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21.託宣

翌朝、ギルドに彼らはいなかった。


「トトくんたち、見ませんでした?」


「今朝早く出られましたよ」


ミリアが言った。


「まだ暗いうちに。ずいぶん張り切っていました」


「……どこへ、とは」


「東の森、とだけ」


俺は「そうですか」と答えた。


——まあ、初日は入口を見て帰るだろう。


そう思った。


俺は北の岩塩坑へ向かった。第二層の鉄殻蟲を、その日で112体倒した。境界は250。順調だった。


   ◇


2日目も、彼らはいなかった。


3日目の夕方に、それは起きた。


   ◇


俺が岩塩坑から戻ったのは、日が落ちてからだった。


門をくぐると、街の空気がおかしかった。


人が、西門のほうへ流れている。


「何かありましたか」


門番に聞いた。


「東の森で、若いのがやられたらしい。今、運び込まれてる」


   ◇


俺は走った。


Lv180のAGIで、街の端から端まで、たぶん20秒もかからなかった。人を何人か突き飛ばした。謝らなかった。


治療院の前に、人だかりができていた。


その真ん中に、荷車があった。


荷車の上に、布がかかっていた。


布の下から、脚が出ていた。


   ◇


「ノルンさん!」


治療院の扉が開いて、中からリゼが出てきた。彼女は俺の腕を掴んだ。


「来ないで——」


「離してください」


「ノルンさん」


「離せ」


俺は彼女の手を振り払った。


Lv180の力で振り払われて、リゼは石畳に転んだ。


俺は、それにも気づかなかった。


   ◇


治療院の中は、血の匂いがした。


寝台が4つ。


3つが埋まっていた。


一つ目に、トトがいた。


生きていた。意識もあった。


だが、左脚が、膝から下がおかしな方向を向いていた。骨が皮膚を突き破っていた。神官が2人がかりで押さえて、何かを唱えている。


トトは天井を見ていた。目を開けたまま、何も見ていない目だった。


二つ目に、同い年の男の子がいた。右腕がなかった。


三つ目に。


   ◇


メルがいた。


顔に、布がかけられていた。


腰の麻の袋が、寝台の脇の床に落ちていた。中身が半分こぼれて、乾いた薬草が石床に散らばっていた。


   ◇


四つ目の寝台は、空いていた。


その脇の床に、もう一人が座り込んでいた。トトと同い年くらいの、そばかすの多い男の子だ。傷はどこにもない。服も、ほとんど汚れていない。


——この子が、走ったのか。


あとで聞いた。谷筋から街まで、一人で走って助けを呼んだのは、この子だった。それができたのは、いちばん後ろにいたからだ。


彼は膝を抱えて、壁を見ていた。俺が入ってきても、顔を上げなかった。


無傷でいることを、この子はこれから何年も、自分に許さないのだろう。


   ◇


「岩熊です」


背後で、ドロテアの声がした。


俺は振り返らなかった。


「この季節、北の峰から東の森へ降りてくる。3年に一度か、二度だ。今年は当たり年だった」


「……岩熊」


「谷筋の上の斜面に、寝床を作る。狼が縄張りを空けるからな」


——知らない。


俺は、それを、知らなかった。


   ◇


俺の頭の中には、東の森のデータが全部入っている。


湧くのは、角兎、森狼、イワトカゲ、たまにキノコ型の毒胞子。谷筋は初心者向けの安全地帯。何百回も通った。掲示板にテンプレとして書いた。


だが、それは。


——季節が、なかったんだ。


このゲームには、季節による湧きの変動が実装されていなかった。


正確には、一部の高難度エリアには「時間帯変動」があった。だが初心者エリアにはない。夏も冬も、東の森には同じものが湧く。


だから俺の記憶には、岩熊が入っていない。


入っていないものは、警告できない。


   ◇


「谷筋で3体を捌いていたそうです」


ミリアが、震える声で言った。


「教わったとおりに、下がりながら、1体ずつ。3組、無事に処理したと。トトくんが、そう言っています」


「……」


「4組目に入ろうとしたとき、上の斜面から、岩熊が」


「……」


「谷筋は、幅が人ひとり分です。前は狼、後ろは熊で」


俺は、目を閉じた。


——逃げ場が、なかったのか。


俺が「安全だ」と言った地形は、上から降りてこられた瞬間に、この世界で最悪の袋小路になる。


   ◇


「メルさんは」


俺は聞いた。


ミリアは答えなかった。


答えたのは、寝台のほうからだった。


「……ぼくの、前に」


トトの声だった。


かすれていた。


「メルが、ぼくの前に、出て」


「トトくん」


「ノルンさんの言うとおりに、やったんです」


