44話 完璧すぎて、誰も近づかない
アイドルを脱退してからしばらくたった。
主人公は芸能活動から離れ、医者になるための勉強に集中していた。
人気絶頂のまま引退したため、彼女の知名度は今も圧倒的だった。
街を歩けば振り返られ、店に入れば店員が気づき、病院へ行けば患者からサインを求められる。
美人。
スタイルも抜群。
元国民的アイドル。
ドラマの主演経験もある。
性格も真面目で、将来の夢は医者。
客観的に見れば、これ以上ないほど完璧な女性だった。
それなのに――。
「一件も来ない……」
父は、リビングのソファに座りながら頭を抱えていた。
母も隣で深いため息をつく。
「どうしてなのかしら……。娘がこの国中に知られるようになったのに、お見合いの話が一件も来ないなんて」
主人公は参考書から顔を上げた。
「別に来なくても困らないけど」
「私たちが困る!」
父と母が同時に叫んだ。
「どうして二人が困るのよ!」
父はテーブルの上に、主人公のプロフィール表を広げた。
「見ろ。この経歴を」
元国民的アイドルグループのセンター。
人気投票では圧倒的第一位。
ドラマ主演。
CM出演多数。
容姿端麗。
成績優秀。
医者志望。
健康状態良好。
父はプロフィール表を指さしながら、震える声で言った。
「これだけそろっているんだぞ。それなのに、紹介してほしいという話が一件もない」
母も悲しそうに続けた。
「普通なら、親戚や役所関係者から話が殺到してもおかしくないのに」
父は知人や職場の同僚、それどころか役所関係者にも、それとなく娘の話をしていたらしい。
しかし、返ってくる言葉はどれも同じだった。
「美人でスタイルも良くて、元国民的アイドルでしょう?」
「しかも医者を目指して勉強中?」
「そんな完璧な人に彼氏がいないなんて、絶対に何かありますよ」
主人公は肩をすくめた。
「有名人だから遠慮しているんじゃない?」
「違う」
父は静かに首を振った。
「みんな警戒しているんだ」
「何を?」
父は知人から聞いた話を読み上げた。
「“あれだけ美人で有名なのに彼氏がいないのは、絶対に何かある”」
主人公の眉が動いた。
「何かって何よ」
母も別のメモを取り出した。
「“性格に重大な問題があるのではないか”」
「ないわよ!」
「“理想が異常に高いのではないか”」
「普通でいいわよ!」
「“男性を毎日厳しく採点しそう”」
「しないわよ!」
「“少しでも失敗すると、大声でツッコまれそう”」
主人公は思わずテーブルをたたいた。
「変なことをしなければツッコまないわよ!」
父と母は黙って主人公を見た。
「何よ、その顔」
父は小さくつぶやいた。
「今ので、みんなが警戒する理由が少し分かった」
「分からないで!」
主人公がアイドルだったころ、テレビではいつも周囲にいじられていた。
音程を外せば笑われる。
ダンスを間違えれば笑われる。
変な衣装を着せられれば笑われる。
そのたびに、主人公は全力でツッコミを入れていた。
視聴者には、その姿がとても面白く映っていた。
しかし同時に、世間には別の印象も残っていた。
怒ると怖そう。
気が強そう。
口では絶対に勝てなそう。
結婚したら毎日説教されそう。
主人公は両手で頭を抱えた。
「全部、テレビの印象でしょう!」
母は申し訳なさそうに答えた。
「でも、あなたは家でもだいたい同じよ」
「お母さん!?」
父はさらに深刻な顔で続けた。
「それに、あれだけ完璧なのに、今まで一度も彼氏ができていない」
その言葉に、主人公は固まった。
父はホワイトボードに大きく書いた。
『美人なのに彼氏がいない』
その下に、矢印を書き足す。
『何か重大な欠点があるに違いない』
「勝手に結論を出さないで!」
母は頬に手を当てた。
「世間では、そう考えられているみたいなの」
