↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
28/29

28.顎が外れる

北街道が塞がれた、という報せが入ったのは、その3日後だった。


「魔物の群れです」


ミリアの声が、いつもと違っていた。


「北から、ステインへ向かっています。数が、おかしいんです」


「おかしい?」


「氷狼、雪蟲、白熊種。生息域がばらばらの魔物が、一緒に来ています」


   ◇


ありえない。


このゲームで、モンスターは種ごとに湧く場所が決まっている。氷狼と白熊種が混ざることはあっても、雪蟲まで加わるのは、湧きの仕様として説明がつかない。


——使役されている。


   ◇


「討伐隊は」


「王都に要請を出しましたが、6日かかります」


「6日」


「群れは、明後日には街道の関所に届きます。関所には、避難民が400人います」


   ◇


俺は立ち上がった。


「行きます」


「ノルンさん、待って——」


   ◇


北街道の関所には、既に3人が立っていた。


ガウス。セシル。リゼ。


「坊主。遅い」


ガウスが大剣を担ぎ直した。


「あんたら、なんでここに」


「ミリアが呼んだ」


「……あの人、仕事が早すぎませんか」


「支部の職員ってのは、みんなああだ」


   ◇


そして、もう一人いた。


白銀の甲冑。


「レイン・アシュフォード」


彼は俺を見て、うなずいた。


「王都からの視察の帰りだ。たまたま居合わせた」


「騎士団は」


「俺ひとりだ。部隊は先に発った」


   ◇


5人。


正確には、4人と、俺。


避難民400人を背後に置いて、5人で群れを止める。


   ◇


群れが来たのは、翌日の昼だった。


丘の向こうから、白い波のように来た。


数えるのを、俺は途中でやめた。


氷狼だけで100を超えている。その後ろに雪蟲の群れ。さらに後ろに、白熊種が3頭。


そして——群れの中心に、人がいた。


   ◇


灰色の外套。フードを目深にかぶった、細い男。


手に、黒い杖を持っている。


《看破》を向けた。


 灰被りのジェスタ 格:上(推定)


