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42/86

42.9体で移る

原稿を院に預けた翌日、俺は狩りに出た。


5か月ぶりだった。


左腕が使えなかった5か月、俺は一度もまともに狩っていない。


その間、格は420から1つも動いていない。


これには理由がある。


この世界には、格420の獲物がいない。


冒険者の頂点はSランクで、大陸に3人。格でいうと200そこそこだ。


彼らが「強敵」と呼ぶものは、俺にとっては経験値にならない。格差が開きすぎると、倒しても入ってくるものがほとんどなくなる。


竜を殺したとき、俺は一気に70上がった。


だが、竜は千年に1度だ。


——じゃあ、どうするか。


答えは、頭の中にある。


格400を超えたら、量を捨てて、希少に移る。


宿の卓に、俺は地図を広げた。


ガウスが向かいでパンを齧っていた。リゼが横から覗き込んで、セシルが灯りを持ち上げた。


「竜骨山脈の、裏です」


俺は、南東を指した。


「火口跡の反対側。地面が割れて、地脈が地表に出てる場所があります。裂け目と呼びます」


「聞いたことがねえな」


「行っても何もないからです。草も生えないし、獣もいない」


「じゃあ何しに行くんだ」


「地脈喰いを狩りに」


3人が、同時に俺を見た。


「なんです、それ」


セシルが言った。


「聞いたことがありません」


「たぶん、この世界の誰も知りません」


俺は説明した。


地脈喰いは、獣ではない。


地脈の吹き出し口に、光と鉱物が絡まって立ち上がるものだ。形は人に近い。背丈は3メートル。全身が石英みたいに透けていて、中に赤い筋が走っている。


物理はほとんど効かない。斬っても光の中を通る。


だが、こいつは脈打つ。


地脈が吸われて、吐かれる。呼吸と同じだ。吸うときは透ける。吐くとき、0.8秒だけ実体になる。


そこを叩く。


「0.8秒」


ガウスがパンを置いた。


「見えるのか、そんなもん」


「見えます。吐く直前に、中の赤い筋が下から上へ走る。それが足元から胸まで来たら、実体化してます」


「……お前、なんでそれを知ってる」


「昔、聞きました」


嘘だ。


俺は、3年半前に、それを検証して書き込んだ側だ。


「で、こいつを狩ると、どうなるんですか」


リゼが聞いた。


「毒沼のリザードマンって、覚えてる?」


「はい。あの気持ち悪いやつ」


「あれの、4万倍」


セシルの手から、灯りが傾いた。


「よ、4万」


「1体で」


「1体で!?」


「はい」


「じゃあ何十体も狩れば」


「9体です」


俺は言った。


「10体で、飽いが来ます」


部屋が、静かになった。


「……9体」


「9体です。10体目から、目に見えて落ちます。20体目にはほとんど入りません」


「では、その裂け目には何度も」


「戻りが19日です」


俺は、地図に指を7本立てた。


「裂け目は、大陸に7つあります。竜骨山脈の裏に2つ、東の高原に1つ、北の氷原の手前に3つ、西の岬に1つ」


「……7つ」


「19日で7つ回れば、また最初の裂け目が戻ってます」


ガウスが、口を開けたまま止まっていた。


「おい」


「はい」


「それ、一生ぐるぐる回れるってことか」


「はい」


「……ゲェッ」


——うん、その反応が正しい。


ゲームでも、これは同じだった。


実装されたとき、地脈喰いは「効率が悪い」と言われて誰も狩らなかった。理由は単純で、戻りが19日もあるからだ。1か所で9体しか取れないのに、次に来られるのは19日後。普通のプレイヤーは、そんな面倒な巡回はしない。


