29.白い髪の女
ジェスタは、3日後に捕まった。
捕まえたのは俺じゃない。北街道の関所を守っていた王国軍の分隊が、彼が禁術の反動で倒れているところを、街道脇の茂みで見つけた。
魔物使役の禁術は、術者の寿命を削る。100頭以上を一度に操れば、削れる量も相応になる。
俺が焼いたのは魔物だけだったが、術のつながりを断たれた反動が、彼を潰したらしい。
◇
王都への護送に、俺は同行することになった。
理由は二つ。
一つは、ジェスタの雇い主を証言する必要があったから。
もう一つは——王立魔術院と、王国騎士団の両方から、俺に「話を聞きたい」という要請が来たからだ。
「断れませんよ」
ミリアが言った。
「400人が見ています」
◇
護送の道中は、11日かかった。
馬車に、俺、ガウス、リゼ、セシル、レイン。それに騎士が6人。
◇
11日間、俺は馬車に座っていたわけじゃない。
宿場に着くたびに、俺はひとりで外へ出た。
北へ上がる街道沿いには、狩ったことのない相手が並んでいる。灰角鹿(推奨180・境界260)、鉄嘴鴉(推奨195・境界150)、街道砂蟲(推奨210・境界90)。どれも習熟度が0だ。
この世界の冒険者は、こういう移動の日を「休み」として使う。
俺は使わない。
移動の11日間は、俺にとって、11日分の新たな経験になる。
◇
ガウスが、3日目の朝に言った。
「坊主。お前、寝てるのか」
「寝てます」
「宿の主人が言ってたぞ。夜中に出てって、明け方に帰ってくるってな」
「……散歩です」
「血の匂いのする散歩だな」
ジェスタは檻の中で、ほとんど喋らなかった。
一度だけ、俺に話しかけてきた。
「なあ」
「なんですか」
「お前、あれ、どこで覚えた」
◇
俺は答えなかった。
ジェスタは、格子に額をつけて、笑った。
「まあいい。俺には関係ねえ。どうせ首が飛ぶ」
「……」
「ただな、一個だけ言っとくとな」
彼は、こう言った。
「お前で、二人目だ」
◇
——なんだって?
◇
俺は檻に近づいた。
「二人目、というのは」
「そのままの意味だよ」
ジェスタは目を閉じた。
「見たことのない魔法を使うやつは、お前で二人目だ」
「一人目は」
「言うわけねえだろ」
◇
彼は、それきり口を開かなかった。
護送の6日目に、彼は檻の中で死んだ。禁術の反動だった。
◇
だが、その一言があったおかげで、俺は次の宿場で、聞き方を変えることができた。
それまで俺は、こう聞いていた。
「このあたりで、変わったことはありませんでしたか」
これでは、何も出ない。
◇
俺は、聞き方をこう変えた。
「見たことのない魔法を使う人間の話を、聞いたことはありませんか」
◇
7日目の宿場で、当たりが出た。
◇
『鉄輪亭』という、街道沿いの安宿だった。
主人は60がらみの男で、片目が白かった。
「見たことのない魔法、ねえ」
彼は麦酒を注ぎながら、少し考えた。
「そういや、去年の秋に、変な客がいたな」
◇
俺は、コップを置いた。
「詳しく、聞かせてもらえますか」
「あんた、あれか。役人か」
「冒険者です」
「まあいいや。大した話じゃねえよ」
◇
主人の話は、こうだった。
去年の秋——およそ10か月前。
若い女が、ひとりで泊まった。
「若いってのは、20かそこらだな。細かった。あんまり食わなかった」
「特徴は」
「髪だな」
主人は自分の頭を指した。
「白かった」
◇
「白い、というのは。年寄りの白髪ですか」
「いや。白い。真っ白。染めたのとも違う。あんな色は見たことねえ」
——白髪。
俺の頭の中で、何かが引っかかった。
引っかかったが、形にならなかった。
「言葉は」
「訛ってた。どこの訛りかは分からん。ときどき、聞いたことのない言葉を、独り言で言ってた」
「たとえば」
「覚えてねえよ。10か月前だぞ」
◇
「それで、その人が何をしたんですか」
「翌朝な」
主人は麦酒を自分の分も注いだ。
「街道が塞がってたんだ。北の峰から岩熊が降りてきて、5頭。あの年は当たり年でな。街道の真ん中に居座って、荷馬車が3日止まってた」
「岩熊」
「そうだ。で、討伐隊を待つしかねえって話になってた。そしたらその女が、朝飯も食わずに出てって」
彼はコップを置いた。
「戻ってきて、『通れます』って言ったんだ」
◇
「……ひとりで、5頭を」
「そうだ。俺は見てねえ。見たのは、荷馬車の御者が3人」
「その人たちは、何と」
「訳の分からんことを言ってたよ」
主人は肩をすくめた。
「『火と土が、いっぺんに落ちてきた』ってな」
