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43/88

43.柱という数え方

王都に戻ると、アイリーンが門の外まで出てきていた。


雪の中に、外套も着ないで立っていた。


「通りました」


彼女はそれだけ言った。


「何がですか」


「飽いです。戻りです。契です」


彼女は、抱えていた綴りを差し出した。


「院の書式に、載りました。今日の朝の評議で。反対は2票、賛成は9票、棄権が4票です」


俺は、その綴りを受け取った。


表紙に、彼女の字で題が書いてあった。


『飽いと戻りについて  第一稿』


「著者が2人になっております」


アイリーンが言った。


「勝手に、あなたの名前を書きました。文句があるなら評議に」


「……ないです」


「そうですか」


彼女は、それから、鼻の頭が赤いのに気づいたように、袖で顔をこすった。


「寒いですね」


「1時間くらい立ってましたよね」


「30分です」


——嘘だ。


だが俺は、それ以上言わなかった。


地下三層へ降りたのは、その足でだった。


俺は、書き写した3行の紙を持っていた。


裂け目で見た霜のことは、まだ誰にも言っていない。言っても意味が分からないからだ。


だが、この3行のことは、9日間ずっと頭にあった。


「これ、なんとかならないですか」


「なりません」


アイリーンは即答した。


「わたしは11年、これを読もうとしております。院で3人が読めず、大陸の学者7人に写しを送って、7人とも読めませんでした」


「7人とも」


「『これは文字ではなく装飾である』という返事が2通ありました」


俺は、机に紙を置いた。


灯りを引き寄せた。


3行。


同じ記号が、4回出てくる。1行目の頭。2行目の真ん中。3行目に2つ。


「アイリーンさん。この言葉って、いつごろのものですか」


「本文よりさらに古い、としか。おそらく400年から500年前」


「その頃の言葉って、今、どこかに残ってませんか」


「残っていれば読めております」


「いや」


俺は言った。


「地名に残ってませんか」


アイリーンの手が、止まった。


これは、俺の思いつきじゃない。


『ルーンヴェルト・オンライン』には、地名の語源が全部設定されていた。運営が公式ページに「世界設定資料」として置いていたやつだ。ほとんどのプレイヤーは読まない。


俺は、全部読んだ。


3年半前に、暇だったからだ。


「ギンヌン」


俺は言った。


「裂け目、って意味です」


「……なぜご存じなのですか」


「あとで説明します。続けます」


「ニヴル。霧、あるいは凍る」


「ミーミル。記憶」


「カルナス。骨」


「ステイン。石」


「ヴェルンハイム。ヴェルンが守る、ハイムが家」


「エルスハイム。エルスが王、ハイムが家」


アイリーンは、羽根ペンを取っていた。


書き取る手が、震えていた。


「ハイムが2つに出てきます」


俺は言った。


「2つの地名に同じ音がある。じゃあ、その音の記号は、どっちの地名にも同じ形で入ってるはずです」


「……古い碑文はございます。ヴェルンハイムとエルスハイムの両方が刻まれた石が、南街道の道標に」


「写しは」


「あります」


彼女は、抽斗を3つ開けて、拓本を出した。


そこから先は、ほとんど作業だった。


2つの地名で共通する記号を探して、ハイムを確定する。


次に、ヴェルンとエルスの記号を分ける。それぞれ「守る」「王」の意味が乗る。


ニヴル、ミーミル、カルナス、ステイン、ギンヌン。名詞が5つ増えた。


そこまで来ると、音の並び方の癖が見えてくる。この言葉は、名詞の頭に必ず一拍置く。日本語でいう「お」みたいなものだ。


深夜になった。


アイリーンが2度、蝋燭を替えた。



そして、午前3時ごろ。



1行目の、頭の記号が割れた。



——南。



俺の指が、止まった。



「南……ですね」


アイリーンが、震える声で言った。


「南、の。次が、例の4回出てくる記号です」



俺たちは、その記号を、拓本の中から探した。



見つかったのは、まったく別の場所だった。


北の氷原の入口に、古い石碑がある。誰も読めないので、地元では「泣き石」と呼ばれている。その拓本の中に、同じ記号があった。