だから、この獲物を巡回で回していたのは、廃人だけだった。


俺は、その7か所を、19日周期で、8か月回り続けた。


600から750までを、そこで積んだ。


   ◇


——今回は、あと少しだけだ。



竜骨山脈の裏まで、6日かかった。



裂け目は、地面の傷だった。


長さ200歩、幅は広いところで4歩。底が見えない。縁から白い湯気が上がっていて、近づくと足の裏が熱い。


草がない。虫もいない。鳥が上を飛ばない。


「気持ち悪い場所ですね」


リゼが言った。


「よく人が来ませんね、こんなところ」


「来ないから、残ってるんです」



そして、湧いた。



裂け目の底から、光が立ち上がった。


石英の柱が、人の形に組み上がっていく。3メートル。中に赤い筋が走っている。


ガウスが大剣を抜いた。


「坊主——じゃねえ、ノルン。どうする」


「見ててください」


俺は、右手だけで剣を抜いた。


左は、まだ握れない。



地脈喰いが、腕を振った。


避けない。当たらないからだ。透けている間は、向こうの攻撃も俺をすり抜ける。


俺は、そいつの足元を見ていた。


赤い筋が、下から上へ走った。



足首。膝。腰。



——胸。



俺は、踏み込んだ。



0.8秒。


その中の、最初の0.2秒で首の左、次の0.2秒で背骨の3つ目、次で左の脇腹。3発。


石英が割れる音がして、地脈喰いは光に戻り、そのまま裂け目に吸い込まれた。


俺のステータスウィンドウで、経験値のバーが動いた。


動いた、じゃない。跳ねた。



「……いま」


セシルが言った。


「いま、何が起きたのですか」


「1体倒しました」


「そうではなく、あなたの、その」


彼女は自分の胸のあたりを指した。


「空気が変わりました。あなたの周りの」


——見えるのか。



俺は、少し驚いた。



その日、その裂け目で8体。


翌朝、9体目を倒したところで、俺は剣を納めた。



「もう1体いますよ」


リゼが指した。


新しいのが、底から立ち上がりかけている。


「やめとく」


「なんでですか」


「10体目だから」


彼女は、しばらく俺を見て、それから、笑った。


「ノルンさん、それ、すごく気持ち悪いです」


「なんで」


「目の前にご馳走があるのに、9つ目で箸を置いてるんですよ。わたし、そんな人見たことないです」



——それが、この1年で、俺がいちばん多く言われた種類の言葉だ。



2つ目の裂け目は、同じ山脈の北側にあった。1日半。


ここでも9体。


   ◇


3つ目は、東の高原。3日。


ここで、ガウスが1体を仕留めた。


俺が赤い筋の位置を声で読んで、ガウスが大剣を叩き込んだ。


割れた瞬間、ガウスは自分の手のひらを見て、それから、うめいた。


「……なんだこりゃ」


「入りましたか」


「入ったなんてもんじゃねえ。背骨から下が別の生き物になったみてえだ」


彼は、その場に座り込んだ。


「1体倒すたびに強くなるのが分かる化け物なんぞ、聞いたこともねえ」



3か所で27体。


4日と、移動が5日。



 Lv.428



420から428。


8つだ。



——1年前の俺なら、8つ上げるのに半日だった。



そう思って、俺は少し笑った。


上がりにくくなったということは、遠くまで来たということだ。



4つ目の裂け目へ向かったのは、その翌日だった。


北の氷原の手前、3つ並んでいるうちの、いちばん南のやつ。


だが、そこには何もなかった。



いや、裂け目はあった。


地面の傷も、200歩の長さも、記憶のとおりだ。


ただ——



凍っていた。



湯気が出ていない。縁が霜で白い。底を覗くと、20歩ほど下で氷が詰まっている。


俺は、しゃがんで、縁の霜を指で削った。



——地脈の吹き出し口が、凍る?



そんな記述は、俺の頭の中に、1行もない。


「ノルンさん」


リゼが、俺の後ろに立った。


彼女は裂け目ではなく、北のほうを見ていた。


「変です」


「何が」


「この霜、上から降ってきてません」



俺は、顔を上げた。



「霜って、上から降りますよね。夜に冷えて、朝に白くなる」


彼女は、しゃがんで、縁を指した。


「これ、下から上に伸びてます。裂け目の内側から、外へ這ってきてる」


俺は、その霜の筋を見た。


彼女の言うとおりだった。


石の目に沿って、下から、外へ。



「……あと」


リゼが、北の空を見た。


「鳥、いませんね」


「え」


「さっきから1羽も。南に来るときは、いっぱいいたのに」



俺は、北を見た。



雲が、低かった。


そのとき俺は、それを「季節外れの寒波」だと思った。


俺の頭の中の200種類の狩場情報にも、87個の契の条件にも、四元素の階梯にも、その意味は書かれていなかった。



それが書かれているのは、この大陸で、たった一つの家の口伝の中だけだった。


紙には残っていない。声だけで、5代、渡されてきたものだ。


その家は、北の山にある。


俺がそれを聞くのは、まだ、ずっと先になる。


そして、この北のどこかに、俺より先に来た人間が、一人いる。


白い髪の女だ。



——あの人も、たぶん、知らない。



そう思ったわけではない。


このとき俺は、まだ、その人が何を持っていて、何を持っていないかを、1つも知らなかった。


知っていたのは、雲が低いということだけだった。

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