48.【幕間】斧の男
【幕間】
——それ、斧だろ。
坊主。いま笑ったやつがいたな。
いいよ、笑って。オレも3年笑われた。
まあ、座れよ。奢ってやる。
長くなるからな。
オレはラス。ラス・ウェイドだ。この街の生まれで、17のときは、Fランク3年目だった。
3年目のFだぞ。
普通は1年でEになる。ならねえやつは、たいてい2年で辞める。オレは辞めなかった。辞めたら、何も残らねえからだ。
武器は、これだ。
片手斧。柄が短い。刃が厚い。死んだ親父の形見だ。親父は木こりで、冒険者じゃなかった。
この街で斧を使うやつは、オレしかいなかった。
理由は簡単だ。斧は弱い。
振るのが遅い。剣の1.4倍かかる。外したら隙がでかい。間合いも短い。
だから誰も使わねえ。ギルドの受付で「斧です」って言うと、書記が2回聞き返してくる。
素振りは、毎晩2000回やった。
誰よりやった。断言できる。夜、井戸の裏で、暗くなってから2000回。手のひらが3回割れて、3回治った。
それでも、上がらなかった。
パーティを組んでくれるやつは、3年で一人もいなかった。
鉄鋲のガロンってのがいてな。Eランクの5人組だ。あいつら、オレの依頼票をよく横取りした。
掲示板でオレが票を剥がすと、後ろから手が伸びてきて、「悪いな、こっちのが速えから」って持っていく。文句を言えば囲まれる。
酒場に入ると、必ず誰かが言った。
「おい、木こりが来たぞ」
それが3年だ。
で、去年の冬に、日雇いの男が来た。
灰狼の日雇いに「ノル」ってやつが混ざってた。銀灰の髪で、背が高くて、無愛想で、格はDだって言ってた。
なんで知ってるかっていうと、オレも同じ日雇いに出てたからだ。Fランクは依頼が取れねえから、日銭を稼ぐには日雇いしかねえ。
そいつは、変な男だった。
まず、弱い。
岩狼3匹に11回振る。オレでも8回だ。
なのに、猟場だけは異常に詳しい。「今日は中州から上はやめとけ」って言った日、上に行った班が3人担がれて帰ってきた。
それと、あいつは、人の武器をじっと見る癖があった。
3日目の帰り道だ。
そいつが、オレの斧を見て、いきなりこう言った。
「それ、弱い武器じゃない」
オレは、聞き返した。
「……は?」
「誰も正しい使い方を試してないだけだ」
オレは、そのとき、腹が立った。
素振り2000回を3年やった人間に言う台詞じゃねえだろ、と思った。
だから、言い返した。「じゃあ、あんたは正しい使い方を知ってんのかよ」って。
そいつは、少し考えて、こう言った。
「知ってる。でも、教えない」
「はあ?」
「一緒に狩る。お前が自分で気づいたぶんだけ、俺が確かめる。それでいいなら組む」
◇
その夜だ。
安酒場の裏で、そいつがオレに聞いた。
「なあ」
「なんすか」
「バカにされたままでいいのか」
——覚えてる。
そのとき、店の中でガロンたちが笑ってた。オレの真似をして、斧を振る仕草をやってた。
いつものことだ。
なのに、その日は。
オレは、泣いた。
17の男が、道端で、みっともなく泣いた。3年ぶんが全部出た。鼻水も出た。
「強くなりてえ」
オレは、そう言った。
たぶん、生まれて初めて、声に出して言った。
そこから3週間、そいつがやったことは、全部おかしかった。
まず、獲物を変えられた。
「岩ガニと鉄殻蟲だけやれ」
「え、あれ硬くて誰もやらないっすよ」
「硬いから、お前が有利になる」
こういうことだ。
斧は「当てる」武器じゃない。当たった1発で終わらせる武器だ。
だから、手数で削る相手には向かない。1発が通らねえと、次までが遅いからだ。
だが、外殻の硬い相手は違う。剣は弾かれる。突きも入らない。手数で削ろうとしたら1日かかる。
斧なら、割れる。
しかも、誰も岩ガニを狩ってなかった。
だから、沢の岩ガニは、いくらでもいた。
そいつは、こう教えた。
「岩ガニは210匹で飽いが来る。だから209で切り上げて、鉄殻蟲に移れ。鉄殻蟲は140だ」
「あきって、なんすか」
「同じもんばっかり狩ってると、伸びが落ちるってことだ」
「……そんな話、聞いたことないっす」
「知ってるやつが少ないだけだ」
オレは、数えた。
生まれて初めて、狩ったものを数えた。
それから、契ってのを教わった。
「重い武器で1200回当てると、体に何かが生える」
「生える?」
「膂力ってやつだ。名前は知らなくていい。1200回当てろ」
「1200」
「あと、外殻のある相手を斧で200体倒すと、もう1つ生える。兜割りだ」
オレは、聞いた。
「なんで、それ誰も知らないんすか」
そいつは、沢の石を蹴りながら、こう言った。
「誰も試してないからだ」
「試してない?」
「斧で200体倒したやつが、この世界に一人もいなかった。それだけだ」
——それだけ、って。
オレは、そのとき、腹の底が熱くなった。
3週間で、オレはこうなった。
岩ガニ、209。鉄殻蟲、139。甲羅ムカデ、88。