そして石碑の下半分には、後世の書法で、こう彫り直されていた。


『——ここより北、神の座あり』



「……神」


アイリーンが言った。


「では、この記号は」



俺は、その形を見た。


縦に1本。横に3本。それを囲む輪。



「柱、じゃないですか」


「はしら」


「神を数えるときの、柱です。一柱、二柱、って数える」



アイリーンが、口を押さえた。



そこから1行目が繋がるのに、10分もかからなかった。



『南の柱、眠りにつきしより千年』



俺は、その1行を、3回読んだ。



——南。



——南だ。


竜骨山脈は、王都から見て南にある。


カオスドラゴンの巣は、山脈の南麓だった。焼けた村は3つとも南麓だ。


千年前、この大陸に竜が出たと、記録が残っている。それきり出ていない。


千年。



俺は、椅子の背にもたれた。


天井を見た。



——あれ、災害じゃなかったのか。


俺はゲームで、あれを何度も殺した。「中盤の山場」だった。24人で挑んで、47分で片づけて、ドロップを分けて解散する。それだけのものだった。


だが、この世界の、俺より500年前の誰かは、あれをこう呼んでいた。


南の柱。



「2行目、いけますか」


俺は言った。



2行目は、途中で潰れていた。


読めたのは、頭の3語だけだ。



『柱は——』



そのあとに、数を表す記号が来ている。だが、そこに炭がかぶっていた。


輪郭は残っている。縦棒が、たぶん複数。


「1本ではありません」


アイリーンが、拡大鏡を当てて言った。


「少なくとも2本。3本かもしれません。上に何か乗っているようにも見えます」


「読めませんか」


「読めません。これは、わたしの11年でも無理です」



3行目にいった。



3行目は、こう始まっていた。



『柱を数える者は——』



そこで、羊皮紙が終わっていた。


炭化ではない。切れているのでもない。


その先が、もともと書かれていない。


「途中でやめたんですね」


俺は言った。


「そのようです」


アイリーンは、じっと3行目を見ていた。


「あるいは、書けなかったか」



俺は、その夜、宿に戻らなかった。


地下三層の隅で、壁にもたれて座っていた。



そして、ステータスウィンドウを開いた。



 称号:二―――



——「二」。


俺は、ずっと、これを「二人目」だと思っていた。


檻の中でジェスタが言ったからだ。「見たことのない魔法を使うやつは、お前で二人目だ」と。


だから、一人目がいる。俺は二人目。そう読んだ。


だが。



——柱を数える者は。



俺は、自分の手を見た。


竜を、1体。



——1つ、殺してる。



「二」は、まだ「二」だ。


殺した数が1なら、「一」のはずだ。


だから、これは殺した数じゃない。



——じゃあ、なんの数だ。



考えても、材料がなかった。


材料がないまま考えるのは、俺のいちばん嫌いなことだ。


   ◇


朝、アイリーンが目録を持ってきた。


彼女は一睡もしていない顔をしていた。俺も同じだろう。


「ノルンさん」


「はい」


「300年前の記録は、4葉あると申しました」


「はい。第一葉が読めて、第三葉が隅だけ、あとの2葉が炭だと」


「訂正します」


彼女は目録を開いた。


「院にあるのが4葉です。同じ書法の断片は、北にもう1葉あります」



俺は、顔を上げた。


「北のどこですか」


「北方交易都市ヴェルンハイム。市の書庫に、『読めない紙』として300年保管されているそうです。院は3度、貸与を申し入れて、3度断られております」


「なんで断るんですか」


「あの街は、王国のものを1枚も渡しません」


彼女は眼鏡を押し上げた。


「代わりに、交換なら応じるそうです」


俺は、立ち上がった。



北。



裂け目が凍っていたのも、北だ。


鳥がいなくなったのも、北だ。


白い髪の女の噂が集まっているのも、北だ。


そして、まだ狩っていない裂け目が3つ残っているのも、北だった。



理由が、4つ揃った。



——いや。



俺は、雪の降る階段を上りながら、自分に訂正した。



——5つだ。

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