↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
41/89

41.飽いと戻り

前提を書き足した手順書を、俺はアイリーンのところへ持っていった。


彼女は地下三層の机で、それを3回読んだ。


そして、こう言った。


「これは、院の書式に載りません」


「なんでですか」


「言葉がないからです」


彼女は、俺の紙の一箇所を、インクで黒い指で押さえた。


『※2000に満たない者への代替手順は、末尾に別記した。』


「この『2000』とは、何ですか」


「最大魔力です」


「魔力に、数はありません」


「……あります」


「誰にも見えません」


俺は、そこで、初めてまともに詰まった。


見える。俺には見える。


ステータスウィンドウを開けば、MP12800/12800と書いてある。


だが、この世界の人間には見えない。


彼らが持っているのは「魔力が多い術師」「少ない術師」という言い方だけだ。


「同じ問題が、あと3つあります」


アイリーンは、紙の別の場所を指した。


「この『同じ獲物を狩り続けると伸びが落ちる』という記述。この現象には、名前がありません」


「……ないんですか」


「ありません。名前がないものは、記録できません。記録できないものは、院の書式に載りません」


彼女は眼鏡を押し上げた。


「わたしは11年、名前のないものを、名前がないまま抽斗にしまってきました」


「じゃあ」


俺は言った。


「作りましょう」


「何をですか」


「名前を」


作業は、5日かかった。


俺の頭の中にある概念に、この世界の言葉を当てていく。


俺が「討伐習熟度」と呼んでいたもの。同じ種類の獲物を一定数狩ると、そこから得られるものが段階的に減る現象。


アイリーンは、俺の説明を3回聞いて、こう提案した。


「飽い、では」


「あい」


「飽きる、の名詞形です。古語では『飽(あ)ふ』。満ちて、それ以上入らない、という意味です」


——飽い。


俺は、その音を、口の中で転がした。


3年半、俺はそれを「飽き補正」と呼んでいた。掲示板で誰かが言い出した言葉で、正式名称ですらなかった。



「いいと思います」


「では、次を」


倒した獲物が、一定の時間で同じ場所に再び現れること。俺が「リポップ」と呼んでいたもの。


「戻り」


「即答でしたね」


「これは簡単です。潮が戻る、と同じです」


スキルが生える条件。俺が「取得条件」と呼んでいたもの。


これには、彼女は半日かけた。


そして、こう言った。


「契(ちぎり)」


「……重くないですか」


「重いです。ですが、正確です」


彼女は言った。


「条件を満たした者に、世界の側が応じる。約束が先にあって、あとから履行される。これは契です」


レベルは、そのまま「格」にした。この世界にもとからある言葉だ。


5日目の夜、訳語の一覧ができた。


 飽い —— 同種の獲物から得るものが逓減する現象


 戻り —— 倒した獲物が再び現れるまでの間


 契 —— 技能が生える条件


 格 —— 力量の段階


アイリーンは、それを清書して、灯りの下でしばらく見ていた。


そして、言った。


「……美しい」


俺は、その言葉に、なんと返せばいいのか分からなかった。


3年半、俺はこれを一人で持っていた。


掲示板の書き込みと、攻略サイトの表と、頭の中のメモで持っていた。


誰かが「美しい」と言ったのは、初めてだった。


「ですが」


アイリーンが、清書を置いた。


「名前をつけただけでは、載りません」


「まだ足りないんですか」


「その現象が実在することを、示さねばなりません」


「わたしは記録官です。記録に載せるには、記録で示すのが筋です」


彼女は立ち上がった。


「冒険者ギルド本部の昇格記録を、貸してもらえますか」


   ◇


翌日、俺たちはギルド本部の二階にいた。


ドロテアが口を利いてくれた。過去5年ぶんの綴りが、10冊出てきた。


王都登録の冒険者、2847人。そのうち、登録から1年に満たない698人を外して、2149人を対象にした。


アイリーンの手が速かった。


彼女は依頼の受注履歴から、各人が「どの猟場に、何日通ったか」を拾って、2本の柱に振り分けていった。


3日で、数字が出た。


『1年のうちに猟場を3回以上替えた者——219人。


 うちCランク以上に到達——141人(64.4%)。


 替えなかった者——1930人。


 うちCランク以上に到達——88人(4.6%)。』


アイリーンは、その2行を書いた紙を、長いこと見ていた。


「……14倍です」


「そうですね」


「猟場を替えるだけで、14倍」


