39.108回目に死んだ者
審問室だと言われた部屋は、審問室に見えなかった。
窓が大きくて、机が1つ。椅子が2脚。壁に本棚もない。
俺は、正面の椅子に座らされた。
グレイス・オルデンは、杖をついて入ってきた。
小柄な老女だった。背中が丸い。白髪を後ろで一つに束ねている。歩くのに時間がかかるので、俺は立って待った。
彼女は椅子に座るまで、一言も喋らなかった。
座ってから、こう言った。
「はじめまして。よくお越しくださいました」
「あの」
「はい」
「俺、怒られると思って来たんですけど」
「なぜですか」
——質問しかしない方です。
アイリーンの言葉を、俺は思い出した。
「セシル・ウェインの処分の件で」
「あれは院の内規です。あなたには関係ありません」
「関係あります。あの手順を渡したのは俺です」
「では、あなたは何をしにいらしたのですか」
俺は、詰まった。
「……取り消してもらいに」
「どういう理屈で?」
「彼女は、悪いことをしていません」
「では、悪いことをしたのは誰ですか?」
俺は、答えられなかった。
グレイスは、少しだけ待って、それから話題を変えた。
「先に、お礼を申し上げます」
「え」
「上級土魔法《巌壁槍》の取得手順。ウェイン君の報告書の付録として、今年の春に院へ届きました」
彼女は、両手を杖の頭に重ねた。
「あれは、正しかった」
「院は、夏のあいだに検証しました。3人が到達しております」
「……3人」
「第一級術師のマイセン。第二級のトーレ。そして、わたしの弟子だった者が1人」
彼女は、俺の目を見た。
「300年、誰も届かなかったものに、この夏、3人が届きました。おめでとうございます」
俺は、それを聞いて、正直に言うと、少し嬉しかった。
胸のあたりが、あたたかくなった。
その顔を見てから、グレイスは、机の上に紙を1枚置いた。
「では、これは何ですか」
紙には、名前が並んでいた。
7つ。
その横に、年齢と、日付と、数字が書いてある。
『ヨナス・ベルク(24) 六の月十九日 53
ペトラ・ライエル(31) 七の月二日 68
オーリ・ムント(19) 七の月十一日 44
サム・カラム(15) 七の月十一日 44
リノ・カラム(12) 七の月十一日 70
ハンネ・ドス(27) 八の月三日 31
ヴェルナー・ロス(40) 八の月三十日 79』
「この数字は」
「倒れた回です」
俺の背中を、何かが降りていった。
「ヨナス・ベルクは、53回目で倒れました。地割れの底で、丸一日、誰にも見つかりませんでした。死んでおります」
「……」
「ヴェルナー・ロスは、79回目でした。あと2回です」
彼女は、指で名前をなぞった。
「生きております。ですが、二度と唱えられません。魔力路が焼き切れました。彼は40年、それで食べてきた人です」
「……」
「ペトラ・ライエルは、68回目で倒れ、そのまま亡くなりました。オーリ・ムントとサム・カラムは兄弟です。同じ日に、同じ地割れに降りて、同じ44回目で倒れました。二人とも、生きております。二人とも、もう唱えられません」
「ハンネ・ドスは、31回目で、自分で手を止めました」
「……止めた」
「上がってきて、それきり地割れに近づいておりません。生きております。唱えることもできます」
彼女は、名簿のその1行を、指で押さえた。
「7人のうち、体に何も残さなかったのは、この人だけです」
「リノ・カラムは」
俺は、その1行を指した。
「12歳、って」
「その兄弟の、妹です」
グレイスは言った。
「兄二人が倒れた日から3日後に、同じ地割れに、一人で降りました。70回です」
「……生きてますか」
「生きております」
「唱えられますか」
「唱えられます」
彼女は、初めて目を伏せた。
「ただ、あの子は、喉と右手を焼きました。地割れの底は、熱いのです。72時間、上がってきませんでした」
部屋が、静かだった。
窓の外で、鳥が鳴いていた。
俺は、その7行を、もう一度上から読んだ。
日付が、5つに固まっている。六の月から八の月。3か月だ。
セシルの報告書が院に届いたのが春。つまり、手順が院の外へ漏れて、3か月で7人ということになる。
「これは、どうやって外に出たんですか」
「写しです」
グレイスは答えた。
