14.上級は伝説です
「岩塩坑のゴーレム、Dランク以上の依頼なんですけど」
ミリアがカウンターの上で、依頼票を裏返した。
「補助枠が一つ空いています。討伐隊が3名で、荷運びと見張りに1名。ランクは問いません。報酬は40銅貨」
「受けます」
「即答ですね」
「はい」
——ゴーレムだ。
岩塩坑のロックゴーレムは推奨レベル35。俺のLv63から見れば格下だが、討伐習熟度がまだ0だ。しかもゴーレム種は経験値が高い。
そして何より、俺はまだ、この世界の魔法を一度も見ていない。
◇
集合は西門。討伐隊の3名は、いずれも街の外から来た冒険者だった。
大剣を担いだ男。斧を持った寡黙な男。
そして、もう一人。
「セシル・ウェインです」
黒いローブに、銀の留め金。腰に本を提げ、右手に細い杖。年は20代の半ばくらいだろうか。長い黒髪をきっちり結い上げて、背筋が異様にまっすぐだった。
「王立魔術院の第三席、と申し上げても通じないと思いますが」
「……いえ、すごいのは分かります」
「分かるなら結構です」
取りつく島がない。だが嫌な感じではなかった。この人は、単に無駄口を叩かないだけだ。
◇
岩塩坑は、白い坑道だった。
壁も天井も、削られた岩塩がむき出しになっている。松明の光を受けて、結晶がきらきらと光る。舐めたら塩の味がするんだろうな、と思ったが、さすがにやらなかった。
「見張りの方」
セシルが振り返らずに言った。
「ノルンです」
「ノルンさん。後方の分岐に注意してください。ゴーレムは単体でしか出ませんが、岩鼠は稀に群れます」
「はい」
——正確だ。
この人の言っていることは、全部正しい。岩鼠の群れ湧きは、ゲームでも実装されていた仕様だ。
◇
ロックゴーレムは、坑道の広い区画にいた。
高さ3メートル。岩塩と石を寄せ集めたような体。関節に隙間があって、そこから青白い光が漏れている。
「私が止めます。お二人は膝から」
セシルは杖を上げて、詠唱を始めた。
俺は、初めて聞くことになった。
この世界の、魔法の言葉を。
「——大地の骨、砕かれし者の名において。凝れ」
杖の先に、光が集まる。
そして、ゴーレムの足元の岩床が、勝手に隆起した。
石の杭が3本、斜めに突き出して、ゴーレムの膝を挟み込む。
「《地縛楔》」
ゴーレムが動きを止めた。
——中級土魔法。
俺の頭の中の一覧に、そのままある。詠唱時間3.2秒、効果時間8秒、対象1体を移動不能にする拘束魔法。
正確に、俺の記憶と同じものが、目の前で起きた。
◇
戦闘そのものは、10分で終わった。
大剣と斧の2人が膝の関節を叩き、支えを失ったゴーレムが崩れ、最後にセシルが核を撃ち抜いた。
俺は見張りとして立っていただけだ。1体も殴っていない。
——ちょっと惜しかったな。
経験値がまるまる入らなかった。とはいえ、そんな顔はできない。
「ノルンさん」
セシルが振り返った。
「後方、確認をお願いします」
「岩鼠が3匹来てます」
「……いつから」
「2分ほど前から。分岐の陰にいます。こちらが動くのを待っているようです」
セシルの眉が、わずかに動いた。
◇
帰り道、彼女は俺の隣を歩いた。
「あなた、Fランクだそうですね」
「はい」
「岩鼠の待ち伏せに2分前から気づいていて、報告のタイミングを戦闘終了まで遅らせた。あれは正しい判断です」
「……ありがとうございます」
「Fランクの判断ではありません」
俺は黙った。
セシルは前を向いたまま、続けた。
「まあ、いいでしょう。私も人の経歴には興味がありません」
◇
その夜、野営の焚き火のそばで、俺は聞いてみた。
「セシルさん。魔法のことを、少し教えてもらえませんか」
「魔法を」
「さっきの、地面が持ち上がったやつです。ああいうのは、誰でも覚えられるものなんですか」
セシルは火に枝をくべた。
「魔法は四つあります」
彼女は指を4本立てた。
「火、水、風、土。この四元素が、世界の魔力の全てです」
「それぞれに、段階があるんですよね」
