だが、自分の判断を持っている相手には、地図になる。
答えとして渡せば、人を殺す。
地図として渡せば、人を助ける。
同じ紙が、渡し方で、両方になる。
俺は、その夜、初めて『やめどき』の次の頁に、字を書いた。
『この本の使い方
一、ここに書いてあることは、答えではない。地図である。
二、地図は、歩く者のものである。歩かない者には、ただの紙である。
三、書いてあることと、目の前が違ったら、目の前を信じること。
四、違っていた箇所を、余白に書き足すこと。
その1行は、俺が書いた全部より、あなたにとって価値がある。』
書き終えて、俺は、しばらくそれを見ていた。
——だけど。
俺は、そこで、もう1つのことに気づいてしまった。
徹には、渡していい。
トトには、渡してはいけなかった。
じゃあ——
大勢に配るときは、どうするんだ。
灰狼の80人。地割れに降りた4人。露店で紙を買った40人。
その中に、徹は何人いて、トトは何人いる。
分けられない。
会って、話して、確かめないと、分けられない。
そして紙は、俺が会ったことのない人間のところへ、勝手に届く。
俺は、ペンを置いた。
答えが1つ出て、次の穴が1つ開いた。
その穴を、俺は、まだ埋められない。
◇
翌朝、徹が起きてきて、寝ぼけた顔で言った。
「ノルンさん、書きました?」
「書いた」
「読んでいいすか」
彼は、四番まで読んで、それから、鼻を鳴らした。
「四番、いいっすね」
「うん」
「これ、俺が書いた分も本になるってことっすよね」
俺は、そこで、変な顔をしたらしい。
徹が、笑った。
「あー、考えてなかったでしょ。あんた、そういうとこっすよ」
「……そういうとこ」
「自分の書いたもんが、自分から離れてくのを、まだ計算に入れてないっす」
彼は、束を丸めて、肩に担いだ。
「8年やってると分かるんすけどね。マニュアルって、書いた人間がいなくなってから、本番なんすよ」
俺は、その言葉を、書き留めた。
意味が分かったのは、これも、ずっとあとだ。




