28.顎が外れる
北街道が塞がれた、という報せが入ったのは、その3日後だった。
「魔物の群れです」
ミリアの声が、いつもと違っていた。
「北から、ステインへ向かっています。数が、おかしいんです」
「おかしい?」
「氷狼、雪蟲、白熊種。生息域がばらばらの魔物が、一緒に来ています」
◇
ありえない。
このゲームで、モンスターは種ごとに湧く場所が決まっている。氷狼と白熊種が混ざることはあっても、雪蟲まで加わるのは、湧きの仕様として説明がつかない。
——使役されている。
◇
「討伐隊は」
「王都に要請を出しましたが、6日かかります」
「6日」
「群れは、明後日には街道の関所に届きます。関所には、避難民が400人います」
◇
俺は立ち上がった。
「行きます」
「ノルンさん、待って——」
◇
北街道の関所には、既に3人が立っていた。
ガウス。セシル。リゼ。
「坊主。遅い」
ガウスが大剣を担ぎ直した。
「あんたら、なんでここに」
「ミリアが呼んだ」
「……あの人、仕事が早すぎませんか」
「支部の職員ってのは、みんなああだ」
◇
そして、もう一人いた。
白銀の甲冑。
「レイン・アシュフォード」
彼は俺を見て、うなずいた。
「王都からの視察の帰りだ。たまたま居合わせた」
「騎士団は」
「俺ひとりだ。部隊は先に発った」
◇
5人。
正確には、4人と、俺。
避難民400人を背後に置いて、5人で群れを止める。
◇
群れが来たのは、翌日の昼だった。
丘の向こうから、白い波のように来た。
数えるのを、俺は途中でやめた。
氷狼だけで100を超えている。その後ろに雪蟲の群れ。さらに後ろに、白熊種が3頭。
そして——群れの中心に、人がいた。
◇
灰色の外套。フードを目深にかぶった、細い男。
手に、黒い杖を持っている。
《看破》を向けた。
灰被りのジェスタ 格:上(推定)
——上。
ガウスと同格か、少し上だ。
「あれが、群れを引いてるのか」
ガウスが唸った。
「魔物使役の禁術です」
セシルが言った。
「魔術院が200年前に封印した術です。使えば、術者の寿命が削れます。だから、使う者はほとんどいません」
「ほとんど、ってことは」
「金を積まれれば、使う者はいます」
◇
——バルドー・ケインだ。
考えるまでもなかった。
俺が7日で潰した男が、8日目に金を出した。それだけの話だ。
◇
戦闘は、最初の20分は、持った。
ガウスが正面で受けた。
大剣が氷狼を薙ぎ、白熊種の突進を受け止め、押し返した。あの人は本当に強い。Lv95で、これだけの数を止めている。
レインが右翼を抑えた。
無駄がない。一撃で一頭。それを繰り返す。
セシルが中級魔法を回した。
《地縛楔》で足を止め、《氷結》で足場を凍らせ、《炎刃》で薄い皮膚を裂く。
リゼが後ろから、目だけを狙って射た。
《風追いの短弓》は、彼女の腕を確実に変えていた。矢が風で流れないというのは、この距離では決定的だ。
俺は——左翼を、ひとりで潰していた。
◇
だが。
20分で、限界が来た。
数が違いすぎた。
◇
ガウスの大剣が、白熊種の一撃で、根元から折れた。
「ぐ——」
彼は吹き飛んで、関所の石壁に叩きつけられた。
「ガウスさん!」
セシルが駆け寄ろうとして、詠唱を中断した。
中断した瞬間、氷狼が3頭、彼女に飛びかかった。
「セシルさん!」
リゼが矢を放った。1頭が落ちた。
だが2頭は届いた。
セシルはローブごと押し倒された。
◇
リゼが矢筒に手を入れて、止まった。
最後の1本だった。
◇
レインが左手を上げた。
「ノルン! 下がれ! 避難民を——」
◇
——ここまでだ。
◇
俺は、剣を鞘に収めた。
そして、前に出た。
◇
これを使えば、全部が終わる。
俺が誰なのか、俺が何を持っているのか、この4人に隠してきた全部が、この場で剥がれる。
Lv250。
上級魔法。
混合魔法。
——だから何だ。
◇
俺は、群れの正面に立った。
両手を、開いた。
「——天蓋を焼く舌よ。地の果てまで、走れ。《紅蓮嵐》」
火が生まれた。
俺の右手の上で、赤い光が膨らんだ。
「——ノルン、何を——」
レインの声がした。
俺は、息を吸わなかった。
吐きながら、そのまま、次に入った。
「——空を裂く刃よ。《断空》」
◇
《焔嵐》。
◇
炎の竜巻が、北街道を走った。
◇
音は、遅れて来た。
最初に来たのは、光だった。
街道の300歩先までが、白く飛んだ。
そのあとに、熱風が戻ってきた。俺の背後で、避難民の天幕が全部倒れた。
そして、音。
◇
