31.竜が起きた
竜骨山脈の南麓に、村が3つある。
——あった、と書くべきかもしれない。
◇
報せが王都に届いたのは、俺たちが着いて9日目の朝だった。
「南麓のロヴァル村、ハーン村、シェイド村。3村とも、焼失」
騎士団の伝令が、広間で読み上げた。
「生存者、およそ600。避難路を南へ。……原因は」
伝令の声が、そこで止まった。
「原因は、竜です」
◇
広間が、ざわついた。
「竜? 竜ってのは、あの飛竜のことか」
「飛竜が村を3つも焼くか」
「飛竜じゃない」
伝令は言った。
「体長、およそ40歩。背に4対の翼。鱗が黒く、関節から光が漏れていると」
◇
俺は、椅子から立ち上がっていた。
——カオスドラゴン。
◇
このゲームの、中盤の壁だ。
推奨レベル400。討伐推奨人数8。平均討伐時間47分。
俺が最初に倒したのは、Lv430のときだった。当時のトップ層で8人パーティを組んで、3回全滅して、4回目でようやく落とした。
俺のノルンが、初めて「攻略」という言葉を使った相手だった。
◇
ゲームでは、こいつは「イベント」だった。
サーバー全体に告知が出て、決められた日時に竜骨山脈に湧いて、トップ層が集まって倒す。倒すと素材が配られて、次の週にまた湧く。
祭りだった。
◇
現実では。
——村が、3つ、消えた。
◇
「ノルン」
ドロテアの声だった。
彼女は王都に来ていた。ステインの支部長として、地方の被害報告を上げに来ていたのだ。
「あんた、その顔は何だ」
「……」
「知ってるって顔だ」
◇
俺は、答えを選ぶ時間がなかった。だから、こう言った。
「知っています」
◇
その日の午後、王城の一室に、8人が集められた。
騎士団から2人。レインと、その上官。
魔術院から1人。セシルは学籍停止中だが、「北街道の生存者」として特例で呼ばれた。
ギルドから、ドロテア。
そして、俺、ガウス、リゼ。
◇
「まず、事実を」
ドロテアが口を開いた。
「あれは、討伐できるのか」
◇
全員が、俺を見た。
◇
俺は、覚悟を決めた。
「できます」
「根拠は」
「……知っているからです」
◇
「どこまで知ってる」
「全部です」
俺は言った。
「行動、弱点、必要な装備、倒し方。全部知っています」
◇
沈黙があった。
レインの上官——40がらみの騎士団長が、机を指で叩いた。
「なぜ知っている」
「言えません」
「言えない、で通ると思うのか」
「思いません」
俺は言った。
「ですが、時間がありません。信じるか、信じないかを決めてください」
◇
ドロテアが、笑った。
短く、乾いた笑いだった。
「私は信じるよ」
「マスター」
「こいつは、79日でDに上がった。谷筋を知ってて、群生地を知ってて、露天の鉄を知ってた。全部、誰も知らないことだ」
彼女は火傷の残る腕を組んだ。
「そのたびに、私は『どうやって知った』と聞いた。一度も答えなかった。だが、一度も外れなかった」
「……」
「私は、当たるほうに賭ける」
◇
レインが、うなずいた。
「俺も賭ける」
「アシュフォード卿」
「団長。あの男は、北街道で400人を助けました。判断の速さは私が保証します」
◇
騎士団長は、しばらく黙って、それから言った。
「……分かった。話せ」
◇
「まず、規模から」
俺は、机の上の地図を引き寄せた。
「あの竜は、俺の見積もりで、この場の全員を合わせても届きません」
「なに」
「格が違います」
俺は、《看破》の目盛りで説明した。
「Sランクの方の格を『特上』とします。大陸に3人と聞いています」
「そうだ」
「あの竜は、その3人が同時にかかっても、たぶん足りません」
部屋が、静まり返った。
「……勝てないということか」
「勝てます」
俺は言った。
「正面からやれば負けます。手順どおりにやれば、勝てます」
「手順」
「はい。あれは、決まった動きしかしません」
俺は指を4本立てた。
「一つ。ブレスの前に、必ず尾の先が3度跳ねます。喉が鳴る前です。3度跳ねたら、全員が岩陰に入る。これで死者が出なくなります」
「……」
「二つ。爪の薙ぎ払いは、反時計回りにしか来ません。だから、時計回りに動けば、絶対に当たらない」
「三つ。翼を打ったあと、必ず4秒の硬直があります。攻撃は、そこにだけ入れる」
「四つ」
俺は、地図の上に指を置いた。
「弱点は、喉の逆鱗ではありません」
「待て」
騎士団長が遮った。
「竜の弱点は喉だ。古い記録に、そう書いてある」
「その記録は、間違っています」
「根拠は」
「喉の逆鱗の下には、二重の骨があります。剣は通りません」
俺は言った。
「本当の弱点は、尾の付け根の、古い傷跡です」
「古い傷跡?」
「あの個体は、ずっと昔に、そこを一度やられています。鱗が再生していません」
