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35.三重奏

竜が、走り出した。


第三段階の突進は、このゲームで最も分かりやすい攻撃だ。予備動作が長い。軌道が直線。速度も一定。


——だから、避けるのは簡単だ。


問題は、避けても意味がないことだった。


竜は、火口の壁に突っ込む。壁が崩れる。崩れた岩が、火口の底に降ってくる。それを繰り返して、最後に火口全体を埋める。


つまり、これは「攻撃」ではなく「時間制限」だ。


第三段階に入ってから、竜が火口を埋めきるまで、およそ6分。


その6分の間に殺せなければ、こちらが生き埋めになる。


ゲームでは、ここでトップ層の火力を全部叩き込んだ。8人が、それぞれの最大火力を、尾の付け根の古傷に集中させる。


——今は、8人じゃない。


ガウスは動けない。セシルは左腕が使えない。騎士のひとりは砂に埋もれて意識がない。


動けるのは、俺、レイン、リゼ、ドロテア、それに騎士がひとり。


5人。


   ◇


一度目の突進が、東の壁に当たった。


岩が、雨のように降ってきた。頭ほどの石が、俺の3歩横に落ちて、砂を跳ね上げた。


「散開!」


二度目が、北の壁。


三度目が、南。


そのたびに、火口の底が狭くなっていく。壁が内側へ崩れて、逃げ場だった外周が、瓦礫の斜面に変わっていく。


「ノルンさん!」


リゼが叫んだ。


「あと何回で埋まりますか!」


「あと4回です!」


「4回で、殺せますか!」


   ◇


——殺せない。


俺は、計算していた。


尾の付け根に、あと何回、《竜牙の大剣》を叩き込む必要があるか。


第三段階の竜の防御は、第一形態の3倍近い。今の5人の火力で、あと4回の突進の合間に入れられる攻撃は、せいぜい12回。


12回では、届かない。


——足りない。


Lv350。推奨400。


その50が、ここで効いてくる。


四度目の突進が、西の壁を崩した。


火口の底に残った空間は、直径200歩を切った。


「ノルン!」


レインが、砂を蹴って俺の隣に来た。甲冑の左肩が、岩で削れて凹んでいた。


「案があるなら言え! ないなら俺が突っ込む!」


「死にますよ」


「それは案ではない、と言っているんだ!」


   ◇


俺は、右手を見た。


火傷だらけの手だ。17日間、41回の暴発でできた水膨れの跡が、いくつも残っている。指が2本、まっすぐ伸びない。


——三つ目を、差し込む。


混合魔法は、二元素だ。火と風で《焔嵐》。水と風で《氷結界》。俺が成功させたのは、そこまでだ。


三元素同時。


ゲームの中で、これを成功させた人間を、俺は3人しか知らない。そのうち1人は、成功する前に、自分の腕を1本失っている。


原理は、同じだ。


一つ目の座がほどけかけたところに、8分の1拍で二つ目を差し込む。その二つが重なった、さらに不安定な座に、もう8分の1拍で三つ目を差し込む。


——猶予は、16分の1拍。


呼吸ひとつ分の、そのまた半分もない。


   ◇


「ノルンさん」


リゼだった。


彼女は、矢を1本、弦につがえていた。矢筒に残っているのは、あと4本だった。


「なにか、やるつもりですね」


「……はい」


「危ないやつですね」


「はい」


「じゃあ、時間を作ります」


「え」


「どれくらい要りますか」


俺は、彼女の顔を見た。


——8秒。


三重の詠唱に要る時間だ。その間、俺は動けない。動けば、座が崩れる。崩れれば、腕が飛ぶ。


「8秒です」


「分かりました」


彼女は、それだけで振り返って、叫んだ。


「レインさん! ドロテアさん! 8秒です!」


「なんの8秒だ!」


「知りません! でも8秒です!」


レインは、一瞬も迷わなかった。


「——8秒だな!」


彼は走り出した。ドロテアが続いた。騎士が続いた。


3人が、竜の正面に立った。


   ◇


五度目の突進が、来た。


真正面から。


黒い山が、地面を削りながら、まっすぐに走ってくる。


「一!」


レインの剣が、竜の右の前肢の関節に入った。骨と骨の隙間、鱗が薄くなっている一点。彼が40分かけて探し当てた場所だ。


竜の巨体が、わずかに傾いた。


「二!」


ドロテアが、傾いた側の足元に、鉤縄を投げた。


前肢が、絡んだ。


「三!」


騎士が、槍を地面に突き立てて、絡んだ縄を、その柄に巻きつけて固定した。


竜が、つんのめった。


前のめりになった巨体が、砂を巻き上げながら、勢いを殺した。


「四!」


リゼの矢が、竜の左目に、まっすぐ入った。


風で流れない矢だ。この距離で、彼女は外さない。


   ◇


俺は、右手を上げていた。


「——天蓋を焼く舌よ。地の果てまで、走れ。《紅蓮嵐》」


「五!」


火が、生まれた。


右手の上で、赤い光が膨らむ。


息を、吸わない。