「よくご存じですね。初級、中級、上級、超級の四段階です」
俺は頷いた。
——ここまでは、俺の知識と同じだ。
「私が使ったのは中級土魔法です。中級までは、学院で修めれば誰でも到達できます。素質と、時間さえあれば」
「時間というのは」
「私で20年です。5歳から始めて、中級を全て修めたのが去年」
20年。
俺は、その数字を口の中で転がした。
「では、上級は」
セシルは、焚き火を見つめたまま、少し黙った。
それから、静かに言った。
「上級は、伝説です」
「……伝説」
「記録は残っています。300年前、リグヴァルドという魔術師が、単独で竜を落としたと。空が裂けて、炎の帯が地平まで走ったと。その術の名は《紅蓮嵐》と伝わっています」
彼女は、枝の先で地面に文字を書いた。
「ですが、術式が残っていません。彼がどうやってそれを修めたのか、誰も知らない。彼の弟子も、その弟子も、誰一人として再現できなかった」
「……なぜ、できなかったんでしょう」
「分かりません。学院の主流は『素質の問題』としています。300年前には、今より魔力の濃い人間が生まれた。血が薄まった。だから届かない、と」
「セシルさんは、そう思いますか」
彼女は少し、口の端を上げた。
初めて見る表情だった。
「思っていません。私はそれを『負けた人間の言い訳』だと思っています」
「じゃあ、何が原因だと」
「分かりません」
彼女は枝を火に落とした。
「だから、探しています。私たちの世代は、失われたものを追いかけている世代です。20年かけて中級に届いて、そこから先の階段が、どこにあるのかも分からない」
◇
俺は、焚き火を見ていた。
背中に、汗が浮いていた。
俺の頭の中には、その階段が、丸ごと入っている。
上級火魔法《紅蓮嵐》。
取得条件——南の火山地帯にある《焔の祭壇》。月のない夜。祭壇の中心に立ち、火の中級魔法《火球》を、詠唱を一度も途切れさせずに108回、連続で唱えること。
たったそれだけだ。
素質は要らない。血の濃さも関係ない。魔力の総量すら関係ない。必要なのは、MPが尽きても唱え続ける根性と、108という数字を知っていることだけだ。
この条件を、日本サーバーで最初に見つけたのは、俺じゃない。ある廃人プレイヤーが「祭壇で意味もなく火球を撃ち続ける」という奇行を配信していて、視聴者が数えていたら108回目で光った。それだけの話だ。
——失われてない。
——誰も、108回唱えなかっただけだ。
俺は口を開きかけた。
そして、閉じた。
◇
なぜ言わなかったのか。
理由は、自分でも、しばらく分からなかった。
言えば、この人は喜ぶだろう。20年の壁が、一晩で消える。
だが。
——20年って、何になるんだ。
その考えが、口を塞いだ。
セシル・ウェインは、5歳から20年、この階段を登ってきた。そして今、階段の途中で立ち止まって、上を見上げている。
俺が「その階段の続きはこっちですよ」と指させば、彼女は登れる。
でも、それは、俺が登った階段じゃない。
俺が持っているのは、他人が見つけた手順の暗記だ。俺は火球を108回、自分で唱えたことは一度もない。俺のノルンは、掲示板に貼られた条件を読んで、その通りに実行しただけだ。
そんな人間が、20年の人に、階段を指さしていいのか。
——いや。
——ちがう。
俺が言えなかった、本当の理由は、もっと単純だ。
言った瞬間、俺は「なぜそれを知っているのか」を説明しなきゃいけなくなる。
説明できない。
◇
「ノルンさん」
セシルが、こちらを見ていた。
「何か、言いかけましたか」
「……いえ」
「そうですか」
彼女は立ち上がって、ローブの裾を払った。
「見張りは私が替わります。休んでください。あなた、たぶん見張りは得意でしょうけれど」
「なぜ分かるんですか」
「私が話している間、あなた、一度も焚き火を見ませんでしたね。ずっと外の暗いほうを見ていました」
——見ていた。
無意識だった。
水没聖堂から帰ってきて以来、俺は、暗いほうを見る癖がついていた。