「替えるだけじゃないです。替える時期です」


俺は、そこを訂正した。


「早く替えすぎても駄目なんです。飽いが来る手前まで狩って、来る前に移る。それがいちばん伸びる」


「その『手前』は、どうやって知るのですか」


——俺は暗記している。


とは、言えなかった。


だから、代わりにこう言った。


「知らなくても、示せます」


「どうやって」


「当てます」



ギルドの掲示板前で、俺は12人を選んだ。


東門外の丘で、鉄嘴鴉ばかり狩っている連中だ。全員Eランク。半年以上、同じ場所に通っている。


俺は彼らに、今日までに何羽獲ったかを聞いた。数えていた者は3人しかいなかったが、羽根の買い取り票が残っていたので、書記が数えてくれた。


鉄嘴鴉の飽いは、150羽で来る。


12人の累計は、82羽から134羽の間に散らばっていた。1日の平均は、およそ3羽。


俺は、12人ぶんの残りを割って、日付を書いた。



『この者たちの伸びは、以下の日に止まる。


 ベル——6日後


 ハウ——8日後


 ドナ——9日後


 ……(以下略)


 いちばん遅いカイで、23日後。』



「止まる、とは、どう分かるのですか」


「格試しの点で分かります」


ギルドは月に一度「格試し」をやる。木札に打ち込みを入れて、回数と食い込みの深さを記録する。ただの目安だが、5年ぶんの記録が残っている。


「この12人の点は、今まで毎月伸びてます。伸びが、書いた日を境に止まります」


「12人ともですか」


「たぶん、11人です」


俺は言った。


「カイだけは、途中で猟場を替えると思います。あいつ、先週から西の沢の話をしてました」


   ◇


25日後。



格試しの記録が出た。



11人の点が、止まっていた。


止まった月が、俺の書いた日付と、全員一致していた。


そしてカイだけが、伸びていた。


彼は3週間前に、西の沢へ移っていた。


ギルドの二階が、静かになった。


書記が、記録を持つ手を下ろせずにいた。ドロテアが階段の手すりに寄りかかって、火傷の腕を組んでいた。


アイリーンは、記録の紙を胸に抱えて、動かなかった。


彼女が最初に言ったのは、これだった。


「ノルンさん」



——「様」が、取れていた。



「これは、載ります」


彼女は言った。


「載せます。わたしが載せます」



   ◇


その夜、宿の一階で原稿を整理していると、扉が開いた。


白銀の甲冑ではなかった。黒い外套で、剣は腰に吊っていた。


レイン・アシュフォードだった。


彼は、何も言わずに向かいに座り、俺の手元の紙束を指した。


「読んでいいか」


「どうぞ」



彼は、20分読んだ。


一言も喋らなかった。



読み終わって、紙束を揃えて、机に置いた。


そして、言った。


「それが答えか」



俺は、頷いた。


「近道屋」と呼ばれてから、10か月になる。


「お前が死んだら、この世界には何も残らない」と言われてから、7か月だ。


これが、俺の返事だった。


レインは、しばらく紙束を見ていた。


それから、こう言った。


「よくやった」



俺は、少し、息を吐いた。



「だが」



レインは、俺の目を見た。



「書いた者が死ねば、書けなかったことは消える」



「……」


「お前がこの5日で書いたのは、何枚だ」


「……40枚くらいです」


「頭の中には、何枚ある」



俺は、答えなかった。


答えられなかった。



——何千枚だ。


レインは、立ち上がった。


「取り消しはしない。俺は今日も、同じ話をしている」


彼は外套の襟を直した。


「間に合わないと言っている。それだけだ」



扉が閉まったあと、俺は紙束を見ていた。


40枚。


そこへ、リゼが階段を降りてきた。


彼女は俺の後ろから紙束を覗き込んで、しばらく黙って、それからこう言った。


「わたしの名前、どこですか」


「え」


「これ、あなたの持ってるもの全部でしょう。わたし、入ってないんですか」



俺は、束のいちばん後ろをめくった。


「……索引に」



リゼは、俺の後頭部を、丸めた紙で叩いた。



「そういうところですよ」


彼女は俺の隣に座って、40枚の束を、いちばん上から順に読みはじめた。


読みながら、時々、鼻で笑った。


「ここ、分かりにくいです」


「どこ」


「ここ。『魔力が2000』って、わたし読んでも分かりません」



俺は、そこに印をつけた。



その印が、あとで役に立つことになる。


だが、そのことに気づくのは、ずっと先だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。