吐きながら、そのまま。


「——空を裂く刃よ。《断空》」


「六!」


風が、火に噛み合った。


炎が、螺旋になった。


——ここからだ。


俺の内側で、二つの座が、軋んでいた。無理やり同じ場所に押し込まれた二つが、離れようとしている。その隙間が、開こうとしている。


——その隙間に。


「七!」


俺は、息を、吐き切った。


肺の底から、最後の一息で。


「——地の骨よ、起きろ。《巌壁槍》」


「八!」


   ◇


三つが、重なった。


   ◇


《三重奏》。


   ◇


火と、風と、土。


炎の螺旋の中心に、岩が生まれた。生まれた岩は、螺旋に巻き込まれて、砕けながら、赤熱した。


——溶けた岩が、回転しながら、飛んだ。


それは、火柱でも、竜巻でもなかった。


赤く光る岩の奔流が、螺旋を描いて、まっすぐに走った。


音がしなかった。空気そのものが巻き込まれて、音の伝わる場所がなくなっていた。


   ◇


竜の左半身が、消し飛んだ。


鱗が、剥がれた。


地脈を纏っていた光が、砕けて、四方に散った。


竜が、倒れた。


   ◇


——まだだ。


俺は、右手を握った。


握った手が、真っ赤だった。


——四つ目。


水を、差し込めば。


四元素が揃えば、こいつは、一撃で終わる。


俺は、口を開いた。


「——凍てつく水よ——」


   ◇


そこで、俺の左腕が、燃えた。


三つの座が、いっぺんに崩れた。崩れた魔力が、行き場を失って、いちばん近いところ——俺の左腕から、外へ噴き出した。


肘から先が、白くなった。


痛みは、遅れて来た。


「ノルンさん!」


——いい。


腕は、いい。


   ◇


俺は、背中の《竜牙の大剣》を、右手だけで抜いた。


そして、走った。


倒れた竜の、尾の付け根。左側。長さ10歩の、鱗のない古い傷跡。


斥候の若い騎士が、震える声で「ありました」と報告した、あの傷だ。


俺は、その上に立った。


そして、大剣を、両手で——


いや、片手で、振りかぶった。


握らない。


乗せる。


当たる直前に、小指と薬指だけ、締める。


   ◇


刃が、入った。


竜の体が、一度だけ、大きく震えた。


そして、動かなくなった。


   ◇


俺は、その背中から、砂の上に落ちた。


仰向けになった。


空が見えた。崩れた火口の壁の向こうに、細く、青空が見えた。


視界の隅で、表示が、勝手に流れはじめた。


 Lv.351


 Lv.362


 Lv.378


 Lv.391


 Lv.399


——止まれよ。


俺は、そう思った。


止まらなかった。


 Lv.404


 Lv.412


 Lv.418


 Lv.420


止まった。


   ◇


俺は、砂の上で、笑った。


420。


この世界で、誰も見たことのない数字だ。大陸のSランクが、200そこそこ。俺は、その倍だ。


——でも。


925には、まだ、遠い。


   ◇


足音が、近づいてきた。


リゼが、俺の顔を覗き込んだ。


彼女は、泣いていなかった。


代わりに、めちゃくちゃ怒っていた。


「腕!」


「はい」


「腕!!」


「はい」


「なんで四つ目やろうとしたんですか!」


「……やれると思って」


「思っただけでしょう!」


彼女は俺の右の襟を掴んで、引き上げた。Cランクの膂力で、Lv420の体を引き上げようとしても、当然、上がらない。上がらないので、彼女は自分のほうが俺の顔に近づいた。


そして、こう言った。


「ノルン」


   ◇


俺は、彼女の顔を見た。


さん、が、なかった。


半年、一度も言われたことのない呼び方だった。


「……はい」


「死んだら、許しませんから」


「……はい」


「返事はいいんですよ、あなたは」


彼女は、そう言って、俺の襟を離した。


離してから、袖で、目を拭った。


   ◇


レインが、砂を蹴って走ってきた。


彼は俺の隣に膝をついて、俺の左腕を見て、それから、俺の顔を見た。


「……生きているな」


「はい」


「ならいい」


彼は、そう言って、砂の上に座り込んだ。


そして、こう言った。


「8秒だった」


「……はい」


「ぴったりだ」


彼は、兜を脱いだ。


「あの娘が『知りません』と言ったとき、俺は走り出していた」


「……」


「根拠を聞かずに走ったのは、11年で、今日が初めてだ」


   ◇


ドロテアが、離れたところで、倒れた竜を見上げていた。


彼女は、火傷の残る右腕を上げて、額の汗を拭った。


そして、誰にともなく、こう言った。


「……40年、冒険者をやってる」


「今日が、いちばん、訳が分からんかった」

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