33.第一形態
竜骨山脈、第2峰の東。
火口跡は、直径600歩ほどの、すり鉢状の窪地だった。底に黒い砂が溜まっている。周囲の岩壁は垂直に近い。降りるには、東の崩れた斜面を使うしかない。
そして、その底に。
黒い山が、寝ていた。
◇
体長40歩。
翼が4対。折り畳まれた状態でも、背中の高さが岩壁の中腹に届いている。
鱗は黒い。だが、完全な黒ではない。関節の隙間から、青白い光が漏れている。呼吸に合わせて、その光が強くなったり、弱くなったりする。
寝息のたびに、火口の底の砂が、わずかに寄せて、返した。
「……でかいな」
ガウスが、掠れた声で言った。
「聞いてたより、でかい」
「40歩です」
「聞くのと見るのは違うんだよ、坊主」
俺は《看破》を向けた。
カオスドラゴン 格:測定不能
——出ないか。
Lv350の《看破》では、格が上すぎて表示できないらしい。
——推奨400。まあ、そうだろうな。
「配置につけ」
レインが、低く言った。
8人が、それぞれの位置へ散った。
◇
俺は、東の斜面を降りきったところに立った。
背中に《竜牙の大剣》。腰に《儀礼剣アルヴェイン》。
——始めよう。
「起こします」
俺は、右手を上げた。
そして、《巌壁槍》を、竜の左肩に撃ち込んだ。
岩の槍が、竜の肩の鱗を叩いた。
砕けたのは、槍のほうだった。
◇
竜が、目を開けた。
◇
【第一形態・開始】
◇
最初の20秒で、俺は自分の記憶が正しいことを確認した。
竜は、起き上がると同時に、大きく息を吸った。首が持ち上がり、喉の奥で、低い音が溜まりはじめる。
そして、尾の先が跳ねた。
一度。
二度。
「——伏せろ!」
俺は叫んだ。
三度。
8人が、岩陰に飛び込んだ。
ブレスが来た。
火ではなかった。青白い光の奔流だった。
俺たちがさっきまで立っていた砂地が、幅40歩にわたって、ガラスになった。冷えていく音が、ぱきぱきと鳴っていた。
熱が引いてから、ガウスが岩陰から顔を出した。
「……坊主」
「はい」
「今の、当たってたら、どうなってた」
「消えます」
「ああ、そうか」
「尾の先が3度跳ねたら、伏せる。覚えましたね」
「覚えた」
「これから、あと11回来ます」
「11回!?」
「第一形態で、11回です」
◇
——これが、俺の持っているものだ。
このゲームで、カオスドラゴンの攻略が確立するまでに、日本サーバーは4か月かかった。
その4か月で、何百人が死んだか分からない。
最初に「ブレスの前に尾が3度跳ねる」を発見したのは、17回目の全滅のあと、死んだあとのリプレイをコマ送りで見返した誰かだ。
「爪の薙ぎ払いが反時計回りにしか来ない」を発見したのは、被弾ログを100回分集計した誰かだ。
「翼打ちのあと4秒硬直する」を測ったのは、動画のフレーム数を、1コマずつ数えた誰かだ。
そのどれも、俺じゃない。
俺は、その全部を、4か月ぶん、まとめて持っている。
◇
「爪、来ます!」
竜が右の前肢を上げた。
「反時計回り! 全員、時計回りに動いて!」
8人が、一斉に時計回りに走った。
爪が、砂を薙いだ。
俺たちの背中の、3歩後ろを通過した。
「翼!」
竜が、4対の翼を一斉に打ち下ろした。
暴風が来た。砂が壁になって立ち上がり、ドロテアの体が浮きかけて、騎士のひとりが腰を掴んで押さえた。
そして。
——4秒。
「今!」
◇
8人が、同時に踏み込んだ。
ガウスの大剣——王都で新調した、彼の身長ほどある一振り——が、竜の前肢の関節を叩いた。
レインの細身の剣が、その衝撃で開いた鱗の合わせ目に、滑り込んだ。
騎士2人が、槍を同じ場所に突き込んだ。
ドロテアが、鉤爪のついた短剣を引っかけて、鱗を1枚、根元から剥がした。
セシルの《巌壁槍》——覚えたばかりの上級土魔法が、剥がれた素肌に、岩の杭を打ち込んだ。
リゼの矢が、竜の左目の縁を掠めて、瞬膜を閉じさせた。
そして俺が、《竜牙の大剣》を、その全部の傷が重なった一点に、上から落とした。
握らない。乗せる。当たる直前に、小指と薬指だけ締める。
◇
竜が、初めて、声を上げた。
