91話 転生してから初めて学校に登校した。
転生してから初めて、主人公は学校へ向かった。
校門をくぐる前から、かなり緊張していた。
前の身体の記憶はわずかに残っているものの、クラスメイトの顔や名前、人間関係まではほとんど思い出せない。自分が以前、学校でどのように過ごしていたのかも分からなかった。
だが、主人公の不安とは裏腹に、周囲の反応は驚くほど好意的だった。
「本当に大丈夫なの?」
「まだ休んでいたほうがよかったんじゃない?」
「無理しないでね。気分が悪くなったら、すぐ先生を呼ぶから」
校門から教室へ向かうまでの短い間に、何人もの女子が主人公へ声をかけてきた。
廊下ですれ違う上級生まで足を止め、心配そうに主人公の顔をのぞき込んでくる。
「意識が戻ったって聞いて、すごく心配してたんだから」
「元気そうでよかった」
「何か困っていることがあったら、私に言ってね」
「あ、ありがとう……」
主人公は愛想笑いを浮かべながら返事をした。
見知らぬ女子たちから次々と心配される状況は、ありがたいというより、どこか不気味だった。
――この身体の持ち主、いったい何者だったんだ?
しかも、女子たちは主人公の身体を気遣ったあと、かなりの確率で同じ話題を口にした。
主人公の彼女のことだった。
「それにしても、あの子はひどいよね」
「え?」
「あんなことがあったのに、まだ彼女のつもりでいるなんて」
主人公が聞き返すと、女子は急に声を小さくした。
「あなたが倒れた原因、あの子にあるって噂もあるから」
「そんな噂があるの?」
「知らないの? まあ、記憶がないなら仕方ないけど……気をつけたほうがいいよ」
別の女子も、心配そうな顔で近づいてきた。
「大丈夫? 無理してない?」
「うん、今のところは」
「よかった。それと、あの彼女とは別れたほうがいいと思う」
あまりにも自然に言われたため、主人公は一瞬、返事ができなかった。
「どうして?」
「あの子、性格が悪いから」
「あの女、かなり腹黒いわよ。表と裏じゃ、まるで別人だから。」
「絶対結婚しちゃだめだからね。彼女はほんと、趣味悪いわよ」
それだけ言うと、女子は主人公の反応をうかがうように見つめてきた。
さらに教室へ入ると、状況はもっとひどくなった。
「本当に学校に来られるようになったんだ!」
「心配してたよ」
「ノート、全部貸してあげるね」
女子たちが次々と主人公の席へ集まってくる。
そのうちの一人が、周囲に聞こえないよう主人公の耳元でささやいた。
「あの子とは、もう付き合わないほうがいいよ」
また彼女の話だった。
「そんなに嫌われてるの?」
主人公が尋ねると、女子は露骨に顔をしかめた。
「嫌われて当然だよ。あなたが意識を失っている間も、ずっと彼女みたいな顔をしてたんだから」
――いや、彼女なら心配するのは当然じゃないのか?
主人公には、何が悪いのかさっぱり分からなかった。
だが、女子はさらに身を乗り出した。
「あなたには、もっといい人がいると思う」
そう言いながら、自分の胸に手を当てる。
――それって、もしかして自分のことを言ってるのか?
主人公が戸惑っていると、今度は別の女子が会話に割り込んできた。
「その子の話、信じちゃ駄目だよ」
「なんで?」
「その子、彼氏がいるから」
「ちょっと! 余計なこと言わないでよ!」
最初の女子が慌てて声を上げた。
主人公は二人を交互に見た。
「彼氏がいるのに、俺に彼女と別れろって言ってたの?」
「それは、その……彼氏とあなたは別だから」
「別って何が?」
「彼氏は彼氏で、あなたはあなたというか……」
まったく説明になっていなかった。
すると、近くにいた女子が呆れたように口を挟んだ。
「この子だけじゃないよ。あなたのことが好きだって言ってる女子、ほとんど彼氏持ちだから」
「え?」
主人公は思わず大きな声を出した。
「彼氏がいるのに、俺のことも好きなの?」
「別に珍しくないよ」
「珍しくないの?」
「だって、付き合えるならあなたと付き合いたいっていう子、多いから」
主人公の理解が追いつかなかった。
前世の常識では、恋人がいるのに別の異性へ告白すれば、普通は大問題になる。
しかし、この教室では誰もそれを強く否定していなかった。
むしろ問題なのは、主人公の彼女のほうだという雰囲気だった。
「とにかく、今の彼女には気をつけてね」
「あなたが記憶を失っているのを利用するかもしれないから」
「付き合っていたっていう話も、本当かどうか怪しいよ」
女子たちは次々と彼女への悪口を口にした。
性格が悪い。
独占欲が強い。
主人公にはふさわしくない。
主人公が倒れている間も、恋人の立場を手放そうとしなかった。
話を聞けば聞くほど、彼女がとんでもない悪人のように思えてくる。
だが、どの女子も「具体的に何をされたのか」と尋ねると、急に言葉を濁した。
「とにかく、みんながそう言ってるから」
「有名な話だよ」
「記憶が戻れば分かると思う」
そればかりだった。
主人公は次第に疑い始めた。
――もしかして彼女が悪いんじゃなくて、こいつらが彼女を邪魔者扱いしているだけじゃないか?
そのとき、教室の入口付近が急に静かになった。
主人公の周囲に集まっていた女子たちが、一斉に口を閉じる。
主人公が振り返ると、そこには例の彼女が立っていた。
彼女は主人公の姿を見ると、安心したように微笑んだ。
「学校に来られたんだね。身体、大丈夫?」
これまで出会った女子たちと、ほとんど同じ言葉だった。
しかし、主人公の周囲に集まっていた女子たちは、露骨に嫌そうな顔をした。
彼女はその視線に気づいているはずなのに、何も言わず主人公のそばまで歩いてくる。
「先生から、無理をさせないようにって言われてるから。今日は私が一緒にいるね」
「う、うん」
主人公が答えた瞬間、周囲の女子たちから冷たい空気が流れた。
彼女は主人公の机の横に立つと、小さな声で言った。
「みんなから、私の悪口を言われなかった?」
主人公の身体が固まった。
どうやら、これは今日だけのことではないらしい。
「少しだけ……」
主人公が正直に答えると、彼女は寂しそうに笑った。
「やっぱり」
その表情には、怒りよりも諦めが浮かんでいた。
「信じなくてもいいよ。今のあなたは、何も覚えていないんだから」
そう言って、彼女は離れようとした。
主人公はとっさに、その腕をつかんだ。
「待って」
彼女が驚いて振り返る。
「悪口を言ってきた人たちは、みんな彼氏がいる」
「……そうだよ」
「それなのに、俺に君と別れろって言ってきた」
「いつものことだから」
彼女は静かに答えた。
いつものこと。
その一言で、主人公は自分が倒れる前から、彼女が何度も同じ目に遭っていたのだと理解した。
主人公を心配してくれる女子たち。
主人公の彼女を悪く言う女子たち。
彼氏がいるにもかかわらず、主人公に好意を向けてくる女子たち。
そして、そのすべてを黙って耐えている彼女。
転生して初めての学校生活は、想像していたよりもはるかに面倒な人間関係から始まった。
主人公は彼女の隣に立ちながら思った。
――この世界、恋愛関係がおかしすぎるだろ。