彼は、天井を見たまま言った。


「入口で一回止まりました。中に誰もいないの、確かめました。3体来たら下がるって、ちゃんと守りました。全部、言われたとおりに」


「……」


「ぜんぶ、言われたとおりに、やったのに」


彼の目から、水が横に流れた。


「ぼくが、下手だったから」


   ◇


「ちがう」


俺は言った。


言った声が、自分のものとは思えなかった。


「君は、何も間違えてない」


「でも」


「君は、間違えてない」


俺はそれ以上、言葉が続かなかった。


   ◇


治療院を出た。


外はもう暗かった。


人だかりは散っていた。荷車も、いつの間にか運ばれていた。


俺は、石畳の上に立ったまま、動けなかった。


   ◇


——俺は、あの日、何を渡した?


情報を渡したつもりだった。


『そこは効率が悪い』


『東の森の谷筋がいい』


『経験値は角兎の6倍以上ある』


判断材料を渡して、危険も添えて、選ばせたつもりでいた。


だが、あの子は「選んで」いない。


   ◇


俺は、メルの言葉を思い出していた。


『トト、走りますから』


『あの子、人に何か言われると、すぐ走るんです』


『あの子、ノルンさんの言うことは、絶対に間違ってないって思ってます』


『そう言ってあげてください』


——言おうと、思ってたんだ。


——明日の朝でいいって、俺が決めたんだ。


   ◇


3年半、俺はゲームの中で、初心者に答えを渡さなかった。


なぜか。


「自分で育てる楽しみを奪わないため」——そう説明していた。


だが本当のところは、もっと単純だった。


ゲームの中では、答えを渡さなくても、誰も死ななかったからだ。


遠回りしても、死んでも、経験値が1割減るだけだった。だから俺は「自分で気づけ」と言っていられた。それは優しさじゃない。安全な場所からの、余裕だ。


現実に来て、それが揺らいだ。


床に雑魚寝している14歳を見て、1日5銅貨の稼ぎを見て、半年で辞めていく173人の話を聞いて、俺は思ったのだ。


——遠回りさせてる場合じゃない。


——答えを渡したほうが、早い。


そして、渡した。


   ◇


渡された側から見れば、あれは情報ではなかった。


オーガを19秒で殺す男の言葉だ。


崖から飛び降りてリザードマンを蹴散らした男の言葉だ。


79日でDランクまで駆け上がった男の言葉だ。


そんな男が「そこは効率が悪い」と言えば、それは、助言じゃない。


託宣だ。


   ◇


攻略情報は、他人の人生の答えにはならない。


俺は、それを、この夜に理解した。


情報そのものは正しかった。谷筋の地形は正しい。森狼の経験値効率も正しい。俺が言ったことに、嘘は一つもない。


だが、情報には「誰が言ったか」がついて回る。


誰が言ったかによって、同じ言葉が、助言にも、命令にもなる。


そして、俺の言葉は、あの子にとって、命令だった。


   ◇


俺は、街の外まで歩いた。


門番に何か言われた気がするが、覚えていない。


街道を離れて、草原に出て、そこで立ち止まった。


——なあ。


俺は、誰にともなく問いかけた。


俺の頭の中には、この世界の攻略情報が、925レベルぶん入っている。


その全部が、あの子には効かなかった。


いや、違う。


効きすぎたんだ。


   ◇


しばらくして、後ろから足音がした。


振り返らなくても分かった。


「……ノルンさん」


リゼだった。


彼女の左の頬に、擦り傷があった。さっき、俺が振り払ったときのものだ。


俺はそれを見て、ようやく、自分が何をしたかを思い出した。


「……すみません」


「いいです」


「痛かったでしょう」


「痛かったです」


彼女は、俺の隣に立った。


そして、何も言わなかった。


   ◇


俺たちは、そこに、長いこと立っていた。


慰めの言葉を、彼女は一つも言わなかった。


「あなたのせいじゃない」とも、「仕方なかった」とも、言わなかった。


ただ、隣にいた。


   ◇


夜が明けはじめたころ、リゼが口を開いた。


「メルちゃんの袋、拾っておきました」


「……」


「中身、こぼれてたので。全部は無理でしたけど」


彼女は、麻の袋を差し出した。


俺は受け取らなかった。


受け取る資格が、自分にあると思えなかった。


「持っててください」


俺はそう言った。


リゼは、袋を胸に抱えた。


そして、こう言った。


「これ、あなたが持つべきだと思います」


「……なぜですか」


「分かりません」


彼女は言った。


「でも、そう思います」


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