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11/26

11.左・右・右・左

肩が動くようになるまで、5日かかった。


その5日を、俺は無駄にしなかった。朝はガウスに木剣を振らされ、昼は左手だけで角兎を——いや、角兎はもう習熟度が尽きているから、街の東の岩場でイワトカゲを狩り、夜はまた木剣を振った。


利き腕が使えなくても、レベルは上がる。


5日でLv36になった。


そして6日目の朝、俺は右腕を回してみて、痛みが引いているのを確認した。


「よし」


宿を出て、北門へ向かった。


行き先は決まっている。


カルナスの廃遺跡。


   ◇


灰色の石の門は、記憶と寸分違わなかった。


崩れた城壁。倒れた柱。苔と蔦。門の左の柱に、風化した紋章が半分だけ残っている。


俺は、その門の前で少し立ち止まった。


ここは、俺が落ちた場所だ。


正確には、俺が落ちたのは「ゲームの中の」カルナスの廃遺跡で、目の前にあるのは「この世界の」カルナスの廃遺跡だ。同じ名前で、同じ形をした、別の場所。


——第2階層の、崩れた壁を見てみるか。


そう思ったが、やめた。


見て、そこに穴が開いていたら、俺はきっと飛び込んでしまう。飛び込んだ先が家に繋がっている保証なんて、どこにもないのに。


それは、今日やることじゃない。


俺は門をくぐった。


   ◇


第1階層。


入って右に折れる一本道。3歩目に感圧式の矢罠。


俺は床板を避けて、4歩目に足を置いた。


——生きてる。


罠が生きている。


つまり、この遺跡は「ゲームと同じ構造で」実在している。装飾じゃない。設計そのものが、俺の記憶と一致している。


10歩目の壁の窪みから、骸兵が2体出てきた。


俺はもう、こいつらを恐れない。


Lv36で骸兵(Lv12)は、はっきり格下だ。だが俺は、あえて丁寧に処理した。ガウスに教わったとおり、握らず、乗せて、当たる寸前に小指と薬指を締める。


一撃で、骸兵の首の骨が飛んだ。


——軽い。


同じ剣を、同じ力で振っているのに、抵抗がまるでない。当たる位置と、刃の向きと、腕の抜き方。それだけで、こんなに変わる。


俺は少し笑った。


5日ぶんの木剣は、レベルを1つも上げなかったが、確実に俺を強くしていた。


   ◇


分岐を左へ。行き止まりの右も一応覗いた。宝箱があった。銅貨18枚。


——ちゃんと、18枚だ。


俺は銅貨を数えて、口の端が上がるのを止められなかった。


この世界は、俺の記憶通りに動いている。


だとすれば。


俺は階段を降りた。


第2階層。


天井が高くなり、空気が湿る。松明の間隔が広がって、明かりと明かりの間に長い闇ができる。


俺は広間を横切って、奥へ進んだ。遺跡守りが湧いている気配はなかった。誰かが最近倒したのだろう。


目当ての場所は、広間の先の、行き止まりの部屋だ。


   ◇


その部屋は、地図上では「何もない」ことになっている。


10メートル四方の石室。奥に古い祭壇の残骸が一つ。壁に松明が4本。それだけだ。


宝箱もない。敵も湧かない。ただの袋小路。


だから、大半のプレイヤーは、ここに一度来て、何もないことを確認して、二度と来ない。


俺は部屋の入口に立った。


そして、壁の松明を数えた。


4本。左の壁に2本、右の壁に2本。


——手順は、こうだ。


俺は、入口から見ていちばん手前の、左の松明の前に立った。


背伸びをして、掌で炎を叩き消す。


熱い。ゲームでは考えなくてよかったことだ。俺は掌を振って、息を吹きかけた。


次。右の壁の、手前の松明。


消す。


次。右の壁の、奥の松明。


消す。


最後。左の壁の、奥の松明。


——左・右・右・左。


この順番だ。


俺が最後の炎を叩き消した瞬間、部屋が真っ暗になった。


そして。


ごり、と。


石の擦れる音が、正面から響いた。


   ◇


俺は火打ち石で松明を1本つけ直した。


祭壇の残骸の裏、壁だったはずの場所に、人ひとりぶんの黒い穴が開いていた。


「……よし」


思わず、拳を握っていた。


この隠し部屋は、実装から2年近く誰にも見つかっていなかった。見つけたのは、当時レベル400くらいだった俺だ。


なぜ見つけたかというと——暇だったからだ。


深夜3時、レイドの募集が集まらなくて、他にやることがなくて、俺は初心者エリアの何もない部屋で松明をいじり回していた。それだけだ。攻略の閃きでも何でもない。


条件が「4本の松明を、特定の順番で消す」だなんて、誰が思いつく。