——上。


ガウスと同格か、少し上だ。


「あれが、群れを引いてるのか」


ガウスが唸った。


「魔物使役の禁術です」


セシルが言った。


「魔術院が200年前に封印した術です。使えば、術者の寿命が削れます。だから、使う者はほとんどいません」


「ほとんど、ってことは」


「金を積まれれば、使う者はいます」


   ◇


——バルドー・ケインだ。


考えるまでもなかった。


俺が7日で潰した男が、8日目に金を出した。それだけの話だ。


   ◇


戦闘は、最初の20分は、持った。


ガウスが正面で受けた。


大剣が氷狼を薙ぎ、白熊種の突進を受け止め、押し返した。あの人は本当に強い。Lv95で、これだけの数を止めている。


レインが右翼を抑えた。


無駄がない。一撃で一頭。それを繰り返す。


セシルが中級魔法を回した。


《地縛楔》で足を止め、《氷結》で足場を凍らせ、《炎刃》で薄い皮膚を裂く。


リゼが後ろから、目だけを狙って射た。


《風追いの短弓》は、彼女の腕を確実に変えていた。矢が風で流れないというのは、この距離では決定的だ。


俺は——左翼を、ひとりで潰していた。


   ◇


だが。


20分で、限界が来た。


数が違いすぎた。


   ◇


ガウスの大剣が、白熊種の一撃で、根元から折れた。


「ぐ——」


彼は吹き飛んで、関所の石壁に叩きつけられた。


「ガウスさん!」


セシルが駆け寄ろうとして、詠唱を中断した。


中断した瞬間、氷狼が3頭、彼女に飛びかかった。


「セシルさん!」


リゼが矢を放った。1頭が落ちた。


だが2頭は届いた。


セシルはローブごと押し倒された。


   ◇


リゼが矢筒に手を入れて、止まった。


最後の1本だった。


   ◇


レインが左手を上げた。


「ノルン! 下がれ! 避難民を——」


   ◇


——ここまでだ。


   ◇


俺は、剣を鞘に収めた。


そして、前に出た。


   ◇


これを使えば、全部が終わる。


俺が誰なのか、俺が何を持っているのか、この4人に隠してきた全部が、この場で剥がれる。


Lv250。


上級魔法。


混合魔法。


——だから何だ。


   ◇


俺は、群れの正面に立った。


両手を、開いた。


「——天蓋を焼く舌よ。地の果てまで、走れ。《紅蓮嵐》」


火が生まれた。


俺の右手の上で、赤い光が膨らんだ。


「——ノルン、何を——」


レインの声がした。


俺は、息を吸わなかった。


吐きながら、そのまま、次に入った。


「——空を裂く刃よ。《断空》」


   ◇


      《焔嵐》。


   ◇


炎の竜巻が、北街道を走った。


   ◇


音は、遅れて来た。


最初に来たのは、光だった。


街道の300歩先までが、白く飛んだ。


そのあとに、熱風が戻ってきた。俺の背後で、避難民の天幕が全部倒れた。


そして、音。


   ◇


——ごうっ、という音を、俺は生涯忘れないと思う。


火が、風に乗って、回りながら走る音だ。


森が燃える音でも、家が焼ける音でもない。


もっと低くて、もっと連続していて、耳ではなく胸の骨に響く音。


   ◇


竜巻は、街道を丘の向こうまで駆け上がって、そこで崩れた。


崩れた場所に、何も残っていなかった。


   ◇


氷狼が、いない。


雪蟲が、いない。


白熊種が、3頭とも、いない。


街道の石畳が、赤く融けて、波打っていた。


   ◇


静かになった。


   ◇


俺は、手を下ろした。


そして、振り返った。


   ◇


ガウスが、石壁にもたれたまま、こっちを見ていた。


彼の手から、折れた大剣の柄が、落ちた。


からん、という音が、やけに大きく響いた。


   ◇


セシルは、氷狼の下から這い出したところだった。


膝立ちのまま、街道を見ていた。


そして、そのまま、崩れた。


膝から、地面に。


「……今」


彼女の声は、ほとんど音になっていなかった。


「今、なにを、した」


   ◇


レインは、立っていた。


白銀の甲冑のまま、剣を握ったまま、微動だにせず立っていた。


彼の顔は、俺の知らない顔だった。


怒ってもいない。驚いてもいない。


——分類できないものを見た人間の顔だ。


   ◇


リゼだけが、動いた。


彼女は最後の1本の矢を筒に戻して、俺のところまで歩いてきた。


そして、俺の焦げた袖を掴んで、こう言った。


「言ったでしょう」


彼女は、笑っていた。


「この人、厄介なんです」


   ◇


その言い方が、あまりに普通だったので。


ガウスが、先に、噴き出した。


「……はっ」


彼は石壁にもたれたまま、腹を押さえた。


「はは。はははは」


「ガウスさん、肋、折れてますよ」


「知ってる。痛え」


「笑わないでください」


「無理だ」


彼は笑いながら、涙を拭った。


「坊主。お前、28じゃなかったのか」


「……28です」


「そうか」


彼は笑い続けた。


「28か。そりゃ、大したもんだ」


   ◇


セシルは、地面に座り込んだまま、動かなかった。


俺は、彼女の前に膝をついた。


「セシルさん」


「……」


「怪我は」


「ノルンさん」


彼女は顔を上げた。


「あなたは、私に、17日ぶんの実験を見せました」


「はい」


「私は、それを記録しました。全部です」


「はい」


「そして、あなたは今日、それを、400人の前で使いました」


   ◇


俺は、その意味を、そのとき理解しなかった。


   ◇


背後で、音が起きた。


ざわめきですら、なかった。400人が、同時に息を吸った音だった。


俺は、すぐには振り返れなかった。だから、音だけを聞いていた。


倒れた天幕の布を跳ね上げる音。


子供を抱え上げて、街道のほうへ向かせる声。


荷車の陰から誰かが出てきて、そこで、崩れる音。


——崩れた?


   ◇


俺は、振り返った。


400人のうち、30人か40人が、地面に膝をついていた。こちらに、向かって。


頭を下げている者がいた。胸の前で手を組んでいる者がいた。老人がひとり、砂に額をつけていた。


——やめてくれ。


   ◇


俺は魔法使いじゃない。剣士だ。しかもこの魔法を覚えたのは17日前で、眉はまだ生え揃っていない。


その17日を、この人たちは見ていない。


見たのは、炎の竜巻が街道を300歩ぶん消したところだけだ。


   ◇


——これを、俺は知っている。


3年半、俺は毎晩これをやっていた。


初心者が死にかけたとき、3秒だけ本気を出して、群れを消して、それから「たまたま」と打つ。チャット欄が止まる。それから「何それ」「神」と流れはじめる。


あれは、気持ちがよかった。


そして、あのときの俺は、その気持ちよさの代金を、1銅貨も払っていなかった。


   ◇


『ノルンさんの言うとおりにしたのに、ぼくが下手だったから』


   ◇


膝をついている40人が、明日、俺に何を聞きに来るか。


俺がそれに何と答えるか。


答えた言葉が、そのあと、何に変わるか。


——全部、見たことがある。


   ◇


「ノルンさん」


セシルの声だった。


彼女は座り込んだまま、俺と同じほうを見ていた。膝をついた40人を、見ていた。


「もう、隠せませんよ」


   ◇


丘の上に、灰色の外套が立っていた。


灰被りのジェスタ。


群れを全部焼かれて、それでも、まだそこにいた。


彼はフードを上げた。


顔が見えた。若い。30前後。左の頬に古い傷がある。


そして、こちらを見て——笑った。


   ◇


「……いいものを見た」


風に乗って、その声が届いた。


「金を返さなくていい。今日は、これで釣りが来る」


   ◇


俺は追わなかった。


追えなかった。


《焔嵐》の反動で、俺の左腕は、肘から先の感覚が消えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。