溢れ出す
お久しぶりです、緋絽と申します!
とうとう今日は卒業式ですね! 全国の高校生のみなさん、ご卒業おめでとうございます!
『オレ、これから警備だから。じゃな、ハルキ』
ヒラヒラと手を振って、何もなかったかのように、笑ってランセルが去っていったのは少し前。
私がピリピリしていたことに、恐らくランセルは気付いている。それでも彼は。敢えて口にしなかった。……ここには、無言の優しさをくれる人が、いる。それだけで、少しは心が浮上する気がした。
しかし、そんな風に少し落ち込んでいた私を、あの男はつくづくとそう簡単には沈痛な思いに浸らせてはくれないらしい。
目の前にある扉はすっかり見慣れたレオンの執務室のそれではない。
あの武骨な木製の扉よりも装飾が施されており、若干のゆとりを感じる。
宿舎を出て騎士団の本拠地さえ抜け出た時に、私の落ち込みは疑問に変わり、どことなく風雅だがそれでも殺風景な感じのする大きな屋敷の門をくぐり、しかもそれがレオンのものと聞いた時、私の思考は疑問を突き抜けて真っ白になった。
そういえば初めて騎士団に行ったとき、私はレオンの屋敷にいたのだから、ここを見ているはずだ。言われてみればこんなんだった気がしないでもない。あ、あの時はいろいろ精一杯だったんだ!
中に入って更に奥に進んだランセルに着いていったところで、ランセルの案内は終わった。そして今、私は一人でここに立っている。
レオンの前で、肚を決めるのは二度目だ。
私は扉をノックした。
すぐに扉が開き、団服姿のままのレオンが現れる。
「来たか」
「は? あ、うん」
普通に答えてから慌てた。そういやこいつ、偉い人。
取り成そうとする私にレオンが面倒そうに手を振る。
「気にするな。敬語はやめろと伝えただろう」
「あ」
そういえば。
掌を拳で打った私に、レオンは鼻で息を吐いた。
「座れ」
レオンが眉間に皺を寄せたままベッドを指し示す。え? え?
私は思わずレオンとベッドを見比べた。
ちょっとレオンさん? あ、あーたは座らないんすか? 立たれると、い、威圧感が半端ないんですけど!
壁にもたれてレオンが腕を組む。そして、ふと首を傾げた。
「で?」
は?
私は奴同様に首を傾げた。むしろ奴よりも深く。なんだこの光景。
何が「で?」なのだろう。別に私からお前に聞きたいことなんて何一つないぞ。ていうか呼んだのはそっちでしょーが。
「いや、……それは、俺の方が聞きてえんだけど? あんたは何を聞いてんの?」
「俺がお前に事件の詳細を聞くために、わざわざ自分の、それも王都の屋敷に呼び出すと思うのか? つくづく阿呆だな。もっと頭を働かせる努力をしろ」
ぐ、と喉を詰まらせた。
そ、そんなに言わなくったっていいじゃないか。呼び出された上にレオンだって団服を着ていたら、そのことだと思うじゃないか。これ、理不尽じゃない?
ちょっとムッとしたら、少し感情が昂って吐息が震えた。
あっぶない。表面的に鎮まったように見せているだけで、まだ、感情は簡単に綻びを見せるのだ。
しぶしぶ考えを巡らせる。
ここに連れてきたってことは、人には聞かせられない話をするということだろうか。人に聞かせられない話で、私とレオンで共有しているものというと───私が異世界から来たということくらいだ。つまり、今レオンが聞いているのは、それ関係のことってことになる。
「……レオンは、俺がいた世界、どんなだったと思ってる?」
「……お前は、格闘技を習っていると言った。お前の訓練を見るに実践向きでもあるが、それ以上にある規則に乗っ取った動きに見える。急所を狙うくせに、止めを指そうとはしない。つまり、そうする必要がなかったということだ」
私はレオンの顔を必死に見つめていた。
顔を逸らしたら、俯いたら。張り詰めた気持ちが弾けてしまう。
「随分と、平和な世の中だったようだな?」
「あぁ。格闘技みたいな武術は、戦うために身に付けるものじゃなかった。ただ運動をするため、娯楽のためにするものだった。……わかるだろ?」
ふんとレオンが鼻を鳴らす。私はそれを、肯定だと判断した。
「少なくとも俺の目の前では、誰も死ななかったんだ。殺そうという意思も、誰も持ってなかった」
あの時。最初にこの世界に来たとき。
あの時も、下手をすれば殺されていたかもしれないことはわかってた。ここをそういう世界だとも思った。でも、来たばっかりで混乱していて、まだ私は全然理解していなかった。時間がたって、混乱も少し収まってきて、───そして、今度は私以外の人が殺されそうになるのを見て。
──────何より、銀髪の、剣のような鈍い光を放つ瞳から溢れ出る殺気が。自覚させた。
このまま此処にいれば、いずれ私も世界の理に従って、こうして命を取ることになるのだろうと。
唇を噛み締める。
だって私は、騎士団の伝令役だ。道の邪魔になる奴は、排除しなければならない。殺してでも。
ゾッとした。
思わず肩を抱き締めたとき、ふと頭にレオンの手が載った。ポンポンと軽く叩かれる。そして優しく頬を包まれ、噛んだままの唇を親指で一度だけ撫でられた。
私は促されるように、ぱちりと一度、ゆっくり瞬きをした。
「……それだけじゃない……俺が、本当に、怖いのは」
そのことを。『仕方ない』と、受け入れて納得してしまっている自分がいることだ。この世界の理に、順応してきている自分に気づいてしまったことだ。
私の告白を聞いたレオンが、無言で屈み自分の肩に私の顔を押し付けてきた。石鹸の香りが私を包む。
あやすように背中を叩かれ、頭を支えられる。
「……逃げればいい。心配せずとも、しばらくは衣食住くらい確保してやる」
今度こそ本当に、駄目だった。
俯いた途端に涙がこぼれ、しゃくりあげる。涙の滴は、しがみついたレオンの肩に染みていった。
「そ、んな、恩知らずなこと出来るかよ……っ、ばぁーかっ!」
なんて、優しい。レオンが無理言って私を雇ってくれたのに、それを逃げ出していいと言う。
冷血漢なんて嘘だ。その優しさが、言葉の裏に隠されてしまうだけ。その優しさを、悟らせていないだけ。
「馬鹿とはなんだ」
「正直言うなら、逃げてえよ! でもっお、れっ、俺はっ、あんたに感謝してるから」
嘘。もっと、もっとだ。
途方もない話を信じてくれて、居場所をくれて、逃げ場をくれた。それが、どれだけ助けになったか。どれだけ───嬉しかったか。
憎まれ口を叩いてても、レオンを嫌いになれなかったのは、そういう事が積み重なっていたからだ。
「だから、逃げない! あんたがくれた情けを、仇では返さない! 絶対に、借りは、返す!」
そんな人を、裏切るわけにはいかない。
顔に似合わない溺れるほどの優しさに見合うぶんだけの、感謝を。礼を。
「だからっ、お前も甘やかすな!!」
顔をあげて怒鳴ると、レオンがクッと目を見開いた。
「甘やかす? この俺が?」
「逃げていいとかどうとか! 明らかに甘やかしてんだろーが!」
「あぁいや……そうか」
レオンがフッと息を漏らした。口角がゆるゆると上がっていく。
ワシワシと頭を撫でられた。
「お前は、そう取るのか」
低い声で呟いたレオンの声音は、少し満足そうに聞こえた。