「報告書は院の資料室にあります。閲覧できるのは在籍者だけです。ですが、在籍者には家族がおり、友人がおり、酒場があります」
「……」
「ヨナス・ベルクは、院の門番の甥でした」
俺は、口を開いた。
「……その手順は、正しいです」
「はい」
「81回連続で、地割れの底で唱える。それで契が——条件が満たされます。俺は嘘を書いてません」
「はい。嘘はございません」
グレイスは、頷いた。
「わたしもそう申しました。あなたの手順に、嘘は1つもございません」
そして、彼女は言った。
「足りなかったのです」
「……足りない」
「あなたは、81回と書きました」
彼女は、杖の頭を、指で1回叩いた。
「81回目まで生きていられる条件を、書かなかった」
俺は、そのとき、椅子に座っていたはずだ。
だが、感覚としては、床が下に抜けた。
——同じだ。
——東の森の谷筋なら、地形を使えば森狼が安全に狩れる。経験値は6倍以上だ。
——ノルンさんの言うとおりにしたのに、ぼくが下手だったから。
あの言葉から、9か月経っている。
俺は、あれから、答えを渡すのをやめたはずだった。
隣で歩くことにしたはずだった。
なのに。
——紙に書いたら、隣にいなくていいと思ってた。
「ノルン殿」
グレイスが、静かに言った。
「1つ、伺ってよろしいですか」
「……はい」
「あなたは、その手順を、ご自分で成功させたのですね?」
「はい」
「火のほうも、土のほうも」
「はい」
「では、なぜあなたは生きているのですか?」
俺は、口を開けた。
——なぜ。
そんなことを、考えたことがなかった。
ゲームでは、108回唱えれば取れた。取れないやつは唱え切れなかったやつだ。それだけだった。回数を満たすか、満たさないか。判定はそれだけだ。
だが、ここは、ゲームじゃない。
「……分かりません」
俺は、正直に言った。
「今、はじめて考えました」
「そうでしょうね」
グレイスは、責めなかった。
「あなたは、できてしまう人だからです。できてしまう人は、自分がなぜできたかを考えません。考える必要が、一度もなかったからです」
「……でも」
俺は、食い下がった。食い下がるべきじゃないと分かっていたが、口が動いた。
「じゃあ、書かないほうがよかったんですか」
「わたしはそうは申しておりません」
「でも、書かなければ7人は」
「書かなければ、北の辺境で今年焼けた村は2つではなく5つでした」
グレイスは、静かに言った。
「マイセンが《巌壁槍》で、8月に一つ止めております。彼が到達していなければ、あの村は焼けました。あなたの紙は、既に人を殺し、既に人を助けております。どちらか一方だけを数えるのは、卑怯です」
「……」
「わたしが伺っているのは、書くか書かないかではありません」
彼女は、俺のほうへ少し身を乗り出した。
「どう書くかです」
彼女は、紙を俺のほうへ押した。
「持って帰りなさい」
「……いいんですか」
「わたしが持っていても、この7人は戻りません」
彼女は、杖を突いて立ち上がった。
立ち上がるのに、また時間がかかった。俺はもう、手を貸すべきかどうか分からなくなっていた。
扉のところで、彼女は振り返った。
「ノルン殿。わたしは、あなたに公開をやめろとは申しません」
「……」
「わたしが20年かけて届かなかったものに、あなたの紙で3人が届きました。その3人は、わたしの20年より価値があります」
「じゃあ」
「ですが」
彼女は、杖の先で床を1回突いた。
「公開したものが誤って使われたとき、誰が責を負うのですか?」
「それを、あなたはまだ、一度も考えたことがない。違いますか?」
扉が閉まった。
俺は、その部屋に、一人で残った。
机の上の紙を、もう一度見た。
7つの名前。53。68。44。44。70。31。79。
——70。
12歳が、81のうち70まで行った。
あと11回だ。
俺は、紙を折って、懐に入れた。
そして、宿へ戻る道の途中で、足を止めた。
——なぜ、俺は生きていたんだ。
火山の、あの夜のことを、俺は思い出そうとした。
火山。月のない夜。《焔の祭壇》。《火球》を108回。
107回目で喉が焼けて、MPが尽きて、視界が白くなって、それでも108回目を唱え切った。
あのとき、俺は「根性で唱え切った」と思っていた。
——違うな。
俺は、道の真ん中で、指を折りはじめた。
思い当たることが、3つあった。




