10.剣の握り方
肩を吊ったまま酒場に入ると、たいてい何か言われる。
「おい兄ちゃん、片手で飲めるのか」
ギルドの食堂の隅、いちばん奥の卓から声が飛んできた。
でかい男だった。
座っていても分かる。肩幅が異常に広く、腕が丸太で、無精髭に埋もれた顔がやたら陽気だ。年は30手前くらい。テーブルの脇に、俺の背丈ほどある大剣が立てかけてあった。
「飲めますよ」
俺は左手でコップを持ち上げて見せた。
「はっはっは、器用だな。座れよ、そっちの席は隙間風が来る」
断る理由もなかったので、俺は向かいに座った。
「ガウス・ベルナー。Bランクだ」
「ノルンです。Fランクです」
「Fか! 若いな。いくつだ」
俺は少し考えた。この体は20代半ばに見える。17ですと言っても信じてもらえない。
「……24です」
「じゃあ俺が4つ上だ。よし、坊主って呼ぶわ」
「4つしか違わないのに?」
「4つは4つだろ」
理屈になっていないが、この男に理屈を求めても仕方がない気がした。
◇
ガウスは麦酒を頼んで、俺の肩を顎で示した。
「そりゃ、どこでやった」
「毒沼です。リザードマンに」
「ふうん。噛まれたか」
「いえ、外しました」
「外した?」
「振った剣が、当たらなくて。そのまま、肩が」
俺は説明しながら、自分でも間抜けだと思った。敵にやられたんじゃない。自分の腕の勢いで自分の肩を壊した。こんな怪我の仕方があるか。
ガウスは麦酒を一口飲んで、コップを置いた。
そして、いきなり俺の左手を掴んだ。
「え」
「動くな」
分厚い指が、俺の手の甲を返し、指の腹を撫で、掌の付け根を押した。
10秒ほどそうしてから、彼は手を離した。
「坊主。お前、剣を何年やってる」
「……1か月です」
「1か月」
「はい」
ガウスは、また麦酒を飲んだ。
そして、こう言った。
「お前、力はあるが、まるで素人だな」
俺は黙った。
「掌の豆の位置がおかしい。剣を握ってる人間の豆は、指の付け根の外側にできる。お前のは真ん中にできてる。柄を握り込みすぎてるんだ。それに手首が硬い。今掴んだとき、返しに一切遊びがなかった」
「……」
「なのに、腕の張りは尋常じゃない。1か月でその筋の付き方はしない。おかしいだろ、それ」
「……よく言われます」
「言われるほど人前で腕を見せてんのか、お前は」
俺は口を閉じた。この人は、思ったより厄介だ。
ガウスはにやりと笑って、身を乗り出した。
「例えるとな、坊主。今のお前は——生まれたての熊が、斧を持ってるみたいなもんだ」
「熊」
「力はある。振り回せる。だが、当たらん。当たらんうえに、振り回した勢いで自分がひっくり返る」
そのまんまだった。
俺は反論しようとして、口を開いて、そのまま閉じた。
反論できる材料が、一つもない。
◇
そのとき、俺の中で妙なことが起きた。
腹が立たなかったのだ。
普通なら、初対面の男に「素人だ」と言われたら、多少はむっとする。俺は日本サーバーで一番名の知れたキャラクターを3年半動かしてきた男だ。このゲームのことなら誰にも負けない。そういう自負が、ずっと自分の芯にあった。
だが、この人が言っていることは。
——攻略サイトの、どこにも書いてないんだよな。
掌の豆の位置。手首の遊び。柄を握り込みすぎる癖。
そんな情報を、俺は一行も持っていない。
このゲームに、剣の握り方というパラメータは存在しなかった。存在しなかったから、誰も検証しなかったし、誰も掲示板に書かなかった。
つまりこれは、俺が3年半で一度も触れなかった領域だ。
俺は、姿勢を正した。
「ガウスさん」
「なんだ」
「教えてもらえませんか」
◇
ギルドの裏に、荷馬車を停める空き地がある。
日が落ちて、月が出ていた。ガウスは俺を連れてそこへ出ると、立てかけてあった木剣を2本、放って寄越した。
「右肩は使えないんだったな。左でやれ」
「左でいいんですか」
「よくはない。だが利き腕が使えるうちは、お前は今の癖のまま覚える。左なら癖がない。基礎を入れるには、むしろ好都合だ」
——理屈が通っている。
俺は木剣を左手で握った。
「握るな」
ぱしん、と手の甲を叩かれた。
「え」
