11.左・右・右・左
肩が動くようになるまで、5日かかった。
その5日を、俺は無駄にしなかった。朝はガウスに木剣を振らされ、昼は左手だけで角兎を——いや、角兎はもう習熟度が尽きているから、街の東の岩場でイワトカゲを狩り、夜はまた木剣を振った。
利き腕が使えなくても、レベルは上がる。
5日でLv36になった。
そして6日目の朝、俺は右腕を回してみて、痛みが引いているのを確認した。
「よし」
宿を出て、北門へ向かった。
行き先は決まっている。
カルナスの廃遺跡。
◇
灰色の石の門は、記憶と寸分違わなかった。
崩れた城壁。倒れた柱。苔と蔦。門の左の柱に、風化した紋章が半分だけ残っている。
俺は、その門の前で少し立ち止まった。
ここは、俺が落ちた場所だ。
正確には、俺が落ちたのは「ゲームの中の」カルナスの廃遺跡で、目の前にあるのは「この世界の」カルナスの廃遺跡だ。同じ名前で、同じ形をした、別の場所。
——第2階層の、崩れた壁を見てみるか。
そう思ったが、やめた。
見て、そこに穴が開いていたら、俺はきっと飛び込んでしまう。飛び込んだ先が家に繋がっている保証なんて、どこにもないのに。
それは、今日やることじゃない。
俺は門をくぐった。
◇
第1階層。
入って右に折れる一本道。3歩目に感圧式の矢罠。
俺は床板を避けて、4歩目に足を置いた。
——生きてる。
罠が生きている。
つまり、この遺跡は「ゲームと同じ構造で」実在している。装飾じゃない。設計そのものが、俺の記憶と一致している。
10歩目の壁の窪みから、骸兵が2体出てきた。
俺はもう、こいつらを恐れない。
Lv36で骸兵(Lv12)は、はっきり格下だ。だが俺は、あえて丁寧に処理した。ガウスに教わったとおり、握らず、乗せて、当たる寸前に小指と薬指を締める。
一撃で、骸兵の首の骨が飛んだ。
——軽い。
同じ剣を、同じ力で振っているのに、抵抗がまるでない。当たる位置と、刃の向きと、腕の抜き方。それだけで、こんなに変わる。
俺は少し笑った。
5日ぶんの木剣は、レベルを1つも上げなかったが、確実に俺を強くしていた。
◇
分岐を左へ。行き止まりの右も一応覗いた。宝箱があった。銅貨18枚。
——ちゃんと、18枚だ。
俺は銅貨を数えて、口の端が上がるのを止められなかった。
この世界は、俺の記憶通りに動いている。
だとすれば。
俺は階段を降りた。
第2階層。
天井が高くなり、空気が湿る。松明の間隔が広がって、明かりと明かりの間に長い闇ができる。
俺は広間を横切って、奥へ進んだ。遺跡守りが湧いている気配はなかった。誰かが最近倒したのだろう。
目当ての場所は、広間の先の、行き止まりの部屋だ。
◇
その部屋は、地図上では「何もない」ことになっている。
10メートル四方の石室。奥に古い祭壇の残骸が一つ。壁に松明が4本。それだけだ。
宝箱もない。敵も湧かない。ただの袋小路。
だから、大半のプレイヤーは、ここに一度来て、何もないことを確認して、二度と来ない。
俺は部屋の入口に立った。
そして、壁の松明を数えた。
4本。左の壁に2本、右の壁に2本。
——手順は、こうだ。
俺は、入口から見ていちばん手前の、左の松明の前に立った。
背伸びをして、掌で炎を叩き消す。
熱い。ゲームでは考えなくてよかったことだ。俺は掌を振って、息を吹きかけた。
次。右の壁の、手前の松明。
消す。
次。右の壁の、奥の松明。
消す。
最後。左の壁の、奥の松明。
——左・右・右・左。
この順番だ。
俺が最後の炎を叩き消した瞬間、部屋が真っ暗になった。
そして。
ごり、と。
石の擦れる音が、正面から響いた。
◇
俺は火打ち石で松明を1本つけ直した。
祭壇の残骸の裏、壁だったはずの場所に、人ひとりぶんの黒い穴が開いていた。
「……よし」
思わず、拳を握っていた。
この隠し部屋は、実装から2年近く誰にも見つかっていなかった。見つけたのは、当時レベル400くらいだった俺だ。
なぜ見つけたかというと——暇だったからだ。
深夜3時、レイドの募集が集まらなくて、他にやることがなくて、俺は初心者エリアの何もない部屋で松明をいじり回していた。それだけだ。攻略の閃きでも何でもない。
条件が「4本の松明を、特定の順番で消す」だなんて、誰が思いつく。