しかもこの手順は、火打ち石が要る。消したあと、部屋が真っ暗になるからだ。初心者は明かりを持っていないから、暗闇の中で音だけ聞いても、何が起きたか分からない。


——この世界の誰も、開けられないわけだ。


俺は穴に体を入れた。


   ◇


奥は、狭い石室だった。


3畳ほど。天井が低くて、頭がつかえる。


中央に、朽ちかけた木の台がある。


その上に、剣が一振り、置かれていた。


俺は松明を近づけた。


——ひどいもんだ。


刃は赤茶けた錆に覆われて、元の色が分からない。刃こぼれが4か所。柄の革は乾いてひび割れ、鍔は変形している。


こんなものが道端に落ちていたら、誰も拾わない。


俺は柄を握って、持ち上げた。


 《朽ちた儀礼剣》

 攻撃力 +2

 特殊:この剣による討伐が一定数に達するごとに、真の姿へ近づく。

    現在の段階:0/5


来た。


俺は思わず声を出して笑った。石室に反響して、少し気味が悪かった。


これは、このゲームで最も有名な「成長武器」だ。


初期の攻撃力は+2。街で売っている一番安い鉈が+6だから、性能だけ見れば完全にゴミだ。


だが、こいつで敵を倒し続けると、段階的に姿が変わる。


第1段階で錆が落ちる。第2段階で刃こぼれが埋まる。第3段階で鍔が変形を戻す。第4段階で柄が新しくなる。


そして第5段階で——名前が変わる。


《儀礼剣アルヴェイン》。


最終形態の攻撃力は+180。この世界の常識で言えば、たぶん王家の宝物庫にあるような代物だ。


到達に必要な討伐数は、合計で3000体を超える。だからゲームでも、面倒くさがって育てないプレイヤーが多かった。


——3000体。


俺は錆びた刃を見つめた。


俺は今、Lv36だ。カオスドラゴンの推奨レベルは400。そこまでの道のりで、俺は何体殺すことになる?


3000どころじゃない。


「……ちょうどいいな」


   ◇


街に戻って、俺はまず鑑定士のところへ行った。


念のためだ。この世界の人間が、この剣をどう見るのかを知っておきたかった。


「拝見しますよ」


老眼鏡をかけた小柄な男が、剣を布の上に置いて、覗き込んだ。


30秒ほど眺めて、彼は顔を上げた。


「屑鉄ですな」


「屑鉄」


「ええ。作りは古い。200年以上前のものでしょう。儀式用の飾り剣です。実戦に使うものじゃない。しかもこの錆だ。研いだところで刃が持ちません」


「値段をつけるとしたら」


「……5銅貨、といったところですかな。鉄として溶かすぶんです」


「なるほど」


俺は剣を布から取り上げて、鞘に収めた。


「では、持っておきます」


鑑定士は不思議そうな顔をした。


「お気に召しましたか」


「思い出の品なので」


   ◇


その日から、俺は鉈を使うのをやめた。


《朽ちた儀礼剣》は、正直、使いにくい。攻撃力+2は本当にゴミで、骸兵1体を倒すのに3回叩かなければいけない。


だが、俺には見えている。


 現在の段階:0/5

 次の段階まで:あと 137 体


数字が減っていく。


減っていくのが、見える。


——これだよ。


これが、俺がこのゲームを3年半やめなかった理由だ。


数字が伸びる。数字が減る。何かに近づいている感覚が、目に見える形でそこにある。


現実には、こんなに分かりやすいものは、どこにもない。


俺は錆びた剣を握って、カルナスの廃遺跡へ、毎日通うようになった。


もっとも、通うと言っても、ただ骸兵を殴っているわけじゃない。


骸兵の逓減境界は180体だ。俺は179で遺跡を出て、北の岩塩坑の入口でイワトカゲとサンドワームを狩り、それも境界の1つ手前まで来たら、西の丘陵のツノイノシシへ移る。


3つを回して、また遺跡へ戻る。


そのころには骸兵の湧きも一巡している。


——習熟度は、時間では回復しない。


これは重要な仕様だ。飽き補正は永久で、一度落ちた効率は二度と戻らない。だから「休ませて回復させる」という発想は間違いで、正解は「使い切る前に別の相手へ移り、種類を増やし続ける」ことになる。


種類を増やすには、地図が要る。


どこに何が湧くかを知らなければ、選びようがない。


だから、この世界の冒険者は、慣れた猟場から動けない。


俺だけが、動ける。


10日後。


 Lv.45

 《朽ちた儀礼剣》 段階:1/5


赤茶けた錆が、根本から一枚、ぱらりと落ちた。


下から出てきたのは、白銀の刃だった。

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