40.前提条件
宿に戻って、俺は紙を買った。
30枚。宿代3日ぶんの値段だった。
それを机に広げて、丸一日、部屋から出なかった。
書いたのは、手順ではない。
なぜ、俺は生きていたのかだ。
一つ目は、すぐに出た。
土の中級《岩塊》は、消費MPが40だ。
81回唱えれば、3240。
俺は、ステータスウィンドウを開いた。
MP 12800/12800
3240は、俺の最大MPの25パーセントだ。
火のときも同じだった。《火球》は消費32。108回で3456。あのとき俺はLv180くらいで、最大MPは4900前後だったはずだ。7割。
きつかった。喉も焼けた。だが、枯渇はしていない。
セシルの最大MPを、俺は知らない。だが、Lv70の術師の水準は覚えている。600台だ。
3240を、600で割る。
5.4。
——足りない。
つまり、彼女は5回ぶん、MPが尽きている。
尽きたら、回復を待つしかない。だが、条件は「81回、連続」だ。詠唱を切ってはいけない。
だから、唱えながら待つことになる。
地割れの底で。
熱い岩の上で。
回復を待ちながら、口だけ動かし続ける。
俺は、そこまで書いて、ペンを置いた。
そして、リノ・カラムの数字を思い出した。
12歳。
12歳の術師見習いの最大MPは、90あるかどうかだ。
3240を、90で割る。
36。
——36回、枯渇する。
彼女は70回まで行った。
70回まで行くのに、彼女は72時間、地割れの底から上がってこなかった。
グレイスの言った「72時間」の意味が、ここでやっと分かった。
俺の手順には、こう書いてある。
『地割れの底で、土の中級を81回、詠唱を途切れさせずに連続する』
——嘘は、ない。
——1文字も、ない。
二つ目は、丸半日かかった。
俺は自分のスキル欄を、上から順に読んだ。87個ある。
そのうちの1つで、指が止まった。
《詠唱耐性》
——これ、いつ取った?
取得条件は覚えている。詠唱中に攻撃を受けて、それでも詠唱が切れなかった回数が、50回。
覚えているが、取った日は覚えていない。取ろうとして取ったものではないからだ。
たぶん、リザードマンの沼か、黒鉄坑道のどこかだ。詠唱しながら殴られて、そのまま唱え切った回が、いつのまにか50回を超えていた。
このスキルがないと、どうなるか。
自分の魔力が暴れたとき、詠唱が切れる。
MPが尽きかけると、魔力路は逆流する。逆流は、体の内側からの攻撃だ。《詠唱耐性》がなければ、そこで切れる。
切れたら、1回目からやり直しだ。
——だから、みんな、途中で倒れるまでやるのか。
やり直せないから、倒れるまで続けるしかない。
三つ目は、夜中に出た。
俺は、あの祭壇の夜の自分の息を、思い出そうとした。
108回。祭壇の中心。月がない。
——24。
——24。
——30。
——30。
俺は、途中で3回、息の質を変えていた。
最初の24回は、腹から。次の24回は、喉を締めて浅く。次の30回は、また腹から。最後の30回は、ほとんど吐く息だけで唱えていた。
なぜそうしたのか、当時は考えていない。苦しかったから、勝手に変えた。
だが、変えたおかげで、喉の同じ場所が焼け続けなかった。
俺は、その3行を紙に書いた。
書いてから、自分の書いたものを見て、少し笑った。
——こんなの、攻略サイトに書くわけがない。
ゲームで「息の継ぎ方」を書く馬鹿はいない。息なんて存在しない。回数を満たすか、満たさないか。それだけだ。
俺は3年半、判定条件だけを書いてきた。
判定条件だけで足りる世界に、いたからだ。
朝までに、俺は書き直した。
題を変えた。
『上級土魔法《巌壁槍》——取得手順
【前提】この3つを満たしていない者は、降りてはならない。
一、最大魔力が2000を超えていること。
《岩塊》の消費は40。81回で3240。2000を超えていれば、枯渇は1度で済む。1度なら、底で待てる。
2000に満たない者は、待つ回数が増える。魔力が半分なら2度、4分の1なら4度。
12歳の術師見習いなら、最大魔力は90あるかどうかだ。36回、底で待つことになる。熱で先に体が壊れる。
※2000に満たない者への代替手順は、末尾に別記した。
