46.中の下を演じる
朝5時の北門に、日雇いが11人集まっていた。
半分は俺と同じ流れ者だ。残りは、この街で食い詰めた連中。
そこへ、女が来た。
背は高くない。がっしりしている。灰狼の紋章を襟に留めて、革の胸当てに矢傷の跡が3つ。
「狩り班副長、ハルダ・ケリクだ」
彼女は名簿を持って、11人の前を歩いた。
「先に言っとく。あたしの仕事は、あんたらを死なせないことじゃない。うちの正規団員を死なせないことだ」
「日雇いが死んでも、あたしは書類を1枚書くだけで済む。だから、自分の命は自分で持っとけ」
——正直な人だな。
俺は、少し好きになった。
彼女は、名簿を読みながら、順に値踏みしていった。
そして、俺のところで止まった。
「ノル。格D」
「はい」
彼女は、俺の剣を見た。
それから、俺の手を見た。
「その剣、飾りか」
「使います」
「握りだこの位置が変だ。あんた、剣より鍬のほうが長いだろ」
——鍬。
俺は、うつむいて「はあ」と言った。
これは、まったくの嘘ではない。
俺の手のたこは、この1年半でついたものだ。ノルンの体は、3年半のゲーム内の鍛錬を1つも持っていない。ガウスに握りを教わって、そこから積み直した。
Lv438の膂力と、1年半ぶんの技術。
その組み合わせは、この世界のどこにも前例がない。
猟場は、北の沢だった。
岩狼が湧く。格でいうと30前後。この街の日雇いにはちょうどいい獲物だ。
そして、俺の仕事はここから始まった。
弱く見せる。
ゲームでは、これをやる必要がなかった。
称号《無銘》を付けていれば数字は隠れる。だから、ただ動かなければよかった。指示だけ出して、剣を抜かない。それで済んだ。
だが、ここでは違う。
動きながら、弱く見せなければならない。
岩狼が3体、藪から出てきた。
本気でやるなら、こうだ。
岩狼は跳びかかる前に、必ず後ろ脚を1回引く。引いた足が地面を離れる瞬間が3拍目。そこへ入って、首の腱を1つ切る。1撃で終わる。
3体でも、5秒かからない。
俺は、そうしなかった。
まず、間合いを一歩遠く取った。
格の低い人間は、距離感が悪い。怖いから、無意識に遠く立つ。そして遠いから、初撃が届かない。
俺は、届かない位置から振った。
空を切った。
——これが、いちばん難しい。
本気で振れば、この体は勝手に当ててしまう。だから振る前に、重心を半歩ずらす。ずらしておけば、腕が正しく動いても、剣先が届かない。
外すには、技術がいる。
2体目が横から来た。
俺は、それを肩で受けた。
革鎧が裂けた。
痛くない。
——痛くないのが、いちばん困る。
俺は、歯を食いしばる顔を作って、半歩よろけた。
5撃目で、ようやく1体目の足を斬った。
7撃目で、首。
3体を片づけるのに、11拍かかった。
そして最後に、いちばん難しい仕事が残っている。
息を上げることだ。
Lv438の肺は、この程度で息が上がらない。走っても上がらない。汗もかかない。体温の調節が勝手にうまくいく。
だから俺は、剣を下ろしてから、意識して息を止めた。
止めた分だけ、まとめて吐く。喉の奥で、音を作る。
そして水筒の水を、首筋に垂らした。
「おい日雇い」
ハルダの声が飛んだ。
「11回だ」
「え」
「3匹に11回振った。うちの新人は6回で終わる」
「……すみません」
「謝るな。数えとけ」
彼女は、名簿に何か書いた。
——助かった。
そう思った自分に、少しだけ、嫌な感じがした。
◇
昼、沢の岩に座って弁当を食った。
弁当は出ないので、俺は宿で買った黒パンを齧った。
隣に座った日雇いが、話しかけてきた。40くらいの男で、名前はレンといった。
「あんた、王都から来たんだって?」
「はい」
「じゃあ、あれ本当か。土の秘伝」
俺は、パンを噛む速度を変えないようにした。
「何がですか」
「魔術院の連中が、本当に使えるようになったって話だ」
「……らしいですね」
「うちの弟が、あの紙を買ってな」
俺は、顔を上げなかった。
「行ったんですか」
「行った。39回で戻ってきた」
レンは、パンをちぎった。
「途中で怖くなったんだと。情けねえって言ってやったよ」
