↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
53/87

53.理想に付き合わせるな

翌朝、俺は徹を連れて、東門から外へ出た。


短剣を1本、買ってやった。18銅貨の安物だ。


「まず、方針を言います」


俺は、そう切り出した。


「俺は、答えを渡しません」


徹は、短剣の柄を握ったまま、俺を見た。


「隣にいます。危なくなったら、剣を出します」


「はい」


「でも、どこへ行くか、何を狩るか、いつ帰るかは、全部あなたが決めてください」


「……はい」


「俺が決めると、あなたが決められなくなるので」


彼は、頷いた。


素直に頷いた。


——通じてる。


そのとき、俺はそう思った。


東門の外は、なだらかな藪だ。


藪兎が湧く。この街の子供が、木の棒で狩る相手だ。


「どっちへ行けばいいですか」


徹が聞いた。


「あなたが決めてください」


彼は、少し考えて、右へ行った。


1回目。


彼は、兎を1羽見つけて、追いかけた。追いかけて、藪の中へ入った。


藪の中には、兎が7羽いた。


囲まれた。


藪兎は弱い。噛まれても、かすり傷だ。


だが、7羽に足を取られて、彼は転んだ。転んだところを踏まれて、顔を引っかかれた。


俺は、剣を出さなかった。


死なないからだ。


彼は、自分で藪から這い出してきた。


「……追いかけちゃ、駄目っすね」


「そうですね」


「先回りしたほうがいい」


「たぶん」


2回目。


彼は、先回りした。


先回りして、待った。兎が来た。刺した。外した。


もう一度刺した。当たった。


「獲れました!」


俺は、頷いた。


3回目。


彼は、川を渡ろうとした。


向こう岸に兎の群れが見えたからだ。


冬の川は、見た目より速い。


彼は、膝まで入ったところで足を取られて、流されかけた。


これは、剣を出した。


正確には、柄を差し出して、掴ませて、引き上げた。


「……すみません」


「いえ」


「川、あんな速いんすね」


「速いです」


冬の川は、幅でも深さでもなく、水温で決まる。


膝まで入って3つ数えると、足の指の感覚がなくなる。感覚がなくなると、石の上に乗ったのか泥に乗ったのかが分からなくなる。


そこで、流される。


俺は、それを知っている。3年半のどこかで、何度も見た。


見ただけだ。あの川を、冷たいと思ったことは一度もない。


4回目で、それは起きた。


彼は、藪の切れ目の向こうに、大きい獲物を見つけた。


灰爪だ。


はぐれ個体で、1体。格でいうと35。


Lv1が近づいたら、3秒で死ぬ。


彼は、そっちへ、歩いていった。


俺は、そこで、初めて足が動いた。


「徹さん」


「はい」


「それは、駄目です」


彼は、止まった。


そして、振り返って、こう聞いた。


「……なんで駄目なんすか」


俺は、答えようとして、口を開けた。


そして、気づいた。


理由を言ったら、答えを渡すことになる。


「……見れば、分かりませんか」


これが、いちばん、まずい言い方だった。


   ◇


昼になった。


俺たちは、藪の縁の岩に座って、パンを食った。


兎は3羽獲れた。


徹は、パンを半分食って、それを膝に置いた。


そして、静かに言った。


「ノルンさん」


「はい」


「あんたの理想に、俺を付き合わせるな」


俺は、パンを持ったまま、動けなかった。


彼は、怒鳴らなかった。


声を荒げたのは、そのあとの1回だけだ。


「『お前が決めろ』ってのは、決めるための材料を持ってるやつの台詞っすよ」


「……」


「俺、材料ゼロなんす。何が強いのかも、何が危ないのかも、川がどのくらい速いのかも知らない」


彼は、指を1本立てた。


「1つ。あんたは1年5か月かけて材料を集めた。俺は11か月です。しかもその11か月で集めたのは、焦げたパンが出る時刻です」


2本目。


「2つ。『隣にいる』は、あんたが隣にいられる間しか成立しない」


彼は、北を指した。


「あんた、北に行くんでしょう。ヴィオさんが言ってました。そのとき、俺の隣は誰が埋めるんすか」


俺は、何も言えなかった。


3本目。


「3つ。さっきの灰爪。あれ、なんで駄目だったのか、いま俺、分かってません」


