59話 家に飾ってある服の意味
鏡の前に立った主人公は、しばらく自分の姿を見つめたまま動けなかった。
先ほどまで着ていたワンピースは脱がされ、代わりに身につけているのは真っ白なドレスだった。
胸元には細かな刺繍が施され、腰から下には柔らかな布が幾重にも重なっている。長い裾が床の上へ広がる姿は、まるで結婚式で着るウエディングドレスのようだった。
「とてもよく似合っていますよ」
主人公を着替えさせてくれた、きれいな女性が微笑んだ。
けれど、主人公は笑うことができなかった。
椅子の上には、さっきまで着ていた服が置かれている。
お母さんがこの日のために買ってくれた、高価なワンピースだった。
ところどころに汚れがついていた。
女性は服を丁寧に広げ、汚れを確かめると、何事もなかったかのように畳み始めた。
「待ってください。それ、洗わないんですか?」
「洗いませんよ」
「でも、汚れてしまって……」
女性は薄い保護シートで服を包み、透明な保存袋の中へ静かに入れた。
「これは、今日のまま残しておくものなんです」
「今日のまま?」
「そう。今日という記念日のために用意した服だから。この服の役目は、もうきちんと果たされたのよ」
「記念日……?」
「あなたが、新しい一歩を踏み出した日」
女性は保存袋に入ったワンピースを優しく撫でた。
「この服は、今日の思い出と一緒に残しておくの。大切に保管する人もいるし、マネキンに着せて部屋へ飾る人もいるわ」
「汚れているのに?」
「汚れているからよ」
女性は静かに答えた。
「きれいなままの服じゃ、今日の出来事を全部思い出せないでしょう?」
主人公は、保存袋の中のワンピースを見つめた。
すると、今日の緊張や不安、泣きそうになったこと、そして目の前の彼の優しい声まで、次々によみがえってきた。
「その汚れも、初めての日を迎えた証なの」
女性はそう言って、主人公をそっと抱きしめた。
「失敗した跡じゃない。あなたが今日をきちんと乗り越えた証拠よ」
主人公は白いドレスの胸元をぎゅっと握った。
まだ、自分が何か大きく変わったという実感はなかった。
それでも、女性の腕の中で涙を流しているうちに、朝までの自分にはもう戻れないのだと、少しずつ分かってきた。
そして――主人公は、ふと気づいた。
「……あれ?」
主人公の家にも、服が飾られている。
転生してから家にあったため、これまで深く考えたこともなかった。
だが、今になってようやく、その意味が分かった。
「あれも……お母さんの記念日の服だったんだ……」
そう理解した瞬間、主人公の頭の中に、実家に飾られている服の姿が鮮明によみがえった。
そして――。
「…………いや、ちょっと待って」
主人公の顔が一気に赤くなる。
お母さんの記念日の服は、自分のような上品なワンピースではなかった。
身体のラインがはっきり出る、かなり派手なボディコンワンピース。
しかもスカート丈はかなり短く、どう見ても攻めたデザインだった。
さらに一緒に保存されていた下着まで、かなり大胆なものだった。
「いやいやいやいや!」
主人公は思わず両手で顔を覆った。
今までは単に「昔の派手な服を飾っているんだな」くらいにしか思っていなかった。
まさか、あれが両親の大切な記念日の衣装だったとは。
しかも――。
主人公には、さらに恐ろしい記憶があった。
この家は、記念日が来るたびに、あの服がなくなっていたのだった。
「毎年絶対母あれ着てたよね!?」
前は何とも思っていなかった。
むしろ、前は、
「今日はお父さんとお母さんの記念日なんだな」
くらいにしか考えていなかった。
だが、意味を知ってしまった今では話が違う。
「無理無理無理! 今度からどんな顔して見ればいいの!?両親はあの服を着て何をしていたの?」
だから、主人公にかくしていたのか。
しかも、記念日のために、母はジムに通って運動までしていた。
「あ、いつでも着られるように、体型を維持していたのか」
主人公は恥ずかしかった。
女性は主人公の反応がおかしかったのか、くすりと笑った。
「お母さまも記念日の服を大切にされているんですね」
「大切にしすぎです!」
主人公は頭を抱えた。
「うわああ……家に帰ったら、あの服直視できない……」
自分の記念日を迎えたことで大人へ一歩近づいたはずなのに。
その日の主人公が新しく知った「大人の世界」は、想像していたものとは少し違っていた。