二、詠唱を中断されない技能を持っていること。
条件は「詠唱中に打撃を受け、なお切れなかった回数が50回」。
持たない者は、魔力の逆流で必ず切れる。切れたら1回目に戻る。
三、息の質を、途中で二度、変えること。
27回・27回・27回で区切り、腹・喉・吐息の順に変える。
同じ息で81回唱えると、喉の同じ場所が焼ける。
【手順】
地割れの底で、土の中級を81回、詠唱を途切れさせずに連続する。』
前提が3つ。手順が1行。
前提のほうが、3倍長い。
◇
朝、俺は院の書記に頼んで、リノ・カラムの家を聞いた。
王都の東の、職人街の外れだった。
染物屋の二階を借りている。母親が下で働いていて、兄が二人、部屋の隅に座っていた。
オーリ・ムント(19)と、サム・カラム(15)。
名字が違うのは、父親が違うからだと、あとで聞いた。
二人とも、俺の顔を見ても、何も言わなかった。目が合っても、動かなかった。
リノは、窓際にいた。
小さい子だった。12歳にしても小さい。右手に、肘まで包帯が巻いてある。
彼女は俺を見ると、立ち上がって、頭を下げた。
「はじめまして。リノ・カラムです」
声が、掠れていた。
砂を噛んだような声だった。
「あなたが、あの手順を書いた方ですね」
「……はい」
「そうですか」
彼女は、それだけ言った。
責めなかった。泣かなかった。
ただ、こう続けた。
「わたし、あと11回でした」
——謝ろう。
俺は、一瞬そう思った。
——いや。
謝ったら、この子は「いえ、わたしが下手だったので」と言う。
必ず言う。
俺は、それを一度、聞いたことがある。
診療所のベッドで、左脚を潰した14歳が、泣きながらそう言った。
だから俺は、謝らなかった。
代わりに、懐から紙を出した。
「書き直したんだ。読んでいい?」
「……はい」
俺は、その部屋で、声に出して読んだ。
前提の一つ目。最大魔力2000。
前提の二つ目。詠唱を切られない技能。
前提の三つ目。息を3度変える。
読み終わったとき、部屋が静かだった。
兄の一人——サムのほうが、初めて顔を上げた。
「……おれ、44で切れました」
「うん」
「殴られたわけでもないのに、勝手に、詠唱が切れて」
「それだ」
俺は言った。
「魔力が尽きかけると、体の内側から殴られる。外から殴られるのと、同じことが起きる。それに耐える技能を持ってないと切れる」
「……それ、どうやったら持てるんですか」
「詠唱しながら50回殴られればいい」
サムは、しばらく黙って、それから、変な声で笑った。
笑いながら、鼻をすすっていた。
「なんだよ、それ」
「うん」
「そんなの、書いといてくださいよ」
「そうだね」
俺は言った。
「ごめん」とは、言わなかった。
「書く」と言った。
帰り際、リノが階段の下まで送ってきた。
「あの」
「うん」
「この紙、置いていってもらえませんか」
「これは俺の下書きだから、汚いよ」
「読めます」
彼女は、包帯の巻かれていない左手を出した。
「わたし、あと11回だったので。次に降りるときのために」
俺は、その手を見た。
小さい手だった。
「……降りる気なんだ」
「はい」
「なんで」
「兄が二人とも、もう唱えられないので」
彼女は、当たり前のことのように言った。
「うちで唱えられるの、わたしだけになりました」
俺は、紙を渡した。
渡す前に、余白に1行だけ足した。
『※最大魔力2000に満たない者は、降りてはならない。降りるなら、2000に届いてから降りること。届く方法は、俺が書く。』
◇
その夜、宿の窓辺で、俺はペンを置いた。
指が、インクで黒くなっていた。
——アイリーンさんと同じ手だな。
そう思って、少し笑った。
それから、なんとなく、佐久間の顔を思い出そうとした。
高2の教室で、机に突っ伏していたやつだ。「藤代、お前ほんと元気だよな」と言ったやつ。
顔が、出てこなかった。
出てきたのは、ガウスだった。
俺は、もう一度やった。
佐久間。佐久間。数学の小テストの話をしていたやつ。椅子の脚を蹴ってやったやつ。
ガウスが出てきた。
俺は、机の縁を、指で1回叩いた。
——疲れてるだけだ。
そう思うことにして、灯りを消した。