「……」


「見れば分かる、って言われました。分かんないっすよ。俺、あれ見て『でかい犬』としか思ってません」


彼は、パンを膝の上で握った。


「あんたが止めなかったら、俺、行ってました。行って、たぶん、死んでました」


「死んでから『自分で決めた』って言われても、俺、もう反省できないんすよ」


——ああ。


俺は、そこで、下を向いた。


そして、4本目が来た。


彼が、声を荒げたのは、ここだけだった。


「あんた、それで一回、誰か死なせただろ」


パンが、手から落ちた。


「顔に出てます。ずっと。さっきから、俺じゃなくて、別の誰かを見てる」


「……」


「そいつに答えを渡して、そいつが死んだんでしょう。だから今、渡さないようにしてるんでしょう」


彼は、俺の顔を、まっすぐ見た。


「その反省を、なんで俺が背負うんすか」


風が、藪を鳴らした。


俺は、返す言葉を、1つも持っていなかった。


1年かけて作った答えだった。


トトの左脚と、メルの死と、20日ぶんの朝と、全部で作った答えだった。


それが、いま、それを渡された当人の側から、殴られた。


「……でも」


俺は、やっと、そこまで言った。


「全部渡したら、あなたは、俺の言ったとおりに動くようになります」


「はい」


「そうなると、俺が間違えたときに、あなたも一緒に間違えます」


俺は、そこだけは、譲れないつもりだった。


これは理想じゃない。実際に起きたことだ。俺の一行で、東の森の谷筋に4人が入った。俺の一行で、地割れの底に4人が降りた。


徹は、少し首を傾げた。


そして、こう言った。


「ならないっすよ」


「……なりますよ」


「ならないです」


彼は、あっさり言った。


「俺、26っすよ」


俺は、その一言を、聞いた。


——聞いた。


だが、そのときの俺は、それを言い訳として処理した。


年齢の話をされたと思った。「大人だから大丈夫」という、根拠のない自信の話だと思った。


違った。


彼は、いま、この場で、答えを言っていた。


俺が、聞き落とした。


「……俺は」


「はい」


「俺は、渡すのが怖いんです」


「知ってます」


徹は、即答した。



「怖いのは分かります。でも、それ、あんたの問題っすよね」



そのあと、彼は少し黙って、それから、まったく別の口調で言った。



「俺、コンビニ8年やってるんすよ」


「……はい」


「本部からマニュアルが来るんです。分厚いやつ。で、そのとおりやると、現場が回らないやつが山ほどある」


彼は、パンの残りを口に入れた。


「新人が来るとね、俺、マニュアル渡します。全部渡します」


「……全部」


「はい。渡して、こう言うんです」



「『これ、疑いながら使って』って」


「疑いながら」


「はい。あれ、正しいときと正しくないときがあるんで。正しくないときのほうが、現場では多いっす」



俺は、その言葉を、聞いた。



聞いたが、そのときは、意味が分からなかった。


疲れていた。頭が回っていなかった。


だから、俺はそれを、ただの世間話として流した。


——あとで、これが答えだったと気づく。



だが、その日は、気づかなかった。



   ◇


夕方、街へ戻った。


徹は宿に置いて、俺は一人で城壁の上に上がった。


日が落ちていくのを、しばらく見ていた。



足音がした。



リゼだった。



彼女は、何も聞かずに、俺の隣に座った。


そして、何も言わなかった。



10分くらい、そうしていた。



「リゼ」


「はい」


「俺、間違えてた?」



彼女は、少し考えて、こう言った。



「知りません」



「……」


「わたし、あの人じゃないので。あの人が何を必要としてるかは、あの人にしか分かりません」


彼女は、膝を抱えた。



「でも、1つだけ言っていいですか」


「うん」



「ノルンさんの答えって、いつも、ノルンさんが後悔しないためのものですよね」


   ◇



俺は、その夜、原稿を開いた。



『やめどき』の次の頁は、白紙だった。



そこに何を書くべきなのか、俺には、まだ1文字も浮かばなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。