◇
4秒が終わった。
「引け!」
全員が、同時に飛び退いた。
竜の顎が、俺たちのいた場所を噛んだ。
「……おい、坊主」
ガウスが、走りながら笑った。
「今の、全員が同じところ殴ったな」
「そうです」
「そんなもん、俺は20年やってて一度も——」
「あと10回やります」
「10回!」
◇
戦闘は、40分続いた。
その40分の間、俺たちは、誰ひとり欠けなかった。
ブレスは、11回来た。11回とも、尾が3度跳ねた。11回とも、全員が岩陰に入った。
爪の薙ぎは、23回来た。23回とも反時計回りだった。23回とも、俺たちは時計回りに逃げた。
翼打ちは、7回。7回とも、4秒の硬直があった。7回とも、8人が同じ一点を叩いた。
——これが、攻略だ。
俺は、8回目の翼打ちの硬直に踏み込みながら、そう思っていた。
3年半、俺があのゲームに沈んでいた理由が、たぶん、これだ。
分からないものが、分かるようになる。
何百回も殺されて、その死体の山の上から、パターンが見えてくる。
見えたパターンを、8人で共有する。
共有したパターン通りに、8人が動く。
そして——40分前まで手も足も出なかったものが、崩れる。
◇
「セシルさん! 台座!」
竜のHPが、半分に近づいていた。
正確な数字は見えない。だが、動きが変わりはじめている。呼吸が浅くなり、関節の光が強くなっている。
これが、第二形態への移行の予兆だ。
「4基、位置は把握しています!」
セシルが叫び返した。
「北東、南東、南西、北西! 合図は!」
「俺が出します!」
◇
台座は、火口の縁に4つあった。
見た目は、ただの岩の突起だ。だが、近づくと分かる。表面に、幾何学模様が刻まれている。
——焔の祭壇と、同じ様式だ。
そのことに、俺はこの日、初めて気づいた。
《焔の祭壇》。
《静寂の祭壇》。
そして、この台座。
全部、同じ模様の系統だ。
ゲームの中では、単に「同じテクスチャを使い回している」だけだと思っていた。開発の手抜きだと。
だが、この世界では。
——同じ様式で作られている、ということは。
——同じ誰かが、作った、ということじゃないか?
◇
「ノルンさん!」
リゼの声で、我に返った。
「竜、変わります!」
俺は顔を上げた。
竜の全身の光が、消えた。
一瞬、完全に、真っ黒になった。
そして。
鱗の隙間から漏れていた青白い光が——赤に変わった。
◇
【第二形態】
◇
「配置!」
俺は叫んだ。
「ガウスさん、北東! レイン、南東! セシルさん、南西! 俺が北西! 台座に取り付いて、合図まで待機!」
「合図は!」
「俺が数えます! 3、2、1、で、ゼロで叩いてください!」
俺たちは、火口の縁へ散った。
◇
竜が、動かなくなった。
四肢を地につけ、頭を垂れて、目を閉じている。
そして——竜の体の下から、赤い光の筋が、4本、伸びはじめた。
その4本は、それぞれ、4つの台座へ向かっていた。
——地脈吸収。
「始まりました!」
セシルが叫んだ。
「傷が! 傷が塞がっています!」
40分かけて刻んだ傷が、みるみる埋まっていく。
剥がした鱗が、生え直す。
俺は、北西の台座に取り付いた。
《竜牙の大剣》を振りかぶった。
「3!」
「2!」
「1!」
「——ゼロ!」
◇
4つの台座が、同時に砕けた。
赤い光の筋が、4本とも、途中で切れた。
竜の体から、光が抜けていった。
——通った。
俺は、砕けた台座の上で、少しだけ笑った。
全部、知っている通りだった。
ブレスも、爪も、翼も、台座も。
3年半で積み上げたものが、この世界で、一つ残らず、その通りに機能した。
◇
「よし!」
俺は叫んだ。
「ここから第三段階です! 突進が来ます! 全員、火口の壁際まで——」
◇
そのとき。
竜が、翼を、折り畳んだ。
◇
俺の言葉が、途中で止まった。
——え?
竜は、4対の翼を、背中にぴったりと畳んだ。
そして、頭を、下げた。
地面に。
◇
——そんな動き、ない。
◇
俺は、口を開けたまま、それを見ていた。
黒い山が、砂の中に、沈んでいった。