しかもこの手順は、火打ち石が要る。消したあと、部屋が真っ暗になるからだ。初心者は明かりを持っていないから、暗闇の中で音だけ聞いても、何が起きたか分からない。
——この世界の誰も、開けられないわけだ。
俺は穴に体を入れた。
◇
奥は、狭い石室だった。
3畳ほど。天井が低くて、頭がつかえる。
中央に、朽ちかけた木の台がある。
その上に、剣が一振り、置かれていた。
俺は松明を近づけた。
——ひどいもんだ。
刃は赤茶けた錆に覆われて、元の色が分からない。刃こぼれが4か所。柄の革は乾いてひび割れ、鍔は変形している。
こんなものが道端に落ちていたら、誰も拾わない。
俺は柄を握って、持ち上げた。
《朽ちた儀礼剣》
攻撃力 +2
特殊:この剣による討伐が一定数に達するごとに、真の姿へ近づく。
現在の段階:0/5
来た。
俺は思わず声を出して笑った。石室に反響して、少し気味が悪かった。
これは、このゲームで最も有名な「成長武器」だ。
初期の攻撃力は+2。街で売っている一番安い鉈が+6だから、性能だけ見れば完全にゴミだ。
だが、こいつで敵を倒し続けると、段階的に姿が変わる。
第1段階で錆が落ちる。第2段階で刃こぼれが埋まる。第3段階で鍔が変形を戻す。第4段階で柄が新しくなる。
そして第5段階で——名前が変わる。
《儀礼剣アルヴェイン》。
最終形態の攻撃力は+180。この世界の常識で言えば、たぶん王家の宝物庫にあるような代物だ。
到達に必要な討伐数は、合計で3000体を超える。だからゲームでも、面倒くさがって育てないプレイヤーが多かった。
——3000体。
俺は錆びた刃を見つめた。
俺は今、Lv36だ。カオスドラゴンの推奨レベルは400。そこまでの道のりで、俺は何体殺すことになる?
3000どころじゃない。
「……ちょうどいいな」
◇
街に戻って、俺はまず鑑定士のところへ行った。
念のためだ。この世界の人間が、この剣をどう見るのかを知っておきたかった。
「拝見しますよ」
老眼鏡をかけた小柄な男が、剣を布の上に置いて、覗き込んだ。
30秒ほど眺めて、彼は顔を上げた。
「屑鉄ですな」
「屑鉄」
「ええ。作りは古い。200年以上前のものでしょう。儀式用の飾り剣です。実戦に使うものじゃない。しかもこの錆だ。研いだところで刃が持ちません」
「値段をつけるとしたら」
「……5銅貨、といったところですかな。鉄として溶かすぶんです」
「なるほど」
俺は剣を布から取り上げて、鞘に収めた。
「では、持っておきます」
鑑定士は不思議そうな顔をした。
「お気に召しましたか」
「思い出の品なので」
◇
その日から、俺は鉈を使うのをやめた。
《朽ちた儀礼剣》は、正直、使いにくい。攻撃力+2は本当にゴミで、骸兵1体を倒すのに3回叩かなければいけない。
だが、俺には見えている。
現在の段階:0/5
次の段階まで:あと 137 体
数字が減っていく。
減っていくのが、見える。
——これだよ。
これが、俺がこのゲームを3年半やめなかった理由だ。
数字が伸びる。数字が減る。何かに近づいている感覚が、目に見える形でそこにある。
現実には、こんなに分かりやすいものは、どこにもない。
俺は錆びた剣を握って、カルナスの廃遺跡へ、毎日通うようになった。
もっとも、通うと言っても、ただ骸兵を殴っているわけじゃない。
骸兵の逓減境界は180体だ。俺は179で遺跡を出て、北の岩塩坑の入口でイワトカゲとサンドワームを狩り、それも境界の1つ手前まで来たら、西の丘陵のツノイノシシへ移る。
3つを回して、また遺跡へ戻る。
そのころには骸兵の湧きも一巡している。
——習熟度は、時間では回復しない。
これは重要な仕様だ。飽き補正は永久で、一度落ちた効率は二度と戻らない。だから「休ませて回復させる」という発想は間違いで、正解は「使い切る前に別の相手へ移り、種類を増やし続ける」ことになる。
種類を増やすには、地図が要る。
どこに何が湧くかを知らなければ、選びようがない。
だから、この世界の冒険者は、慣れた猟場から動けない。
俺だけが、動ける。
10日後。
Lv.45
《朽ちた儀礼剣》 段階:1/5
赤茶けた錆が、根本から一枚、ぱらりと落ちた。
下から出てきたのは、白銀の刃だった。




