20.そっちは効率が悪い
トトという少年と最初に喋ったのは、ギルドの掲示板の前だった。
正確には、喋りかけられた。
「あの、ノルンさん!」
振り返ると、14くらいの少年が立っていた。
背は俺の胸くらい。細い槍を背負っていて、その槍が本人より重そうだった。髪は跳ねていて、そばかすがあって、目だけがやたら大きい。
「オーガを19秒で倒したって、本当ですか!」
「……誰から聞いたんですか」
「ギルド中で言ってます!」
「盛られてますね」
「盛られてるんですか!?」
「23秒でした」
嘘だ。19秒だった。
トトは目を輝かせた。
◇
その日から、彼はやたらと話しかけてくるようになった。
「ノルンさん、今日はどこ行くんですか」
「ノルンさん、その剣、どこで買ったんですか」
「ノルンさん、剣ってどう握るんですか」
うるさかったが、嫌ではなかった。
——3年半、俺が毎晩相手にしていたのは、こういう連中だ。
トトは4人組の一人だった。
彼と、幼馴染のメルという女の子。それに同い年くらいの男が2人。全員、先月登録したばかりのFランク。
メルは治癒師見習いだった。15歳。トトより背が高くて、口数が少なくて、俺と喋るときはいつも半歩下がっていた。
腰に、いつも粗末な麻の袋を提げていた。中に薬草が詰まっている。
「メルさん、それは何ですか」
一度、聞いたことがある。
「……薬草です」
「そのわりに、種類が多いですね」
彼女は少し驚いた顔をして、袋を開けて見せた。
10種類以上あった。乾いた葉、根、皮、花。それぞれが小さな布に包んで、分けてある。
「これ、全部使えるんですか」
「まだ、分かりません」
彼女は小さな声で言った。
「試してるところです」
◇
4人は、毎日、街のすぐ外で角兎を狩っていた。
朝に出て、夕方に戻る。1日で12匹から15匹。毛皮を売って、4人で20銅貨。1人あたり5銅貨。
宿代が8銅貨だから、宿には泊まれない。ギルドの寮の相部屋で、床に雑魚寝しているらしい。
「明日はもうちょっと頑張ります!」
トトはいつもそう言っていた。
「兎、いっぱい狩ります!」
◇
その言葉を、俺は3週間、聞き続けた。
3週間、彼らは角兎を狩り続けた。
俺の中で、数字が引っかかっていた。
角兎の討伐習熟度の逓減境界は、120体だ。
4人で毎日12匹以上。3週間で250匹を超えている。1人あたり60匹強だから、まだ境界には届いていない。
だが、あと2週間で届く。
そして、届いてからも、彼らはそこにいるだろう。
——だって、他の狩場を知らないんだから。
◇
ある日の夕方、俺はギルドの食堂で、彼らの隣のテーブルに座った。
「今日は何匹でした?」
「13匹です!」
「先週と同じですね」
「先週より1匹多いです!」
トトは胸を張った。
俺は、その顔を見ていた。
——ああ、まずい。
そう思った。
このままだと、こいつらは半年後も、ここで13匹の話をしている。
いや、半年後は、もっと悪い。
半年後、角兎からの取得は4割まで落ちている。同じだけ狩って、同じだけ疲れて、伸びるものが半分以下になる。
そして本人たちには、それが見えない。
見えないから、「自分は頑張っているのに強くならない」と思うようになる。
そこで、辞める。
——去年の登録は384人。半年後に残ったのは211人。
ドロテアの数字が、頭をよぎった。
◇
俺は、麦酒のコップを置いた。
「トトくん」
「はい!」
「……そこ、もう効率が悪いよ」
◇
彼にどう聞こえていたか分からないが、俺なりに言い方を選んだつもりだった。
命令じゃない。助言だ。判断材料を渡しただけだ。3年半、初心者にそうしてきたように。
「効率、ですか?」
「角兎は、同じ人が狩り続けると、だんだん身にならなくなる」
「……身にならない?」
「同じ相手ばかり殺してると、その相手から得られるものが減っていくんだ。君たちはもう、そこそこの数を狩ってる。そろそろ頭打ちが来る」
トトは、目を丸くしていた。
隣でメルが、俺のほうを見ていた。
