37.竜殺しの後始末
王都エルスハイムに着いたのは、竜を殺してから5か月目の、冬のはじめだった。
竜骨山脈の岩室から、まっすぐここへ来た。
途中で3回、宿に泊まった。3回とも、宿の主人が金を受け取らなかった。
「竜殺しの方から、いただけません」
そう言われるたび、俺は銅貨を卓に置いて出た。
——気持ち悪いな。
正直に言うと、それが最初の感想だった。
俺は17歳だ。いや、この世界で1回誕生日を数えたから、18か。数え方が合っているのかも分からない。
その18歳が、宿の主人に頭を下げられる。
顔が25歳の男だからだ。竜を殺した男だからだ。
そして、頭を下げられている間は、誰も本当のことを言わない。
これは、まだ、このときの俺には見えていなかった。
◇
王都の南倉に、竜が積んであった。
第三倉庫、まるごと一棟。
扉を開けると、寒気と一緒に、鉄と獣の混ざった匂いが出てきた。
大骨が19本。逆鱗が3枚。牙が11本。翼膜が丸めて4巻。血を詰めた樽が2つ。あとは、名前のついていない部位が、木箱で30以上。
天井まで積んである。
「動いてないんですか」
「1枚の銅貨にもなってないよ」
ドロテア・ハルトが、火傷の残る腕で戸を押さえながら言った。
彼女はステインのギルドマスターだが、竜討伐の編成をしたのは彼女だ。後始末も彼女に降ってきている。
「王都じゃ、こいつは『王国の予算の何割か』だって噂だ」
「実際は」
「5か月、埃をかぶってる」
彼女は倉の中を顎で示した。
「買い手がつかないんじゃない。値がつかないんだ」
理由は、聞かなくても分かった。
この世界には、竜の素材を使った前例がない。
前に竜が出たのは千年前で、そのときの記録は残っていない。だから鑑定士は「たぶん高い」としか言えない。商会は「たぶん高い」ものに金を出さない。
「鑑定士は何人入れたんですか」
「3人」
ドロテアが指を折った。
「1人目は骨を『象牙の上等なやつ』と書いた。2人目は『素材ではなく神聖遺物であり、値をつけること自体が不敬』と書いた」
「3人目は」
「逃げた」
彼女は倉の柱を叩いた。
「値札を書いた人間が、後で間違ってたと言われるのが怖いんだよ。誰も最初の1枚を書きたがらない」
そして討伐隊の7人は、分けられない山の前で、5か月止まっている。
◇
分配の会議は、倉の隣の事務所でやっていた。
長机に、王都商会の代表が3人。王立魔術院の書記が1人。騎士団の会計。ギルドの書記。そして討伐隊から、ドロテアと俺。
俺は5か月、この席に出ていなかった。左腕が使い物にならなかったからだ。
肘から先の感覚は、7割まで戻った。
指は動く。皮を剥ける。剣は、まだ握れない。
ガウスが毎朝、左手に木剣を持たせてくる。「左が使えねえなら左を鍛えるんだよ」と言って、俺の左肘を蹴る。あれで戻ってきた。
会議は、5か月ぶんの同じ話をしていた。
「大骨を鎧の材料として量るならば、重量当たりで——」
「重量で買うんですか、竜を」
「では何で量るとおっしゃる」
「そもそも鎧にできるのですか。試された方は」
「試すには切らねばなりません。切って使えなければ、切った者が弁償です」
「では、誰も切れない」
「ですから、こうして5か月」
騎士団の会計が、机の下で欠伸をした。
魔術院の書記は、さっきから同じ頁に線を引いている。
商会の3人は、互いの顔色だけを見ていた。誰かが先に値を言えば、その値が基準になる。最初に口を開いた者が損をする。
——ああ、これは。
俺は思った。
——これ、実装初日の市場と同じだ。
『ルーンヴェルト・オンライン』で新素材が実装されるたび、必ず起きたことだ。誰も相場を知らない。誰も最初に値をつけない。数日、取引が止まる。
そして必ず一人、用途を知っている奴が現れて、全部さらっていく。
3年半、俺はその一人だった。
俺は、紙をもらった。
ペンを借りた。右手で書いた。
書いたのは、6行だった。
『大骨19本——粉にして上級魔法の触媒。1本で杖1000本ぶん。買値、1本あたり金貨40枚。
逆鱗3枚——耐熱鎧の芯材。炎の直撃を1度だけ止める。1枚、金貨60枚。
心臓の血2樽——毒消しの上位。既存の解毒薬の11倍効く。1樽、金貨55枚。
翼膜4巻——雨を通さない。天幕と船の帆。全部で金貨30枚。
牙11本——先を削って石工の穿孔具。全部で金貨4枚。
尾の靱帯24本——弓の弦。この大陸で最高の弦になる。1本、金貨4枚。』
俺はそれを、机の真ん中に置いた。
「合計、金貨1180枚です」
誰も、しばらく喋らなかった。
商会の代表の一人が、紙を引き寄せた。眼鏡を上げて、下げた。
「……この、いちばん下は」
「靱帯です」
「靱帯」
