56話 こども家庭庁のきれいなおねいさん
食事を終え、主人公たちは二人でレストランを出た。
最上階のラウンジでは、窓の向こうに広がる夜景を眺めながら、多くの人が静かに談笑している。
「すごくおいしかったね」
「喜んでもらえてよかった」
彼はそう答えたものの、なぜか落ち着かない様子だった。
さっきから何度も時計を確認している。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「絶対なんでもなくないよね?」
主人公が問い詰めようとした、そのときだった。
「こんばんは」
背後から、落ち着いた女性の声が聞こえた。
振り返ると、上品なスーツ姿の女性が立っていた。長い髪をきれいにまとめ、柔らかな笑顔を浮かべている。
彼は女性を見るなり、姿勢を正した。
「先生。こんばんは」
主人公は思わず彼の顔を見る。
(先生? 学校の先生じゃないよね……?)
女性は主人公にも軽く頭を下げた。
「今日は合格祝いだったそうですね。おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
主人公は戸惑いながら答えた。
女性は名刺を差し出した。
「私は、こども家庭庁で国家資格の研修を担当しています。彼には試験に必要な知識や実技を教えていました」
「国家試験の先生だったんですか?」
「はい。もっとも、すでに国家試験には合格していますが」
その言葉を聞いて、私は首をかしげた。
「国家試験には?」
彼が気まずそうに目をそらす。
女性は笑顔のまま、彼に尋ねた。
「彼女には、まだ説明していないのですか?」
「今、話そうとは思っていました」
「合格祝いまでしたのに?」
主人公が彼をにらむと、彼は小さな声で答えた。
「国家試験に合格したのは本当だから……」
「その言い方、絶対にまだ何か残ってるよね?」
女性は腕時計を確認した。
そして、先ほどまでの柔らかな表情を少しだけ引き締めた。
「では、私から説明します」
ラウンジの空気が、急に静かになったように感じた。
「国家試験には合格しました。しかし、資格を正式に取得するためには、もう一つ試験を受けなければなりません」
「もう一つ?」
「はい」
女性は彼と私を交互に見た。
「これから行う、最後の実技試験です」
「これから!?」
思わず大きな声を出してしまい、周囲の客がこちらを見る。
主人公は慌てて声を小さくした。
「今日って、合格祝いじゃなかったんですか?」
「国家試験の合格祝いです」
彼が真面目な顔で答えた。
「細かい!」
女性は少しだけ笑った。
「この試験は、受験者が知識を覚えているかを見るものではありません。実際の状況で、落ち着いて判断し、相手と協力できるかを確認するものです」
「相手と協力……?」
嫌な予感がして、私は彼を見る。
彼は申し訳なさそうに頭を下げた。
「実技試験には、協力者が必要なんだ」
「まさか……」
「お願いします」
「私、何も聞いてないんだけど!」
「事前に知らせると、普段どおりの反応が確認できないため、協力者には直前まで内容を伝えない決まりになっています」
先生は落ち着いた口調で説明した。
「そんなびっくり試験が国家試験なの!?」
「驚かせてしまって申し訳ありません。ただし、危険なことや無理なことをお願いするつもりはありません。参加を断ることもできます」
「断ったら、彼はどうなるんですか?」
「別の日に、別の協力者を用意して再試験となります」
主人公は隣に立つ彼を見た。
彼は緊張した表情をしている。レストランで何度も時計を確認していた理由も、ようやく分かった。
「だから今日、ずっと落ち着かなかったの?」
「うん」
「せっかくの食事なのに、ほとんど味を覚えてない」
「それはもったいなさすぎるでしょ!」
思わずツッコミを入れると、彼はようやく少し笑った。
先生はエレベーターのボタンを押した。
「試験会場は、この建物の別の階に用意されています。」
エレベーターの扉が静かに開く。
先生は中へ入ると、私たちを振り返った。
「それでは、最後の試験を始めましょう」
彼は緊張した顔で私を見る。
主人公は大きくため息をついた。
「終わったら、今度こそ本当の合格祝いだからね」
「もちろん」
「あと、隠してた罰として、次の食事代もそっち持ち」
「分かった」
「一番高い店にするから」
「それは試験より怖いな……」
主人公たちは先生に続き、エレベーターへ乗り込んだ。
扉が閉まる直前、きらめく夜景が細い線になって消えていく。
楽しいだけで終わるはずだった合格祝いの夜は、思いがけず、彼の本当の最終試験へと続いていた。