主人公は納得できなかった。
容姿には自信がある。
勉強もできる。
料理も家事も一通りできる。
性格だって、少なくとも本人は悪くないと思っている。
それなのに、男性から告白されたことは一度もなかった。
ファンからは毎日のように、
「結婚してください!」
「大好きです!」
と手紙が届いていた。
だが、実際に近づいてくる男性はいない。
遠くから応援するだけ。
握手会では笑顔で話すのに、私生活では誰も声をかけてこない。
ある日、主人公は学校の男子に直接聞いてみた。
「ねえ、私ってそんなに近づきにくい?」
男子は激しく動揺した。
「そ、そんなことないよ!」
「じゃあ、どうして誰も誘ってこないの?」
教室中の男子が一斉に視線をそらした。
主人公は一番近くにいた男子を見た。
「正直に言って」
男子は覚悟を決めたように答えた。
「だって、付き合って失敗したら、全国ニュースになりそうだから」
「ならないわよ!」
別の男子も口を開いた。
「別れたらファンに怒られそう」
「ファンは関係ないでしょう!」
「デートで遅刻したら、テレビみたいな勢いでツッコまれそう」
「遅刻しなければいいのよ!」
「その考え方が怖いんだよ!」
教室中が大きくうなずいた。
主人公は言葉を失った。
さらに女子たちからも言われた。
「あなたは美人すぎるのよ」
「隣を歩くだけで比較されるから、男の子も緊張するんじゃない?」
「完璧な人と付き合うのって、疲れそうだし」
主人公は机に突っ伏した。
「完璧なのが欠点になってる……」
その日の夕方。
主人公が家に帰ると、父と母が玄関で待っていた。
二人とも妙に明るい表情をしている。
「ついに来たぞ!」
父は封筒を高く掲げた。
「お見合いの申し込みよ!」
母は目に涙を浮かべていた。
主人公も驚いて封筒を受け取った。
ついに、自分にも正式なお見合いの話が来たのだ。
恐る恐る中を開ける。
しかし、入っていたのは国営恋人紹介サービスの広告だった。
『まずは無料相談から!』
三人はしばらく黙り込んだ。
母が静かに座り込んだ。
「広告だった……」
父も壁に手をついた。
「うちの住所を知っているのは国営恋人紹介サービスだけなのか……」
「二人とも落ち込みすぎよ!」
その夜、両親は再び家族会議を開いた。
父はホワイトボードに新しい題名を書いた。
『娘に彼氏ができない理由』
一、有名すぎて緊張される。
二、美人すぎて釣り合わないと思われる。
三、完璧すぎて欠点を疑われる。
四、気が強そう。
五、ツッコミが怖い。
主人公は五番を指さした。
「これ、絶対にいらないでしょう」
父は真剣な顔で答えた。
「最も多く聞いた意見だ」
「どこで聞き取り調査をしたのよ!」
母は娘の肩に手を置いた。
「大丈夫よ。いつか、あなたの本当の性格を分かってくれる人が現れるわ」
「今の言い方だと、本当の性格にも問題があるみたいじゃない!」
父も優しくうなずいた。
「外見や経歴ではなく、中身を見てくれる男性を探そう」
「だから、私の中身に何があるのよ!」
主人公の叫びが家中に響いた。
翌日、近所では新しい噂が流れていた。
『元アイドルの家から、また怒鳴り声が聞こえた』
『やっぱり性格に問題があるらしい』
その噂を聞いた主人公は、再び大声で叫んだ。
「問題なんてないわよ!」
しかし、その叫び声が近所中に響いたことで、噂はさらに確信へと変わってしまった。
こうして主人公は、美人で、スタイルも良く、頭も良く、誰もが知っている有名人でありながら、彼氏ができなかった。
父と母は毎晩のように嘆いた。
「どうして、こんなに完璧なのに……」
「完璧すぎるからよ!」
主人公は今日も勉強机に向かいながら叫ぶ。
医者になるという夢には、少しずつ近づいていた。
だが、彼氏ができる未来だけは、まったく見えてこなかった。