「尾の付け根の、白い筋です。木箱の18番に入ってます。捨てる予定になってましたよね」
書記が名簿をめくった。
「……18番。廃棄予定、と、書いてあります」
「そこに、金貨96枚ぶんあります」
商会の代表が、立ち上がった。
「実物を」
「どうぞ」
「今すぐ」
◇
倉に戻って、木箱の18番を開けた。
白い筋が、乾いて巻いてある。
商会は弓弦の職人を抱えている。半刻で職人が呼ばれてきて、筋を1本、指で弾いた。
その音を聞いて、職人が黙った。
もう一度弾いた。
それから、俺の顔を見た。
「……これ、どこから」
「尻尾です」
「尻尾」
「付け根の、内側」
職人は、その場に座り込んだ。
座り込んだまま、筋を撫でて、「ああ」とか「ええ」とか言っていた。言葉になっていなかった。
商会の代表が、次に逆鱗を出させた。
「これは、本当に炎を止めるのですか」
「1度だけです。2度目は割れます」
「試させていただいても」
「どうぞ。ただし、当てるのは中心から外してください。縁から2寸のところに、繊維の目が変わる線があります。そこを外すと、割れ方が汚くなって芯材に使えません」
職人が炭火の鏝を持ってきた。
赤くなった鏝を、逆鱗の中心に押し当てる。
音がしなかった。
匂いもしなかった。
10数える間押しつけて、離した。鱗の裏に触れた商会の代表が、指を弾くように引っ込めた。
「……冷たい」
「そういうものです」
代表は、しばらく逆鱗を見ていた。
それから、俺の書いた6行を、両手で持ち直した。
紙の持ち方が、変わっていた。
——これは、無双でもなんでもない。
俺は、思う。
俺はただ、『竜素材使い道まとめ』という記事を、3年半前に読んだだけだ。というより、その記事の下半分は、俺が書いた。
弓弦の効果値がおかしいことに気づいて、検証して、掲示板に書き込んだのは、たしか高2の春だ。
——「尾靱帯、弦にすると射程+12%。誰も使ってないけど拾っとけ」
そんな一行だった。
その一行が、いま、この職人の膝を折っている。
その日の夕方までに、全部に買値がついた。
金貨1180枚。俺の紙のとおりだった。
いや、1行だけ違った。靱帯が、競りで1本金貨6枚まで上がって、締めて金貨1228枚になった。
◇
「あんた」
会議が散ったあと、ドロテアが言った。
彼女は、俺の書いた6行を、まだ持っていた。
「あんた、剣より紙のほうが強いね」
「……そうかもしれません」
「悪口じゃないよ」
彼女は紙を折って、懐に入れた。
「あたしは20年、この仕事をしてる。冒険者の命が金で決まるのを、20年見てきた」
「はい」
「この6行で、東の森の連中の日銭が上がる。弦が安くなるからだ」
彼女は、火傷の腕で戸を閉めた。
「剣で助けられるのは、目の前の1人だけさ」
◇
そのあと、俺はセシルを探した。
彼女は、魔術院の門の外にいた。
門の外だ。
中じゃない。
「学籍停止は」
「まだです」
セシルは、ローブの袖を引きながら言った。左腕の火傷を隠す癖が、この5か月でついている。
「報告書は読まれました。土魔法の付録も読まれました。ですが、処分は別だそうです」
「別って」
「『院に無断で、外部の者に手順を預かった』——これが罪状です」
彼女は、少し笑った。
「箱を開けなかったことではなく、箱を持っていたことが罪でした」
俺は、門の中を見た。
石畳と、噴水と、白い塔。
学生が歩いている。彼女がいたはずの場所だ。
——俺が渡さなかったから、彼女が払っている。
9か月前、彼女は俺に「公開してください」と言った。
俺は断った。断る理由も言えなかった。
それから9か月経って、代金を払っているのは、俺じゃない。
「ノルンさん」
「はい」
「顔に出ています」
セシルが言った。
「私は、自分で決めました。あなたが払う筋合いはありません」
「でも」
「ですが」
彼女は、俺の言葉を遮った。
「1つだけ、お願いがあります」
「私を、中に戻してください」
彼女は、門を見た。
「私が戻りたいからではありません。次にあなたの手順を受け取る人間が、私のように外に立たされない仕組みを、中に作りたいからです」
俺は、返事をしなかった。
できなかった。
その夜、宿の窓で、俺はステータスウィンドウを開いた。
Lv.420
クエストログ
進行中:???
称号:二―――
「二」。
岩室の炭の文字を見た日から、1か月経った。
一文字目は、それ以上増えも減りもしていない。
——スミレ。
——お前、どこにいる。
窓の外で、雪が降りはじめた。
北から来る雪だ。
このとき俺は、王都に来た理由が「セシルを門の中に戻すこと」だと思っていた。
それは半分だけ当たっていた。
残りの半分は、翌日、魔術院の地下三層で、埃だらけの原本と一緒に俺を待っていた。




