17.どこで育った
昇格の通知は、あっけなく来た。
「ノルンさん。Dランクへの昇格が承認されました」
ミリアが冒険者証を差し出した。金属板の隅に、新しい刻印が二つ増えている。
「Eを飛ばしてのDです。前例はあります。ただし、10年に1度あるかどうかです」
「そうですか」
「登録から79日です」
79日。
俺は冒険者証を受け取って、指先で刻印をなぞった。
「あと、それから」
ミリアは、いつもの営業用の笑顔を消した。
「ギルドマスターがお呼びです。二階へどうぞ」
◇
二階の執務室は、思ったより狭かった。
書棚が三方の壁を埋め尽くし、机の上には書類が山積みになっている。窓は一つ。そこから広間が見下ろせるようになっていた。
ドロテア・ハルトは、机の向こうで書類に判を押していた。
「座れ」
俺は椅子に座った。
彼女は判を押し続けた。5枚、6枚、7枚。俺は待った。
10枚目を押し終えて、彼女はようやく顔を上げた。
白髪を短く刈り込んだ、痩せた女だった。目の下に深い皺がある。腕まくりした右腕の火傷は、近くで見るとひどいものだった。肘から手首まで、皮膚が引き攣れて色が違う。
「ドロテア・ハルトだ。この支部の長をやってる」
「ノルンです」
「知ってる。79日で二段跳びの記録を作った男だ」
彼女は椅子の背に体を預けた。
「あんたに、いくつか聞きたいことがある。答えたくないことは答えなくていい。ただ、嘘をつくときは、うまくつけ」
◇
「どこで育った」
最初の質問が、それだった。
「東の、カルナという村です」
「カルナ」
「はい」
「その村は、どこの領主の下にある」
——来た。
俺は、この2か月半で、いくつかの嘘を積み上げてきた。だが「東のカルナ村」の中身は、一度も作っていない。作る必要がなかったからだ。誰も掘り下げてこなかった。
「……ドライス卿です」
適当に、ギルドの掲示板で見た貴族の名前を出した。
「ドライス家は西だ」
「……そうでしたか。すみません、村を出たのが子供のころで」
「子供のころに出て、東の村の名前だけ覚えてるのか」
「はい」
ドロテアは、俺の顔をじっと見た。
10秒くらい、そうしていた。
それから、彼女は次の質問に移った。
「なぜ猟場を替え続ける」
◇
俺は、内心で身構えた。
これは、いちばん危ないところだ。
「同じ場所にいると、飽きるので」
「飽きる」
「はい」
「79日で、あんたが記録上使った猟場は9つだ。角兎の草原、東の森の谷筋、東の岩場、毒沼、カルナスの廃遺跡、岩塩坑、北の丘陵、水没聖堂、それに霧幽宮の外周」
彼女は書類を一枚めくった。
「そのどれも、あんたは中途半端なところでやめてる」
「中途半端?」
「猟場ってのはな。慣れれば慣れるほど、稼ぎが安定する。地形を覚え、獣の出を覚え、危ない場所を覚える。だから普通の冒険者は、一つの猟場に何年もかける」
彼女は俺を指さした。
「あんたは、慣れたころにやめる」
——見られている。
思っていたより、ずっと細かく。
「効率がいいので」
俺はそう答えた。
「効率」
「同じところにいると、得られるものが減っていきます。だから、減りはじめる前に移ります」
ドロテアの眉が、わずかに動いた。
「……減る?」
「はい」
「何が減る」
俺は、そこで詰まった。
説明できない。
「経験値が」と言っても通じない。「討伐習熟度の逓減境界が」と言えば頭がおかしいと思われる。
「……勘です」
「勘」
「同じ相手を殺し続けると、身になるものが薄くなっていく感じがします。だから、薄くなる前に移ります」
ドロテアは、しばらく黙っていた。
そして、意外なことを言った。
「その感覚は、正しい」
「え」
「私も、そう思っていた時期がある」
彼女は、右腕の火傷を左手で撫でた。
「若いころ、私は3年、同じ谷で狼を狩っていた。3年目に気づいたんだ。1年目と3年目で、私は何も変わっていない、と」
「……」
「技は上がった。だが、体が変わらなかった。同じ相手を殺し続けても、ある日から、まったく強くならなくなる」
彼女は俺を見た。