——ごうっ、という音を、俺は生涯忘れないと思う。
火が、風に乗って、回りながら走る音だ。
森が燃える音でも、家が焼ける音でもない。
もっと低くて、もっと連続していて、耳ではなく胸の骨に響く音。
◇
竜巻は、街道を丘の向こうまで駆け上がって、そこで崩れた。
崩れた場所に、何も残っていなかった。
◇
氷狼が、いない。
雪蟲が、いない。
白熊種が、3頭とも、いない。
街道の石畳が、赤く融けて、波打っていた。
◇
静かになった。
◇
俺は、手を下ろした。
そして、振り返った。
◇
ガウスが、石壁にもたれたまま、こっちを見ていた。
彼の手から、折れた大剣の柄が、落ちた。
からん、という音が、やけに大きく響いた。
◇
セシルは、氷狼の下から這い出したところだった。
膝立ちのまま、街道を見ていた。
そして、そのまま、崩れた。
膝から、地面に。
「……今」
彼女の声は、ほとんど音になっていなかった。
「今、なにを、した」
◇
レインは、立っていた。
白銀の甲冑のまま、剣を握ったまま、微動だにせず立っていた。
彼の顔は、俺の知らない顔だった。
怒ってもいない。驚いてもいない。
——分類できないものを見た人間の顔だ。
◇
リゼだけが、動いた。
彼女は最後の1本の矢を筒に戻して、俺のところまで歩いてきた。
そして、俺の焦げた袖を掴んで、こう言った。
「言ったでしょう」
彼女は、笑っていた。
「この人、厄介なんです」
◇
その言い方が、あまりに普通だったので。
ガウスが、先に、噴き出した。
「……はっ」
彼は石壁にもたれたまま、腹を押さえた。
「はは。はははは」
「ガウスさん、肋、折れてますよ」
「知ってる。痛え」
「笑わないでください」
「無理だ」
彼は笑いながら、涙を拭った。
「坊主。お前、28じゃなかったのか」
「……28です」
「そうか」
彼は笑い続けた。
「28か。そりゃ、大したもんだ」
◇
セシルは、地面に座り込んだまま、動かなかった。
俺は、彼女の前に膝をついた。
「セシルさん」
「……」
「怪我は」
「ノルンさん」
彼女は顔を上げた。
「あなたは、私に、17日ぶんの実験を見せました」
「はい」
「私は、それを記録しました。全部です」
「はい」
「そして、あなたは今日、それを、400人の前で使いました」
◇
俺は、その意味を、そのとき理解しなかった。
◇
背後で、音が起きた。
ざわめきですら、なかった。400人が、同時に息を吸った音だった。
俺は、すぐには振り返れなかった。だから、音だけを聞いていた。
倒れた天幕の布を跳ね上げる音。
子供を抱え上げて、街道のほうへ向かせる声。
荷車の陰から誰かが出てきて、そこで、崩れる音。
——崩れた?
◇
俺は、振り返った。
400人のうち、30人か40人が、地面に膝をついていた。こちらに、向かって。
頭を下げている者がいた。胸の前で手を組んでいる者がいた。老人がひとり、砂に額をつけていた。
——やめてくれ。
◇
俺は魔法使いじゃない。剣士だ。しかもこの魔法を覚えたのは17日前で、眉はまだ生え揃っていない。
その17日を、この人たちは見ていない。
見たのは、炎の竜巻が街道を300歩ぶん消したところだけだ。
◇
——これを、俺は知っている。
3年半、俺は毎晩これをやっていた。
初心者が死にかけたとき、3秒だけ本気を出して、群れを消して、それから「たまたま」と打つ。チャット欄が止まる。それから「何それ」「神」と流れはじめる。
あれは、気持ちがよかった。
そして、あのときの俺は、その気持ちよさの代金を、1銅貨も払っていなかった。
◇
『ノルンさんの言うとおりにしたのに、ぼくが下手だったから』
◇
膝をついている40人が、明日、俺に何を聞きに来るか。
俺がそれに何と答えるか。
答えた言葉が、そのあと、何に変わるか。
——全部、見たことがある。
◇
「ノルンさん」
セシルの声だった。
彼女は座り込んだまま、俺と同じほうを見ていた。膝をついた40人を、見ていた。
「もう、隠せませんよ」
◇
丘の上に、灰色の外套が立っていた。
灰被りのジェスタ。
群れを全部焼かれて、それでも、まだそこにいた。
彼はフードを上げた。
顔が見えた。若い。30前後。左の頬に古い傷がある。
そして、こちらを見て——笑った。
◇
「……いいものを見た」
風に乗って、その声が届いた。
「金を返さなくていい。今日は、これで釣りが来る」
◇
俺は追わなかった。
追えなかった。
《焔嵐》の反動で、俺の左腕は、肘から先の感覚が消えていた。