打ち込み、のべ1200を超えたのが12日目。そこで体が変わった。斧が軽くなった。軽くなったんじゃない、オレが強くなったんだ。
外殻持ちを200体倒したのが18日目。そこで、当たり方が変わった。
殻に当てると、前は「ゴッ」だった。それが「パキン」になった。
格でいうと、14から48だ。
3週間で。
ギルドの書記が、オレの札を3回見直した。
で、そこからだ。
3週間目の夕方、沢の帰りに、廃坑の入口で、ガロンたちに鉢合わせた。
あいつら、荷を担いでた。
麻袋だ。中身は聞かなくても分かった。黒縄の運び屋だ。この街の裏を回してる連中で、灰狼が10年追ってる。
見られたら、まずい。
ガロンが言った。「見たな」
5人。オレ1人。
師匠は、5歩後ろで、腕を組んで立ってた。
オレは、そっちを見た。
助けてくれ、って顔をしたと思う。
そしたら、そいつは、オレの背中を1回叩いて、こう言った。
「今のおまえなら大丈夫だ」
「え」
「見せてやれ。これまでのおまえの努力を」
——ふざけんな、と思った。
正直に言う。
前半は、まったく駄目だった。
間合いが遠い。手が震える。斧が重い。3年ぶん染みついた「オレは弱い」ってのが、体から抜けねえ。
膝を蹴られて転んだ。顔を踏まれた。
ガロンが笑った。「木こりが」って言った。
——ああ、また、これか。
そのとき。
後ろから、声が飛んだ。
何を言われたか、いま思い出しても、言葉にできねえ。
覚えてるのは、腹の底が、ドンと鳴ったことだけだ。
いや、1つだけ覚えてる。
名前を呼ばれた。
「ラス」って。
——3年、誰もオレを名前で呼ばなかった。
「木こり」か「おい」だ。ギルドの書記だって、札の番号で呼ぶ。
だから、体が勝手に動いた。
そこからは、憶えてる。
1人目。踏み込みを半歩浅くした。斧は半歩浅くていい。そう教わってた。
パキン、と鳴った。
——ああ、こいつら、殻がねえんだ。
2人目は、剣で受けた。受けたのが間違いだ。折れた。
3人目は、逃げようとした背中に入れた。峰でだ。それでも吹っ飛んだ。
4人目と5人目は、腰が抜けてた。
終わったとき、オレは肩で息をしてた。
5人が、地面に転がってた。
師匠が、来た。
そして、オレの頭を、ぐしゃぐしゃにした。
「見たか」
「……はい」
「それ、全部おまえの3年だぞ」
——そこで終わってりゃ、いい話だ。
だが、ガロンは、事前に呼んでた。
廃坑の両側の藪から、ぞろぞろ出てきた。
黒縄だ。
オレは、数えるのをやめた。
あとで灰狼が来て数えたら、34人いたそうだ。
膝が笑った。
なあ坊主。34人だぞ。
——で、師匠がどうしてたと思う?
笑ってた。
焦ってる様子が、1ミリもなかった。
それどころか、囲まれたまま、普通にダメ出しを始めた。
「3人目のとき、息を止めてただろ」
「え」
「あそこは吐きながら振れ。止めると肩が上がる」
「あの、師匠」
「あと入り方が半歩深い。斧は半歩浅くていいって言ったろ」
「囲まれてます」
「知ってる」
——知ってる、って。
黒縄が、一斉に来た。
そのとき師匠が、初めて低い声で、こう言った。
「水を差してんじゃねぇよ」
——そこから先は、うまく話せねえ。
何が起きたか、見えなかったんだ。
音がした。風が来た。廃坑の入口の石畳が、真ん中から割れる音がした。
砂埃が引いたとき、立ってるのは、師匠とオレだけだった。
ガロンは、座り込んで小便を漏らしてた。
一党の1人は、地面に額をこすりつけて、何か叫んでた。言葉になってなかった。
残りは、転びながら逃げていった。走り方が、人間じゃなかった。
◇
坊主。
あの人が、どのくらい強いのか、オレは今も知らない。
聞いたことがある。「師匠、格はいくつなんすか」って。
そしたら、こう言った。
「Dだよ」
師匠は、埃を払って、それから、いつもの顔で笑った。
そして、こう言ったんだ。
「さあ、今日は俺のおごりだ。うまい飯で祝勝会だな」
——祝勝会は、この店だった。
そこの、窓際の卓だ。
オレは、肉を食った。3年ぶりに肉を食った。
師匠は、途中で寝た。
師匠は、そのあとも、しばらく街にいた。
途中から、灰狼の連中が「先生」って呼びはじめた。オレにはよく分からん。日雇いが、なんで先生になるんだ。
半年くらいして、北へ出ていった。
北に用がある、って言ってた。それだけだ。
一度だけ、昔の話をしたことがある。
「昔、4人の初心者を連れて歩いてたんだ」
それだけだ。それ以上は言わなかった。
オレは、いまCランクだ。
まだ全然、追いつけてねえ。
でもな。
教わったことは、全部、紙に書いて残してある。
岩ガニ209。鉄殻蟲139。1200回。200体。斧は半歩浅く。吐きながら振れ。
いま41枚ある。
師匠が「そうしろ」って言ったからじゃない。
師匠が、そうしてたからだ。
——あのな、坊主。
冬に、北の空が裂けたのを見たか。
あれの方角だよ。




