↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/27

22.隣で歩く

トトの左脚は、繋がった。


神官が3日かけて、骨を戻して、癒着させた。この世界の治癒術は俺の想像よりよく効く。折れた骨は繋がるし、裂けた皮膚は塞がる。


だが、完全には戻らなかった。


「膝から下の感覚が、半分ほど失われています」


治療院の神官が、俺に説明した。


「歩けます。走るのは、難しいでしょう」


「……治りますか」


「戻る例もあります。ですが、こちらから何かできることは、もうありません」


「じゃあ、何が要りますか」


神官は、少し困った顔をした。


「毎日、使うことです。使わない脚は、忘れます」


   ◇


俺が最初にやったのは、金を置くことだった。


トトの治療費、もう一人の子の腕の処置、それにメルの弔いの費用。全部で3金貨と40銀貨。俺の所持金の、だいたい半分だった。


ミリアに預けて、名前は出さないでくれと頼んだ。


「……なぜですか」


「俺が出したと知ったら、あの子が受け取りません」


「ノルンさん」


ミリアは、金貨を数えながら言った。


「それは、あの子のためですか。それとも、あなたのためですか」


俺は答えられなかった。


   ◇


翌朝、俺はギルドの寮の前に立っていた。


まだ暗いうちだった。


しばらくして、扉が開いて、トトが出てきた。


松葉杖をついていた。


俺を見て、彼は固まった。


「……ノルンさん」


「おはよう」


「あの」


「散歩に行こう」


「え」


「散歩」


俺は歩き出した。


トトは、しばらく立ち尽くしていたが、やがて松葉杖を鳴らして、ついてきた。


   ◇


その日、俺たちは西門を出て、草原の入口まで行って、戻ってきた。


距離にして、往復で2000歩くらいだ。


トトはそれで息が上がっていた。途中で3回休んだ。


角兎が1匹、遠くを跳ねていった。


「……」


トトは、それを目で追った。


追って、松葉杖を握り直して、動かなかった。


俺は、何も言わなかった。


   ◇


3日目に、彼は言った。


「ノルンさん」


「うん」


「ぼく、どうすればいいですか」


——来た。


俺は、足を止めた。


3年半、俺が何百回も受けてきた質問だ。


そして、いつもなら、俺には用意された答えがある。「まずこうしろ」「次にこうしろ」「その狩場はやめておけ」。


口の中に、答えが並んでいた。


膝から下の感覚が半分ないなら、まず足首の可動域を戻す運動を。そのあとは体重をかける訓練を。狩りに戻るなら、動かなくていい役——後衛か、罠か、あるいは弓か。角兎の逓減はもう気にしなくていい、あの子はそこまで行っていない。