◇
俺は、コップの縁を握った。
◇
「火と、土が」
「そう言ってた。空から火の玉が落ちてきて、同時に地面が持ち上がって、熊を挟み潰したんだと」
「同時に」
「同時にだ。俺も『そりゃ順番だろ』って言ったんだが、3人とも同時だって言い張ってな」
◇
——混合魔法だ。
土と火。《溶岩落》。
俺がまだ試していない組み合わせだった。
◇
「その女は、それから」
「その日のうちに出てったよ。南へ」
「支払いは」
「金貨で払った。釣りは要らんと」
「金貨」
「そうだ。だから覚えてる」
主人は、指で金貨の大きさを作った。
「駆け出しみたいな身なりで、金貨だ。妙だろ」
◇
俺は、宿の外へ出た。
夜だった。
街道の向こうに、暗い山影が見えた。
◇
——10か月前。
俺がこの世界に落ちたのは、5か月前だ。
その5か月前に、白い髪の女が、混合魔法を使ってこの街道を通っていった。
◇
計算が、合わない。
◇
俺がカルナスの廃遺跡で床を踏み抜いたのは、日曜の夜だ。
腕の中のスミレを投げ飛ばして、俺だけが落ちた。
落ちて、暗闇を落ち続けて、地震が来て、気を失って、目が覚めたら、この世界にいた。
——あの瞬間から、ここまでは、繋がっている。
途中に10か月分の空白なんて、ない。
◇
だとすれば、可能性は二つだ。
一つ。俺が気を失っていた時間が、実は10か月以上あった。
だが、それだと辻褄が合わない。俺が目を覚ましたのは、洞窟の中だ。10か月も洞窟に転がっていたら、俺は餓死している。
二つ。
——先に来ていた。
俺より、先に。
◇
俺は、宿の壁にもたれた。
もし先客が、俺と同じ場所から来たのなら。
同じ場所というのは、つまり、あのゲームだ。
だとしたら、そいつは、俺より10か月以上前に、こっちへ来ている。
だが、10か月前の俺は、日本で普通に学校に行っていた。
——同じ世界から来たのに、時間がずれてる?
◇
考えれば考えるほど、頭がおかしくなりそうだった。
俺は、ステータスウィンドウを開いた。
Lv.285
11日間の護送で、35上がっていた。
灰角鹿を259体、鉄嘴鴉を149体、街道砂蟲を89体。どれも境界の1体手前で止めた。
——数字は、順調だ。
順調なのに、少しも安心できない。
俺が35上げたこの11日間と同じ日々を、あいつは、俺より10か月早く始めている。
クエストログ
進行中:???
最初の日からずっとそこにある、受けた覚えのない依頼。
視線を合わせても、展開しない。
称号:――――
横棒が4本。
◇
俺は、その表示を、長いこと見ていた。
◇
「ノルンさん」
背後から声がした。
リゼだった。
「宿の主人から聞きました」
「……聞いてたんですか」
「聞いてました。壁の裏で」
「趣味が悪いですよ」
「知ってます」
彼女は、俺の隣に立った。
「白い髪の女の人が、あなたの言ってた『知らないやつ』ですか」
「たぶん」
「敵ですか」
「分かりません」
「じゃあ、味方かも」
「分かりません」
◇
リゼは、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「ノルンさん」
「はい」
「その人、10か月前に、この街道の岩熊を5頭、片付けたんですよね」
「……そうです」
「じゃあ、その人が通ったあと、この街道を通った人は、みんな助かってますよね」
◇
俺は、彼女の顔を見た。
「……そうですね」
「悪い人じゃないかもしれません」
「そうかもしれません」
◇
だが、俺は、別のことを考えていた。
10か月前、この街道の岩熊を片付けた誰かがいる。
そして5か月後、東の森に降りた岩熊を、誰も片付けなかった。
——同じ生き物だ。
◇
もしその白い髪の女が、そのころステインの近くにいたら。
もし彼女が、東の森の斜面を通っていたら。
メルは、死ななかったかもしれない。
◇
そんなことを考えても、意味がないと分かっている。
分かっているのに、考えてしまった。
◇
俺は空を見上げた。
双月が、両方とも出ていた。
白月と、赤月。
——ここは、本当に、ゲームの中なのか?
俺は、初めてそれを疑った。
ゲームの中なら、時間はプレイヤーの都合で流れる。
だが、この世界の時間は、俺が来る前から流れていた。
俺が来る前に、誰かが街道の熊を殺していた。
俺が来る前に、宝箱は開けられていた。
俺が来る前に、祭壇は踏まれていた。
——ここは、俺が知っている場所じゃない。
——俺が知っている場所と、同じ形をした、どこかだ。