「握るんじゃない。乗せろ。剣ってのは、握って振るもんじゃない。落とすもんだ」
「落とす」
「振り下ろすとき、力を入れるのは最初の10分の1だけだ。あとは重さに任せる。当たる直前に、ここ——」
ガウスは俺の小指と薬指を掴んだ。
「ここだけ締める。締めるのは一瞬だ。それで剣の先が止まる」
俺は言われたとおりにやった。
木剣が、空を斬った。
音が、変わった。
さっきまでは「ぶん」という鈍い音だった。今は「しゅ」と、短く鋭い音がした。
「……あ」
「分かるか」
「分かります」
「もういっぺん」
俺は振った。今度はうまくいかなかった。
「握ってる。乗せろ」
振った。
「まだ握ってる」
振った。
「肩に力が入ってる。肩は関係ない。剣を落とすのに肩は使わん」
振った。
「足だ。左足の親指で地面を掴め。掴まないから、振ったあと体が流れる」
俺は左足の指に意識を集めた。
振った。
「今のだ」
その一言だけ、声の温度が違った。
「今のを、もう100回やれ。100回やったら体が忘れる。忘れたころにまた出る。それを繰り返して、出るほうが多くなったら、それが技だ」
——これ、聞いたことがある言い回しだな。
俺は振りながら、そう思った。
似たようなことを、俺も何度も打った。『昨日より確実にましだ』『2組同じことやれば体で覚える』。3年半、チャット欄に流し続けた文字列だ。
意味が分かって書いていたつもりだった。
分かってなかったな、と今日は思った。
◇
3時間、それだけをやった。
途中から、ガウスは何も言わずに麦酒を飲んでいた。空き地の隅に座って、俺が木剣を振るのを、ただ見ていた。
1000回を超えたあたりで、腕が上がらなくなった。
「そこまで」
ガウスが立ち上がって、俺の左手を掴んだ。
また、掌を見た。
「豆の位置が、ちょっとずれた」
「……そんなに早く変わりますか」
「変わらんよ。俺が『変わった』って言ってやったほうが、お前が明日も振るだろ」
俺は思わず笑ってしまった。
——ああ。
——この人、それ、俺もやってたわ。
◇
3年半、俺はゲームの中で、数えきれないほど初心者に教えてきた。
そのときいちばん気をつけていたのが、まさにこれだった。
『いいよ、その形』
『昨日より確実にましだ』
『できたんだよ、実際』
——褒めるところを見つけるのが得意なんだよな、俺は。
見つけて、渡して、そいつがもう一度やる気になるのを見て、満足していた。
俺は、ずっと「教える側」だった。
Lv925のノルンとして、答えを知っている側、道を示す側、助ける側だった。それが3年半、当たり前に俺の立ち位置だった。
だから今、この空き地で。
自分がされている側に回っていることに気づいて——
顔が、熱くなった。
「なんだお前、赤くなってるぞ」
「……酒です」
「お前、麦酒を半分しか飲んでねえだろうが」
◇
宿に帰る道で、ガウスが言った。
「坊主。お前、なんか隠してるだろ」
俺は足を止めそうになって、止めなかった。
「なんのことですか」
「知らん。だが、お前は妙だ。1か月の人間が持ってる知識の量じゃない。谷筋の話も聞いた。ミリアが感心してたぞ」
「……本で読みました」
「そりゃいい本だな。どこで売ってる」
「もう、絶版で」
ガウスは、しばらく黙って歩いた。
それから、大剣を担ぎ直して、こう言った。
「ま、いいさ。冒険者に過去を聞くのは無粋だ」
「……はい」
「ただな、坊主」
彼は前を向いたまま言った。
「隠しごとがあるやつは、たいてい、いざってときに一人で背負おうとする。それで死ぬ。何人か見た」
俺は返事をしなかった。
「明日も来い。同じ時間だ」
「……はい」
◇
宿の寝台で、俺はステータスウィンドウを開いた。
Lv.28
数字は昨日と同じだ。1つも上がっていない。
3時間、木剣を振っただけの日だった。効率で言えば、最悪の一日だ。
——でも。
スキル欄に、新しい行が生えていた。
《剣術Ⅰ》
条件は、剣で1000回、意図をもって振ること。
3年半のうちで、俺がいちばん最初に取ったスキルだった。当時は、気づいたら生えていた。
今日、俺は、その1000回目を自分の腕で振ったのだ。