「……」
「隣の家の倅は最後まで行った。あっちは、戻ってこなかったが」
彼は、笑った。
悪気のない笑いだった。
「弟のほうが賢かったってことかね」
俺は、パンを飲み込んだ。
39回で戻ってきた男が、この街で笑われている。
——それだ。
俺が書き足すべきなのは、前提だけじゃない。
やめて戻ってきたやつが、笑われない書き方だ。
午後、班が2つに分かれた。
ハルダが行き先を読み上げる。
「A班、沢の中州から上流。B班、下流の淵」
俺は、手を挙げた。
「あの」
「なんだ」
「中州から上は、やめたほうがいいと思います」
沢が、静かになった。
ハルダが、名簿を下ろした。
「日雇いが、猟場に口を出すのか」
「すみません」
「理由は」
俺は、そこで、言葉を選んだ。
——地形だ。
中州から上流は、両岸が切り立っている。降りられるのは中州の1か所だけで、退路がそこしかない。
岩狼は群れで、追われると横に散る。散った群れは、下流へ抜けようとして、必ず中州へ集まる。
つまり、人間の退路と、狼の退路が同じ場所になる。
ゲームでも、あそこは有名だった。初心者が地形を読まずに突っ込んで全滅する場所として、掲示板に何度もスクリーンショットが上がっていた。
だが、そのままは言えない。
「行ったことがあるのか」と聞かれて、「ないです」と答えたら終わりだ。
「……上の岸、切り立ってますよね」
俺は言った。
「降り口が中州の1か所だけです。追い込んだら、狼も同じところに来ます」
ハルダは、俺を見た。
しばらく、何も言わなかった。
「B班に入れ」
彼女は、それだけ言った。
夕方、A班が戻ってきた。
3人、担がれていた。
腕を裂かれたのが2人。腿を噛まれたのが1人。全員が中州で、下流へ抜けようとした群れと正面から鉢合わせていた。
死者はいなかった。それは、A班に正規団員が2人いたからだ。
ハルダは、負傷者を荷車に乗せてから、俺のところへ来た。
彼女は、何も言わずに、俺の顔を見た。
「日雇い」
「はい」
「格Dなのに、なんで猟場を知ってる」
「……人から聞きました」
「誰に」
「王都で」
「王都のやつが、ヴェルンハイムの沢の地形を知ってるのか」
俺は、うつむいた。
彼女は、それ以上追及しなかった。
代わりに、こう言った。
「明日も来い」
帰り道に、それは起きた。
◇
日が落ちかけていた。街道まであと1000歩というところで、藪から1体、遅れて出てきた。
岩狼にしては大きい。灰爪だ。この時間帯に出るのは、群れからはぐれた個体だけだ。
そいつが跳んだ先に、日雇いのレンがいた。
レンは、振り返っていなかった。
——0.5秒。
俺は、そこで、演技をやめた。
正確には、0.5秒だけ、やめた。
——それで、終わっていた。
灰爪は、レンの2歩手前で、横倒しになっていた。
首が、繋がっていなかった。
レンが振り返ったときには、俺はもう、剣を鞘に戻して、7歩後ろに立っていた。
息を、荒くしていた。
「な、なんだ今の」
「狼です」
「いや、それは分かるが、誰が」
「……たぶん、正規の方が」
正規団員の一人が「俺じゃねえよ」と言った。
11人が、しばらく顔を見合わせていた。
そのうち誰かが「まあ死んでるからいいか」と言って、話は終わった。
——速すぎると、誰も見えない。
これは、3年半で学んだことだ。
人は、見えなかったものを、なかったことにする。
歩き出そうとしたとき、後ろから声がした。
「なあ」
ハルダだった。
彼女は、灰爪の死体の横に片膝をついて、切り口を見ていた。
「……いま」
彼女は、顔を上げなかった。
「なんかした?」
俺は、いちばん自然に聞こえる声を選んだ。
「何がですか」
彼女は、しばらく切り口を見ていた。
それから立ち上がって、手を払って、こう言った。
「いや。なんでもない」
◇
その夜、宿でステータスウィンドウを開いた。
Lv.438
日当、銅貨25枚。
俺は、その25枚を、机に並べた。
竜の素材で金貨1180枚を動かした男の、今日の稼ぎだ。
並べてみると、けっこう、悪くなかった。




