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40/89

40.前提条件

宿に戻って、俺は紙を買った。


30枚。宿代3日ぶんの値段だった。


それを机に広げて、丸一日、部屋から出なかった。



書いたのは、手順ではない。


なぜ、俺は生きていたのかだ。



一つ目は、すぐに出た。


土の中級《岩塊》は、消費MPが40だ。


81回唱えれば、3240。



俺は、ステータスウィンドウを開いた。


 MP 12800/12800


3240は、俺の最大MPの25パーセントだ。


火のときも同じだった。《火球》は消費32。108回で3456。あのとき俺はLv180くらいで、最大MPは4900前後だったはずだ。7割。


きつかった。喉も焼けた。だが、枯渇はしていない。


セシルの最大MPを、俺は知らない。だが、Lv70の術師の水準は覚えている。600台だ。


3240を、600で割る。


5.4。


——足りない。


つまり、彼女は5回ぶん、MPが尽きている。


尽きたら、回復を待つしかない。だが、条件は「81回、連続」だ。詠唱を切ってはいけない。


だから、唱えながら待つことになる。



地割れの底で。


熱い岩の上で。


回復を待ちながら、口だけ動かし続ける。



俺は、そこまで書いて、ペンを置いた。


そして、リノ・カラムの数字を思い出した。


12歳。


12歳の術師見習いの最大MPは、90あるかどうかだ。


3240を、90で割る。


36。


——36回、枯渇する。


彼女は70回まで行った。


70回まで行くのに、彼女は72時間、地割れの底から上がってこなかった。


グレイスの言った「72時間」の意味が、ここでやっと分かった。



俺の手順には、こう書いてある。


『地割れの底で、土の中級を81回、詠唱を途切れさせずに連続する』


——嘘は、ない。


——1文字も、ない。


二つ目は、丸半日かかった。


俺は自分のスキル欄を、上から順に読んだ。87個ある。


そのうちの1つで、指が止まった。


 《詠唱耐性》


——これ、いつ取った?