全部、言える。


——言うな。


俺は、口を閉じた。


   ◇


「分からない」


俺はそう言った。


トトが顔を上げた。


「え」


「俺には、分からない」


「……ノルンさんでも、ですか」


「俺だから、分からない」


俺は、彼の目を見た。


「俺は、この間、分かったつもりで喋った。それで、こうなった」


トトの顔が歪んだ。


「あれは、ぼくが」


「違う」


俺は言った。


「君は、俺の言うことを聞いた。聞いたのが間違いだった。俺が言ったのが間違いだった。どっちにしても、君が下手だったからじゃない」


「……」


「だから、もう、俺は答えを言わない」


俺は、自分の隣を指した。


「その代わり、ここにいる」


   ◇


それから20日間、俺は毎朝、彼の隣を歩いた。


最初の5日は、街の外を往復するだけだった。


6日目に、トトが「兎、狩ってみたいです」と言った。


俺は「そうか」とだけ答えた。


彼が槍を構えた。松葉杖を放して、片足に体重を乗せて、震えながら構えた。


角兎が突っ込んできた。


外した。


角が腿を掠めて、トトは転んだ。


俺は、動かなかった。


——ここで剣を抜けば、この20日が全部無駄になる。


角兎はもう一度跳ねた。


トトは地面から槍を突き出した。


外した。


3回目で、当たった。


   ◇


「ノルンさん!」


彼は地面に座り込んだまま、俺を振り返った。


俺は、親指を立てた。


それだけにした。


「昨日より、確実にましだ」とか、「その形がいい」とか、そういう言葉が喉まで出かかったが、飲み込んだ。


言えば、また、俺の言葉になってしまう気がした。


   ◇


危ないときだけ、俺は剣を出した。


10日目、狼が1匹、迷い込んできたときだ。


俺はトトの前に出て、抜いて、1秒で終わらせて、鞘に戻した。


「ノルンさん」


「うん」


「今の、何もしてないみたいでした」


「してるよ」


「……ぼくにも、いつかできますか」


——できない。


そう思った。


俺のこれは、Lv180の膂力と、ゲームの中で何百回も見た行動パターンの記憶と、《剣術Ⅳ》のスキル補正でできている。トトが同じことをするには、たぶん10年かかる。


だが、俺は、こう言った。


「分からない」


「また、分からないですか」


「うん」


トトは、少し笑った。


初めて笑った。


「ノルンさん、最近、分からないばっかりですね」


「そうなんだよ」


   ◇


20日目の朝だった。


トトは、松葉杖を持たずに出てきた。


「今日、なしで行ってみます」


「うん」


歩き出して、100歩くらいで彼はよろけた。俺は手を出さなかった。彼は自分で立て直した。


草原の入口まで行って、そこで座って、二人で水を飲んだ。


そのとき、トトが背嚢から何かを出した。


麻の袋だった。


「……これ」


俺は、それを見た。


メルの袋だった。リゼが拾って、そのあとトトに渡したのだろう。


「ノルンさんに、渡そうと思って」


「……いや、それは」


「メル、これずっと書いてたんです」


トトは袋を開けて、中から、ぼろぼろの綴じ紙を出した。


   ◇


俺は、それを受け取った。


粗末な紙だ。羊皮紙ですらない。植物の繊維を漉いた、安い紙。表紙はなく、麻紐で綴じてある。


開いた。


小さな、几帳面な字が、びっしり詰まっていた。


『東の谷の白い葉。切り傷によく効く。熱には効かない。3日目から効かなくなる。なぜかは分からない。』


『赤い実の皮。腹下しに使えると聞いたが、私が試したら余計にひどくなった。使わないこと。』


『沢の苔。傷口に貼ると膿まない。ただし乾かすと駄目。濡れたまま使う。』


『黄色い花の根。眠くなる。痛みには効いていない。痛みが消えたと本人は言うが、たぶん眠いだけ。』


『青灰色の葉。火傷に効く。これはよく効く。これはとてもよく効く。3回試して3回とも効いた。まだ名前を知らない。』


   ◇


俺は、綴じ紙をめくり続けた。


40枚以上あった。


日付が入っていた。いちばん古いものは、2年前だった。


彼女は13歳から、これを書いていた。


   ◇


俺は、手が止まった。


——ない。


俺の頭の中に、この情報は、一行も入っていない。


このゲームに、薬草の細かい効能なんてなかった。「下級ポーションの材料」というアイテム説明が一行あるだけだ。回復量は数値で決まっていて、傷の種類によって効き方が変わることも、3日目から効かなくなることも、実装されていない。


つまり。


このぼろぼろの紙に書いてあることは。


——925レベルぶんの俺の記憶に、一行もない。


   ◇


「ノルンさん?」


トトが、俺の顔を覗き込んだ。


「……いや」


俺は、綴じ紙を閉じた。


「これ、預かっていいか」


「はい」


「大事にする」


   ◇


その日の帰り道、俺は綴じ紙を、荷の一番奥に入れた。


濡れないように、油紙で包んで、いちばん底に。


   ◇


街に戻ると、ギルドの前にリゼが立っていた。


「おかえりなさい」


「……見てたんですか」


「毎日見てました」


彼女は、腕を組んだ。


「20日間、毎朝。何時に出て、何時に帰ってくるか、全部知ってます」


「怖いですね」


「怖くないです」


彼女は、俺の隣に並んだ。


夕日が、石畳を赤くしていた。


「ノルンさん」


「はい」


「わたし、あなたのこと、強いから好きになったんだと思ってました」


——来た。


俺は身構えた。この2か月、彼女はことあるごとにこの話を持ち出しては、俺がとぼけて、周りが笑う。もう様式美になっている。


だが、今日は違った。


リゼは、笑っていなかった。


「訂正します」


彼女は言った。


「今のほうが、ずっと厄介です」


   ◇


俺は、何も言えなかった。


とぼける言葉が、一つも出てこなかった。


リゼは、それだけ言って、さっさと歩いていった。


途中で振り返って、


「返事、急がなくていいです。逃げるのは駄目ですけど」


とだけ言って、また歩いていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。