「なぜそんなことを」
「言えません」
◇
——言えるわけがない。
あれは、ゲームのデザインだ。
カオスドラゴンには「弱点部位」というものが設定されていて、それが尾の付け根だった。設定資料に「かつて古竜との争いで負った傷」という一行の説明がついていた。
つまり俺は、開発の設定資料を根拠に喋っている。
◇
「もう一つあります」
俺は続けた。
「これがいちばん重要です」
「なんだ」
「あの竜は、体力が半分を切ると、形態が変わります」
「形態」
「体の色が変わって、動きが速くなります。そして——」
俺は、地図の山脈の一点を指した。
「地脈を吸いはじめます」
◇
「地脈?」
セシルが顔を上げた。
「地脈というのは、魔術院の用語です。地下を走る魔力の流れのことです。……あなた、なぜその言葉を」
「吸われると、傷が塞がります」
俺は言った。
「際限なく塞がります。だから、削っても削っても終わらない。止めないと、こちらが先に力尽きます」
「止め方は」
「巣の周囲に、台座が4基あります。それを、同時に壊す」
「同時に」
「片方ずつだと、壊した端から直ります。4基同時です」
◇
騎士団長は、地図を睨んでいた。
「……お前は、それを、どうやって知った」
「言えません」
「くそったれが」
彼は、そう言って、机を叩いた。
そして、こう言った。
「だが、そこまで具体的なら、確かめようがある。斥候を出す。尾の付け根に傷があるかどうかだけ、見てこさせる」
◇
斥候が戻ってきたのは、2日後だった。
「……ありました」
若い斥候は、震える声で報告した。
「尾の付け根。左側。長さ10歩ほどの、鱗のない傷跡が」
◇
その日から、誰も俺に「なぜ知っている」と聞かなくなった。
◇
避難路の確保に出たのは、その翌日だった。
南麓から逃げてきた600人が、峡谷の途中で止まっていた。
前方の谷が、燃えていた。
竜のブレスの残り火が、乾いた低木に燃え広がって、火の帯になって峡谷を塞いでいた。
「回り込む道は」
「ありません。あるとすれば、東の尾根越えですが、老人と子供には無理です」
◇
俺は前に出た。
「セシルさん。中級水魔法の《氷結》、俺のを見ていてください」
「……何を」
「混ぜます」
◇
混合魔法は、階梯を問わない。
上級同士でなくても、中級と上級でも、中級と中級でも、混ざる。
ただし、威力は、元の魔法の階梯に依存する。
今回は威力が要らない。要るのは「同時に成立すること」だけだ。
◇
「——凍てつく水よ、繋げ。《氷結》」
冷気が生まれる。
息を吐きながら、そのまま。
「——空を裂く刃よ。《断空》」
◇
《氷結界》。
◇
冷気が、風に乗った。
風に乗った冷気は、面になった。
峡谷の入口に、幅30歩、高さ8歩の氷の壁が、一息で立ち上がった。
火の帯が、氷の壁にぶつかって、止まった。
◇
「今のうちに!」
騎士たちが、避難民を通しはじめた。
老人が、子供が、荷を背負った女たちが、燃える谷の横を、氷の壁に守られて通っていく。
600人が通り終わるまで、17分かかった。
俺は、壁を維持し続けた。
◇
最後の一人が通ったとき、氷の壁が崩れた。
俺は膝をついた。
MP 41/2,180
——ぎりぎりだ。
◇
「ノルンさん」
リゼが、水筒を差し出した。
俺は飲んだ。
「……あの、ノルンさん」
「はい」
「今の、混ぜたやつ」
「はい」
「二つ目ですよね」
「そうですね」
「二つ目、いつ覚えたんですか」
「……今です」
「今!?」
◇
その夜、俺は野営の天幕で、地図を広げていた。
竜骨山脈の南麓。
竜の巣の位置に、印をつける。
斥候の報告では、南麓の第2峰の、東の火口跡。
◇
俺は、その位置を見て、手が止まった。
◇
——違う。
◇
俺の記憶では、カオスドラゴンの巣は、第3峰の北面だ。
第2峰の東ではない。
◇
俺は、地図の上で、二つの点を指で結んだ。
距離にして、直線で40キロ。山を二つ越える。
◇
——移動した?
◇
ゲームでは、あの竜は決まった場所に湧いた。移動しない。イベントの座標が固定されていたからだ。
現実だから移動した——という説明も、できなくはない。
だが。
◇
俺は、地図の上の第2峰の東を見た。
そこは、南麓の3つの村に、いちばん近い場所だった。
◇
第3峰の北面から、村までは、山を二つ越える。
第2峰の東からは、まっすぐ降りるだけだ。
◇
——誰かが、村のほうへ、動かしたのか。
◇
俺は、天幕の中で、しばらく地図を見ていた。
外で、避難民の子供が泣いていた。
◇
ステータスウィンドウを開いた。
Lv.320
◇
推奨レベル400まで、あと80。
討伐までに、あと何日ある?
◇
俺は、指を折った。
——足りない。