「ノルンさん、どうしてそれが分かるんですか」
「……経験だよ」
「じゃあ、どうすればいいですか」
——ここだ。
ここで、俺は本来なら、こう言うべきだった。
『自分で考えな。他にどんな敵がいるか、まず調べてみろ』
3年半、俺はそう言ってきた。
答えは渡さない。渡された答えは身につかない。判断材料だけ置いて、選ばせる。それが俺の流儀だった。
だが、俺は言わなかった。
言えなかった、というほうが正しい。
——こいつら、1人5銅貨だぞ。
——床に雑魚寝してるんだぞ。
——時間をかけて自分で気づくのを待ってたら、その間に辞めちまうかもしれないだろ。
ゲームなら、遠回りは楽しみだ。
現実では、遠回りは貧しさだ。
◇
「東の森の、谷筋がいい」
俺は、そう言った。
「谷筋?」
「沢を渡った先に、両側が崖になってる細い道がある。幅が人ひとり分しかない」
トトが身を乗り出した。
「そこに、何がいるんですか」
「森狼が出る。3体で1組だけど、谷筋の中では縦に並ぶしかない。だから1体ずつ相手にできる」
「……森狼」
「経験値は角兎の6倍以上ある」
言ってしまってから、「経験値」という単語を使ったことに気づいた。
だが、トトは聞き返さなかった。
彼はもう、聞いていなかった。
目が、光っていた。
◇
「6倍!」
「ただし——」
「6倍かあ!」
「トトくん、聞いて。ただし、狼は角兎とは違う。噛まれたら、腕くらいは持っていかれる」
「はい!」
「返事が早い」
「はい!」
俺は苦笑した。
「あと、谷筋に入る前に、必ず入口で一度止まること。中に先に入ってる連中がいたら、日を改める。狭い場所で2組が鉢合わせすると逃げ場がない」
「分かりました!」
「それと、3体来たら、必ず入口側に下がる。前に出ない。前に出た瞬間に、囲まれる」
「はい!」
◇
俺は、そこまで言って、満足した。
——ちゃんと注意も添えた。
——判断材料も、危険も、両方渡した。
3年半の癖で、俺は「教え方」に自信を持っていた。だから、この会話に何の問題も感じていなかった。
だが。
俺は、一つだけ、決定的に見落としていた。
俺の言葉が、トトにとって「情報」ではなかったということを。
◇
その夜、俺が食堂を出ようとしたとき、メルが追いかけてきた。
「ノルンさん」
「はい」
彼女は、麻の袋を胸に抱えて、少し言いにくそうにしていた。
「あの……森狼のところ、遠いですか」
「歩いて2刻半くらいかな」
「……そうですか」
彼女は、それだけ言って、下がろうとした。
「メルさん」
俺は呼び止めた。
「何か、心配なことが?」
彼女は少し黙って、それから言った。
「トト、走りますから」
「走る?」
「はい。走ります。あの子、人に何か言われると、すぐ走るんです」
◇
俺は、その言葉の意味を、そのとき正確に受け取らなかった。
「まあ、若いですからね」
そう返して、笑った。
メルは笑わなかった。
彼女は麻の袋を抱え直して、少しだけ顎を引いた。
「ノルンさん」
「はい」
「あの子、ノルンさんの言うことは、絶対に間違ってないって思ってます」
「……いや、俺だって間違えますよ」
「そう言ってあげてください」
彼女は、そう言った。
「わたしが言っても、聞かないので」
◇
俺は「分かりました」と答えた。
答えて、そのまま宿へ帰った。
——言ってあげよう、と思っていたのは本当だ。
明日の朝でいい、と思った。
朝、ギルドで顔を合わせたときに、「俺の言うことも半分くらいで聞いとけよ」と、笑いながら言えばいい。
そういう順番を、俺は勝手に決めた。
◇
宿の寝台で、俺はステータスウィンドウを開いた。
Lv.180
炎環諸島から戻って、10日で28上がった。
順調だ。
俺は目を閉じた。
明日は北の岩塩坑の第二層に行く。あそこの鉄殻蟲はまだ0体だ。境界は250。3日で詰められる。
そういう計算をしながら、俺は眠った。
——このとき、俺は本当に、いいことをしたつもりでいた。
そのことを、俺は一生忘れないと思う。




