9話 転生後の世界
死んだはずだった。
最後に覚えているのは、身体から急速に力が抜けていく感覚と、視界を覆った真っ暗な闇だけ。
それなのに――次に目を開けたとき、主人公は病院のベッドに横たわっていた。
白い天井。鼻を刺す消毒液のにおい。規則正しく鳴る電子音。
身体を動かそうとすると、全身が鉛のように重かった。
「……ここは……?」
かすれた声が口から漏れた。
その瞬間、ベッドを囲んでいた四人が一斉に息をのんだ。
30代後半くらいの、父親らしき男。
その隣には、目を真っ赤に腫らした母親らしき女。
さらに、高校生くらいの少年と、小学校高学年くらいの少年が立っていた。
もちろん、全員知らない人だった。
「目を覚ました……!」
母親らしき女が震える声で叫び、主人公の手を強く握った。
「よかった……本当によかった……!」
彼女は主人公の手に顔を押しつけ、声を上げて泣き始めた。
父親らしき男も顔を背け、必死に涙をこらえている。二人の少年まで、泣きながら笑っていた。
「姉ちゃん……」
小学高学年くらいの少年が、信じられないものを見るように主人公を見つめる。
「もう目を覚まさないかと思った……」
姉ちゃん。
その言葉に、胸の奥が妙にざわついた。
知らないはずなのに、彼の顔を見ていると、頭の奥から何かが浮かび上がってくる。
夕食の席で笑っている姿。
廊下を走り回る小さな男の子。
優しく髪をとかしてくれる母親。
休日に車を乗っていた父親。
どれも主人公自身の記憶ではない。
この身体に以前いた少女の記憶だ。
けれど、見えるのは霧の向こうにある映像のような、ほんのわずかな断片だけだった。名前も、年齢も、ここがどこなのかさえ分からない。
どうやら主人公は、死んだあと、別の少女の身体で目覚めてしまったらしい。
しかも、この家族はその少女が戻ってきたと信じている。
主人公は混乱する頭を必死に働かせた。
正直に話しても、信じてもらえるはずがない。
自分は一度死んだ人間で、本当の娘ではありません――そんなことを言えば、精神がおかしくなったと思われるだけだ。
ならば、答えは一つしかなかった。
主人公は不安そうに周囲を見回し、怯えた表情を作った。
「ごめんなさい……」
全員の顔が凍りつく。
主人公は母親らしき女の手を見つめながら、ゆっくりと言った。
「あなたたちは……誰ですか?」
母親の顔から笑顔が消えた。
父親らしき男が、医師を呼ぶために慌てて病室を飛び出していく。
二人の少年は、その場に立ち尽くしていた。
胸が痛んだ。
彼らは本当に、この少女のことを大切にしていたのだろう。
けれど、今の主人公にはこうするしかない。
やがて医師や看護師が駆けつけ、いくつもの質問をされた。
自分の名前は分かるか。
家族の顔を覚えているか。
事故のことを覚えているか。
主人公はすべてに首を横に振った。
「何も……思い出せません」
嘘ではなかった。
前の少女の記憶は、頭の中に少しだけ残っている。だが、それだけで彼女として振る舞えるほどではない。
医師は深刻そうな顔で家族に説明した。
「一時的な記憶障害の可能性があります。焦らず、少しずつ様子を見ていきましょう」
母親は涙を拭きながら、もう一度私の手を握った。
「大丈夫よ。何も覚えていなくてもいいの」
その声は、震えていた。
「私たちが、また全部教えてあげるから」
主人公は小さくうなずいた。
こうして私は、記憶を失った少女として、この家族の中で生きることになった。
名前も知らない。
自分の顔さえ、まだ見ていない。
そして、この世界が自分の知っている世界と同じなのかも分からない。
ただ一つ確かなことは――主人公はもう、以前の人生には戻れないということだった。




