16.近道屋
王国騎士団の視察が来る、という話は、3日前から街に流れていた。
「王都から騎士様がお見えになるんですって」
ミリアがカウンターで書類を整えながら、少し浮ついた声で言った。
「地方支部の実情調査だそうです。うちの支部が対象に選ばれたのは、たぶん——」
「たぶん?」
「昇格が異常に速い方が一人いる、という報告を、私が上げたからです」
俺はミリアを見た。
ミリアは、営業用の完璧な笑顔で見返した。
「職務ですので」
◇
その男は、翌々日の朝に来た。
白銀の甲冑。青い外套。腰に細身の長剣。
背は俺より少し低い。線は細い。だが、歩き方が違った。ギルドの石床を歩いているのに、足音がほとんどしない。体の芯が一本、まっすぐ通っている。
そして、若かった。
俺より年下に見えた。19か、20か。
「レイン・アシュフォードだ」
彼はそれだけ言って、広間を見回した。
食堂の連中が静まり返っていた。ガウスですら麦酒を置いていた。
「ノルンという冒険者は」
俺は立ち上がった。
「俺です」
レインの視線が、俺の上から下まで動いた。
そして、俺の腰の《朽ちた儀礼剣》で止まった。
「その剣は」
「拾い物です」
「そうか」
彼はそれ以上聞かなかった。
代わりに、こう言った。
「立ち合ってもらう。木剣で。断ることはできる」
「……理由を伺っても?」
「登録2か月半でDランク相当の実績。単独でオーガを撃破。だが公的な記録上のランクはF」
彼は淡々と続けた。
「不正な実績申告か、あるいは経歴の詐称か。どちらかを疑っている。剣を合わせれば分かる」
——分かるのか。
分かるのだろう、この人なら。
「受けます」
◇
ギルドの裏の空き地に、人だかりができた。
ガウス、リゼ、セシル、ミリア。それに冒険者が20人ばかり。二階の窓から、白髪の女が見下ろしているのも見えた。
レインが木剣を握った。
握った瞬間、俺は少し息を呑んだ。
——きれいだ。
構えに、無駄が一つもなかった。
肩が落ちている。肘が畳まれている。剣先が、俺の喉の高さで完全に静止している。呼吸で1ミリも揺れない。
俺は自分の構えを見た。
ガウスに教わって2か月。悪くはない、と自分では思っていた。
今、比べてしまった。
比べたら、俺のは、まだ「形を真似ている」だけだった。
「行くぞ」
◇
——結論から言うと、俺は本気を出せなかった。
出せば終わるからだ。
Lv112のAGI238で踏み込めば、この人は反応できない。剣速も、腕力も、俺のほうが圧倒的に上だ。
だが、それをやった瞬間、俺は「Fランクの登録2か月半の男」ではなくなる。
だから俺は、別の方法で受けることにした。
——知識だけで受ける。
レインの剣は、王国騎士団の制式流派だ。
このゲームには、騎士系のNPCが大量に実装されている。王都の衛士、辺境の駐屯兵、そして騎士団長クラスのボス。彼らは全員、同じモーションセットを共有していた。
そのモーションを、俺たちプレイヤーは、4年かけて完全に解析した。
上段からの斬り下ろし。その2手先は、必ず右への薙ぎ払い。
薙ぎ払いを受け流されたら、次は必ず突き。
突きを外したら、必ず半歩下がって仕切り直す。
——全部、頭に入っている。
◇
1合目。
レインの木剣が、上段から落ちてきた。
俺は受けなかった。半歩、左に体を開いた。
2合目。
——来る。右への薙ぎ。
来た。
俺は屈んだ。木剣が頭上を通った。
3合目。
——受け流されたら、次は突き。
俺は屈んだ姿勢のまま、右へ転がった。
突きが、俺のいた場所の空気を刺した。
4合目。
——外したら、半歩下がる。
レインが下がった。
俺はその半歩ぶんだけ、前に出た。
◇
観衆が、ざわついた。
10合を超えたあたりから、レインの動きが変わった。
型を崩しはじめたのだ。
——まずいな。
俺の優位は「型を知っていること」だけだ。型を捨てられたら、俺には何も残らない。
案の定、20合を超えたころには、俺は防戦一方になっていた。
木剣が肩をかすめた。腿を打たれた。手首を弾かれて、剣を落としかけた。