取得条件は覚えている。詠唱中に攻撃を受けて、それでも詠唱が切れなかった回数が、50回。


覚えているが、取った日は覚えていない。取ろうとして取ったものではないからだ。


たぶん、リザードマンの沼か、黒鉄坑道のどこかだ。詠唱しながら殴られて、そのまま唱え切った回が、いつのまにか50回を超えていた。


このスキルがないと、どうなるか。


自分の魔力が暴れたとき、詠唱が切れる。


MPが尽きかけると、魔力路は逆流する。逆流は、体の内側からの攻撃だ。《詠唱耐性》がなければ、そこで切れる。


切れたら、1回目からやり直しだ。


——だから、みんな、途中で倒れるまでやるのか。


やり直せないから、倒れるまで続けるしかない。



三つ目は、夜中に出た。


俺は、あの祭壇の夜の自分の息を、思い出そうとした。


108回。祭壇の中心。月がない。


——24。


——24。


——30。


——30。


俺は、途中で3回、息の質を変えていた。


最初の24回は、腹から。次の24回は、喉を締めて浅く。次の30回は、また腹から。最後の30回は、ほとんど吐く息だけで唱えていた。


なぜそうしたのか、当時は考えていない。苦しかったから、勝手に変えた。


だが、変えたおかげで、喉の同じ場所が焼け続けなかった。


俺は、その3行を紙に書いた。


書いてから、自分の書いたものを見て、少し笑った。



——こんなの、攻略サイトに書くわけがない。



ゲームで「息の継ぎ方」を書く馬鹿はいない。息なんて存在しない。回数を満たすか、満たさないか。それだけだ。


俺は3年半、判定条件だけを書いてきた。


判定条件だけで足りる世界に、いたからだ。



朝までに、俺は書き直した。


題を変えた。


『上級土魔法《巌壁槍》——取得手順


 【前提】この3つを満たしていない者は、降りてはならない。


 一、最大魔力が2000を超えていること。


  《岩塊》の消費は40。81回で3240。2000を超えていれば、枯渇は1度で済む。1度なら、底で待てる。


  2000に満たない者は、待つ回数が増える。魔力が半分なら2度、4分の1なら4度。


  12歳の術師見習いなら、最大魔力は90あるかどうかだ。36回、底で待つことになる。熱で先に体が壊れる。


  ※2000に満たない者への代替手順は、末尾に別記した。


 二、詠唱を中断されない技能を持っていること。


  条件は「詠唱中に打撃を受け、なお切れなかった回数が50回」。


  持たない者は、魔力の逆流で必ず切れる。切れたら1回目に戻る。


 三、息の質を、途中で二度、変えること。


  27回・27回・27回で区切り、腹・喉・吐息の順に変える。


  同じ息で81回唱えると、喉の同じ場所が焼ける。


 【手順】


  地割れの底で、土の中級を81回、詠唱を途切れさせずに連続する。』


前提が3つ。手順が1行。


前提のほうが、3倍長い。


   ◇


朝、俺は院の書記に頼んで、リノ・カラムの家を聞いた。



王都の東の、職人街の外れだった。


染物屋の二階を借りている。母親が下で働いていて、兄が二人、部屋の隅に座っていた。


オーリ・ムント(19)と、サム・カラム(15)。


名字が違うのは、父親が違うからだと、あとで聞いた。


二人とも、俺の顔を見ても、何も言わなかった。目が合っても、動かなかった。


リノは、窓際にいた。


小さい子だった。12歳にしても小さい。右手に、肘まで包帯が巻いてある。


彼女は俺を見ると、立ち上がって、頭を下げた。


「はじめまして。リノ・カラムです」



声が、掠れていた。


砂を噛んだような声だった。



「あなたが、あの手順を書いた方ですね」


「……はい」


「そうですか」


彼女は、それだけ言った。


責めなかった。泣かなかった。


ただ、こう続けた。


「わたし、あと11回でした」


——謝ろう。


俺は、一瞬そう思った。


——いや。


謝ったら、この子は「いえ、わたしが下手だったので」と言う。


必ず言う。


俺は、それを一度、聞いたことがある。


診療所のベッドで、左脚を潰した14歳が、泣きながらそう言った。


だから俺は、謝らなかった。


代わりに、懐から紙を出した。



「書き直したんだ。読んでいい?」


「……はい」



俺は、その部屋で、声に出して読んだ。


前提の一つ目。最大魔力2000。


前提の二つ目。詠唱を切られない技能。


前提の三つ目。息を3度変える。



読み終わったとき、部屋が静かだった。


兄の一人——サムのほうが、初めて顔を上げた。


「……おれ、44で切れました」


「うん」


「殴られたわけでもないのに、勝手に、詠唱が切れて」


「それだ」


俺は言った。


「魔力が尽きかけると、体の内側から殴られる。外から殴られるのと、同じことが起きる。それに耐える技能を持ってないと切れる」


「……それ、どうやったら持てるんですか」


「詠唱しながら50回殴られればいい」


サムは、しばらく黙って、それから、変な声で笑った。


笑いながら、鼻をすすっていた。


「なんだよ、それ」


「うん」


「そんなの、書いといてくださいよ」



「そうだね」


俺は言った。


「ごめん」とは、言わなかった。


「書く」と言った。


帰り際、リノが階段の下まで送ってきた。


「あの」


「うん」


「この紙、置いていってもらえませんか」


「これは俺の下書きだから、汚いよ」


「読めます」


彼女は、包帯の巻かれていない左手を出した。


「わたし、あと11回だったので。次に降りるときのために」


俺は、その手を見た。


小さい手だった。



「……降りる気なんだ」


「はい」


「なんで」


「兄が二人とも、もう唱えられないので」


彼女は、当たり前のことのように言った。


「うちで唱えられるの、わたしだけになりました」



俺は、紙を渡した。


渡す前に、余白に1行だけ足した。



『※最大魔力2000に満たない者は、降りてはならない。降りるなら、2000に届いてから降りること。届く方法は、俺が書く。』


   ◇


その夜、宿の窓辺で、俺はペンを置いた。


指が、インクで黒くなっていた。



——アイリーンさんと同じ手だな。



そう思って、少し笑った。


それから、なんとなく、佐久間の顔を思い出そうとした。


高2の教室で、机に突っ伏していたやつだ。「藤代、お前ほんと元気だよな」と言ったやつ。


顔が、出てこなかった。


出てきたのは、ガウスだった。


俺は、もう一度やった。


佐久間。佐久間。数学の小テストの話をしていたやつ。椅子の脚を蹴ってやったやつ。



ガウスが出てきた。


俺は、机の縁を、指で1回叩いた。


——疲れてるだけだ。


そう思うことにして、灯りを消した。

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