49.霜の使徒
朝5時に北門へ行くと、門が閉まっていた。
日雇いが20人、外で立たされていた。
「昨日の夕方、北街道で7人やられた」
門番が、閂に手をかけたまま言った。
「巡回の冒険者だ。灰狼が2小隊出てる」
「魔物ですか」
「分からん」
門番は、そこで声を落とした。
「青白いんだと。鎧の形をしてるが、中身がねえ」
俺は、その場で、背中が冷たくなった。
——鎧の形。
——中身がない。
門が開いたのは、7時だった。
日雇いは、戦闘要員ではなく荷運びに回された。避難民が北の集落から降りてくるので、その荷を受ける役だ。
俺は、荷車を1台押して、街道を北へ2キロ行った。
そこで、見た。
避難民の列が、街道いっぱいに伸びていた。200人くらいだ。
その後ろ、300歩ほど離れて、青白いものが歩いていた。
霜の使徒。
高さは、人の1.3倍。
鎧の形をしている。板金の継ぎ目まである。だが金属じゃない。全部、霜だ。中は空洞で、向こうの景色が薄く透けている。
歩き方が、人間より少しだけ遅い。
10体いた。
俺は、荷車の柄を握ったまま、動けなかった。
——なんで、ここにいる。
こいつは、この街の周りに湧くものじゃない。
ヨトゥンの道中に湧く随伴だ。
極北の巨人の墓所へ向かうとき、氷原に入ったあたりから、こいつが2体、3体と混ざりはじめる。塚に近づくほど数が増える。
つまり、湧いている場所が、ヨトゥンの領域だということだ。
その領域が、ここまで来ている。
そして、もう1つ。
——こいつを狩ると、あれが早く起きる。
ゲームでは、こうだった。
霜の使徒の討伐数が、そのままヨトゥンの覚醒までの進行度になる。倒せば倒すほど、覚醒が早まる。24人でレイドを組むプレイヤーは、わざと大量に狩って、覚醒のタイミングを自分たちで決めた。
逆に言えば、狩らなければ、あれは寝ている。
俺は、避難民の列を見た。
200人。
前のほうに、灰狼の前衛が15人。ハルダが盾を構えている。
——狩らなければ、寝ている。
——狩らなければ、この200人が死ぬ。
これは、選択ですらなかった。
俺は、荷車の柄を離した。
灰狼の前衛が、崩れたのはその直後だ。
霜の使徒は、突進する。
それは分かる。だが、この世界の誰も、いつ来るかを知らない。
ハルダは、盾を構えて待った。正しい判断だ。正しいのに、間に合わなかった。
盾が、割れた。
板金ではなく、革と木の層が縦に裂けた。ハルダが5歩吹き飛んで、背中から落ちた。
若い団員が槍で突きにいって、霜に刺さったまま持っていかれた。
避難民の列が、悲鳴で崩れた。
——0.5秒じゃ、足りない。
俺は、走った。
霜の使徒の突進には、必ず前兆がある。
左肩の霜が、一度、落ちる。
肩の霜が、ぱらりと剥がれて、地面に落ちる。それが合図だ。落ちてから突進まで、0.9秒。
だから、落ちた瞬間に前へ踏み込む。
逃げるんじゃない。前だ。
突進は直線で、加速に距離が要る。踏み込んで懐に入れば、そいつは加速する前の速度でしか動けない。
突進は、空を切る。
1体目。
肩の霜が落ちた。
俺は前に入った。
そして、そいつが空を切ってから、0.6秒の硬直が来る。
その0.6秒で、首と胴の継ぎ目を突く。
霜の使徒は全身が硬いが、継ぎ目の1か所だけ、霜が薄い。板金鎧と同じだ。作りが人の鎧を真似ているから、弱点まで真似ている。
継ぎ目に、剣が入った。
音は、割れる音じゃなかった。
溶ける音だった。
1体目、8秒。
2体目と3体目は、同時に来た。
俺は、2体目の突進の線に、3体目を入れた。
自分で避けるより、相手同士をぶつけたほうが速い。ゲームでも、ここは同じだった。霜の使徒は同士討ちの判定がある。
2体が絡んだところに、上から2回。
3体で、35秒。
4体目から7体目までは、まとめて処理した。
こいつらは、群れると扇の形に広がる。広がった扇の要の位置に立てば、4体の突進線が全部、俺の1歩前で交差する。