「誰に言っても、笑われた。『慣れて楽になっただけだ』と。だが違う。楽になったんじゃない。伸びなくなったんだ」
俺は、息を詰めていた。
——気づいている人が、いた。
数字が見えなくても、3年かければ、気づく人はいるのだ。
「あんたはそれを、79日で9回、繰り返した」
ドロテアは書類を閉じた。
「私は3年かけて1回気づいた。あんたは最初から知っていた。——なぜだ」
◇
「……本で読みました」
「本」
「はい」
「なんという本だ」
「題名は覚えていません。子供のころに、村で」
「東のカルナ村で、か」
「はい」
ドロテアは、ふっと息を吐いた。
笑った、のかもしれない。
「三つ目だ」
「え」
「あんたが今日ついた嘘の数だ。ドライス卿、勘、本。全部下手だ」
俺は黙った。
「もう一つ聞く。これで最後だ」
彼女は、身を乗り出した。
「あんた、まだ誰も知らない薬草の群生地を三つ、使ってるな」
「……」
「北門外の斜面、北西の岩陰、西の沢沿い。この街で200年、誰も採ってこなかった場所だ。なぜ知ってる」
◇
俺は、答えを探した。
見つからなかった。
だから、俺は初めて、こう言った。
「……言えません」
ドロテアの目が、細くなった。
「言えない、か」
「はい」
「言わない、じゃなくてか」
「言っても、信じてもらえないので」
長い沈黙があった。
窓の外で、荷車が石畳を鳴らして通り過ぎた。広間から誰かの笑い声が上がった。
ドロテアは、机の上で指を組んだ。
「私はな、ノルン。あんたの正体を暴く気はない」
「……はい」
「冒険者ってのは、みんな何かから逃げてきてる。追い出された貴族の三男、村を焼かれた小僧、罪を着た元兵士。理由を聞いて回ったら、この商売は成り立たない」
彼女は言った。
「だから、どこから来たかは、どうでもいい」
「……」
「だが、これだけは見せてもらう」
彼女は火傷の残る右腕を上げて、窓の外を指した。
広間が見えた。
掲示板の前に群がる駆け出したち。カウンターのミリア。食堂で朝から飲んでいる連中。
「あんたが、誰の側で嘘をつくのか」
俺は、窓の外を見た。
掲示板の前で、14か15くらいの少年が、背伸びして紙を読んでいた。杖みたいな細い槍を背負って、隣の女の子と何か言い合っている。
「あの子らは」
ドロテアが言った。
「先月登録した。4人組だ。毎日、街のすぐ外で兎を狩って、20銅貨持って帰ってくる」
「……20銅貨」
「あんたが初日に稼いだ額の、6分の1だな」
彼女は椅子に座り直した。
「去年、この支部で登録したのは384人。半年後も残っていたのは211人。私はな、この数字を10年見ている」
「……」
「毎年、17人前後が死ぬ。名前は全部覚えてる」
◇
執務室を出るとき、俺は一度だけ振り返った。
ドロテアは、もう書類に戻っていた。
判を押す音が、こつ、こつ、と規則正しく響いていた。
◇
執務室を出て、階段を降りた。
広間は、いつもと同じだった。
俺は掲示板の前に立って、依頼票を眺めた。
そして、ステータスウィンドウを開いた。
Lv.150
HP 1,842/1,842 MP 610/610
STR 271 VIT 244 AGI 298 DEX 219 INT 132 MND 148
【討伐習熟度】
角兎 119/120
森狼 199/200
骸兵 179/180
ロックゴーレム 180/200
リザードマン 399/400
ツノイノシシ 240/300
灯守り 143/150
Lv150。
ドロテア・ハルトが元Aランクで、Lv160前後。
——追いついた。
79日で、この世界の頂点から3人目のところまで来た。
そして俺には、あと775レベルぶんの道のりが、全部見えている。
◇
その日の夕方、俺は掲示板の左下を見ていた。
誰も取らない、日焼けした紙の一角。
そこに、新しい紙が貼られていた。
『南部・炎環諸島 火山地帯の調査 同行者募集 報酬150銅貨 ※C ランク以上』
俺は、その紙を、しばらく見つめた。
炎環諸島。
南の火山地帯。
その中心に、《焔の祭壇》がある。
——月のない夜は、11日後だ。
俺は紙を剥がした。