——それでも。
俺は倒れなかった。
倒れなかったのは、Lv112の体力があったからだ。打たれても、痛いだけで、動きが鈍らない。
30合を超えたあたりで、俺は妙なことに気づいた。
レインの打ち込みが、ひとつも「殺しに来ていない」のだ。
肩、腿、手首。当てているのは全部、痛いが致命的でない場所だった。頭にも喉にも、一度も来ていない。
——測られている。
この人は、俺を倒そうとしているんじゃない。
俺がどこまで耐えるかを、順番に確かめている。
35合。
打たれた肩が、痺れてきた。
38合。
視界が少し揺れた。それでも足は動いた。Lv112のVITは、こういうときに嘘をつかない。殴られても、体のほうが勝手に立っている。
40合を数えたところで、レインが剣を引いた。
「そこまでだ」
◇
空き地が、しんとしていた。
俺は肩で息をしていた。全身が痛かった。木剣を杖にして、なんとか立っていた。
レインは、汗ひとつかいていなかった。
だが、彼の顔には、はっきりと困惑があった。
「……妙だ」
彼は木剣を下ろして、俺を見た。
「お前は、俺の剣を、一度も受けなかった」
「はい」
「全部避けた。それも、来る前に動いていた。20合までは、俺の手が全部読まれていた」
「……」
「だが、剣の腕は、Dランクにも届いていない。振りが遅い。返しが甘い。体幹が弱い。基礎が2か月ぶんしかない」
その通りだった。
「なのに、力だけがおかしい。今、俺は全力で打ち込んだ。お前は肩で受けて、平然と立っている。あの一撃は、並のBランクなら膝をつく」
レインは木剣を地面に置いた。
そして、こう言った。
「お前は、道の途中を、飛ばしている」
◇
俺は、何も言えなかった。
「剣士は、まず素振りで手を作る。次に立ち合いで間を覚える。次に実戦で判断を鍛える。次に修羅場で、それが崩れないことを確かめる。順番がある」
彼は淡々と言った。
「お前は、その順番のどこかを丸ごと抜いて、結果だけをここに持ってきた」
「……順番を守れ、ということですか」
「いや」
レインは、意外なことに首を振った。
「守れとは言わない。順番を守るのは、他に道がない人間のやることだ。俺には他に道がなかった。それだけだ」
「……」
「近道屋」
その言葉に、侮蔑はなかった。
だから、余計に効いた。
「近道が悪いとは言わない。俺は11年、毎朝2000回振ってきたが、それが正しいと証明できるものは何もない。お前のほうが速い。事実だ」
レインは外套を払って、背を向けた。
そして、振り返らずに言った。
「だが、覚えておけ」
「……はい」
「お前のやり方では、お前しか強くならない」
◇
その夜、俺は宿の寝台に横になって、天井を見ていた。
体は痛かった。だが、痛みより、その言葉のほうが残っていた。
——お前しか強くならない。
反論を、俺はいくつか用意できた。
俺は3年半、初心者を導いてきた。誰かを強くするのは得意なほうだ。ゲームの中で、俺が育てた初心者は数え切れない。
だが。
俺がこの世界で持っている強さは、譲れない。
谷筋の話を教えることはできる。だが「森狼の逓減境界は200体」と言ったところで、誰にも意味が通じない。数字が見えないからだ。
松明を左・右・右・左の順に消せと教えることはできる。だが、なぜその順番なのか、俺は説明できない。「掲示板にそう書いてあった」からだ。
《紅蓮嵐》の取得手順を教えることはできる。だが——
俺は寝返りを打った。
——そうか。
俺の強さは、全部「出所を言えない」んだ。
出所を言えない知識は、誰にも渡せない。渡しても信じてもらえない。信じてもらえたとしても、なぜそうなのかを説明できないから、応用が利かない。
つまり。
この世界で俺が持っているものは、俺の外に出られない。
出せないまま、俺はこの先も、ひとりで先へ行き続ける。
あの騎士は、たった40合で、そこまで見抜いたのか。
「……勘弁してくれよ」
俺は目を閉じた。
天井の梁が、暗くなっても、なかなか消えなかった。