交差点に立って、待つ。
4体が同時に突っ込んできて、同時に空を切って、同時に0.6秒硬直する。
——4か所、継ぎ目。
右、右、返して左、踏み替えて左。
7体で、3分12秒。
8体目、9体目、10体目は、避難民のほうへ向かっていた。
俺は、そっちへ走った。
10体目に追いつく前に、避難民の子供が1人、転んだ。
——間に合わない。
いや。
間に合わせる。
俺は、剣を投げた。
回転させずに、まっすぐ。50歩。
継ぎ目に、入った。
10体目が崩れる音を背中で聞きながら、俺は8体目の突進線に入っていた。
——6分04秒。
10体、全部。
街道が、静かになった。
霜の使徒だったものは、白い水になって、街道の轍に溜まっていた。
俺は、投げた剣を拾いに行った。
拾って、振り返った。
200人が、こっちを見ていた。
誰も、動いていなかった。
ハルダは、背中から落ちたまま、上半身だけ起こしていた。
割れた盾を、まだ持っていた。
口が動いていたが、音が出ていなかった。
彼女は、そのまま4回ほど、口だけを動かした。
5回目で、やっと音が出た。
「……あたし」
「はい」
「あたし、あんたに、剣の振り方を教えたよな」
——教わりました。
「8日前だ。3匹に11回振るなって」
「……はい」
「あたし、あんたに、何を教えてたんだ」
俺は、答えなかった。
答えたら、どっちに転んでも、この人に嘘をつくことになる。
彼女は、割れた盾を見た。
それから、笑った。
自分を笑う笑い方だった。謝られるより、ずっときつかった。
若い団員が、槍を落とした。
石畳に当たる音が、やけに大きく響いた。
避難民の女が、笑い出した。
止まらなかった。両手で口を押さえて、それでも肩が揺れていた。壊れた笑い方だった。
別の団員が、「うそだ」と言った。
もう一度「うそだ」と言った。
それを、7回繰り返した。数えたのは俺だ。
商人らしい男が、荷車の脇にしゃがんで、吐いた。
日雇いのレンが、俺の3歩手前まで来て、止まった。
そして、言った。
「……ノル、さん?」
——ああ。
昨日まで、この人は俺を「ノル」と呼んでいた。
そのとき、一人だけ、動いた人間がいた。
ヴィオだった。
彼女は、避難民の列を横切って、まっすぐ俺のところへ来た。
顔色が変わっていなかった。それが、いちばん怖かった。
彼女は、俺の前で足を止めて、懐に手を入れた。
出したのは、剣ではなかった。
紙だった。
折り目のついた、署名のない紙。
『やめどき』と書いてある。
彼女は、それを俺の胸に押しつけた。
「……お前だな」
「……」
「筆跡だ」
彼女は、もう1枚出した。
灰狼の日雇い名簿の写しだった。いちばん下に、俺が書いた2文字がある。
『ノル』
「『ル』の下の跳ね方が同じだ。3日前に照らして、今日、確かめに来た」
「……いつから」
「日雇いに入った日から見てた」
彼女は、傷のある側を歪めた。
「格D、って言ったな」
「……はい」
「言い直せ」
俺は、少し黙った。
——ここまでだ。
「言えません」
「なんでだ」
「言ったら、たぶん、レンさんが俺に本当のことを言わなくなるので」
ヴィオは、しばらく俺を見ていた。
それから、こう言った。
「それを聞けたから、今日は良しとする」
◇
その夜、宿の部屋で、俺はステータスウィンドウを開いた。
Lv.445
7つ上がっていた。
そして、俺は、机の上に線を1本引いた。
紙の左に「10」と書いた。
今日、俺が倒した数だ。
右に、何も書けなかった。
——あれが起きるまでの日数が、今日、何日縮んだ。
分からない。ゲームには進行度の数字が出ていたが、この世界には出ない。
だが、縮んだのは確かだ。
——200人と、何日か。
俺は、その2つを、天秤に乗せてみた。
乗せてみて、すぐにやめた。
——今日は、これでいい。
そう思った。
思っただけで、答えを出したわけではなかった。
答えは、9か月後に、請求書として来る。




