18話 初めての授業
このあと、主人公は学校の授業を受けることになった。
この世界では、ノートの代わりにタブレットを使って授業を受けるらしい。
前世よりもずっとハイテクだった。
記憶を失ったことになっているため、先生からは「無理をしなくてもいい」と言われていた。
だが、授業が始まって数分もしないうちに、主人公は別の意味で頭を抱えることになった。
一時間目は数学だった。
電子化されたホワイトボードに映し出された数式を見た瞬間、主人公は思わず目を疑った。
「ちょっと待って。これ、本当に中学一年生の授業?」
因数分解や二次関数の基礎らしき内容が、当たり前のように進められている。
前世なら、高校一年生で習うような範囲だ。
しかし、周りの生徒たちは誰一人として驚く様子もなく、黙々とタブレットに目を向けていた。
「分からないところがあるの?」
隣の席の女子が小声で尋ねてきた。
「いや、分からないというか……進むの早くない?」
「そう? 普通だと思うけど」
普通じゃない。
少なくとも、私の知っている中学一年生の普通ではなかった。
次の英語では、教科書の文章のほとんどが英語で書かれていた。
文法も単語も、明らかに中学生向けとは思えない。
国語では難しい評論文を読まされ、理科では化学式がホワイトボードいっぱいに並んだ。
一日目の午前中だけで、頭が限界を迎えそうだった。
「この学校、進学校なの?」
休み時間に尋ねると、隣の女子は不思議そうに首をかしげた。
「普通の中学校だよ」
「これで普通なの!?」
思わず大きな声が出てしまい、教室中の視線が主人公に集まった。
主人公は慌てて机に顔を伏せた。
さらに時間割を確認してみた。
時限 月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日
1 数学 数学 英語 理科 数学
2 英語 英語 数学 英語 理科
3 国語 国語 社会 数学 英語
4 理科 理科 国語 選択科目 国語
5 美術 技術・家庭 音楽 選択科目 学級活動
6 保健体育 道徳 保健体育 選択科目
4コマ 国語
5コマ 数学
5コマ 英語
4コマ 理科
1コマ 社会
3コマ 選択科目
2コマ 保健体育
1コマ 技術・家庭
1コマ 音楽
1コマ 美術
1コマ 道徳
1コマ 学級活動 合計 29コマ
主人公は、その時間割を眺めていて、1つ妙なことに気づいた。
――社会が週1回しかない。
その代わり、国語、数学、英語、理科の授業が多く組まれている。
放課後、主人公は担任の先生に理由を尋ねてみた。
「先生、社会の授業って、なんで週1回しかないんですか?」
「ああ、それは高校受験の制度が関係しているのよ」
先生は当たり前のことのように答えた。
「高校受験では、国語、英語、数学、理科の4教科が必須なの。だから、この4教科は授業時間が多く設定されているのよ」
「じゃあ、社会は?」
「基礎的な内容は全員が勉強するけれど、受験科目としては選択科目扱いね」
「社会が選択科目?」
主人公は思わず聞き返した。
前世では、社会も主要教科の1つだったはずだ。
しかし、この世界の高校受験制度は、前世とは大きく異なっていた。
すべての受験生が受ける必須科目は、国語、英語、数学、理科の4教科。
それとは別に、志望する高校や学科に合わせて、1つ以上の選択科目を受験する。
選択できる科目には、社会、美術、保健体育、技術、家庭、音楽、情報などがある。
さらに学校や地域によっては、農業、漁業、畜産といった専門科目まで用意されているという。
「漁業で高校受験するの?」
「水産高校を目指す生徒には大切な科目よ。高校によっては実技試験もあるわ」
「魚を捕まえた数で合格が決まったりしませんよね?」
「そこまで単純ではありません」
先生は真顔で答えた。
――冗談だったのに。
詳しく話を聞くと、目指す職業や進学先によって、中学生のうちから重点的に勉強する科目を決めるらしい。
美術系の高校を目指すなら美術。
工業系なら技術や情報。
調理や保育関係なら家庭。
スポーツに力を入れている高校なら、保健体育の成績や実技試験が重視される。
農業高校や水産高校を目指す生徒は、中学生のうちから専門的な知識を学び、簡単な実習まで経験するという。
つまり、この世界では中学生の段階から、自分が将来どの道へ進みたいのかを、ある程度決めておかなければならないのだ。
「選択科目って、いつ決めるんですか?」
「1年生のうちは、いろいろな科目を体験する期間ね。それから、2年生になるまでに本格的に勉強する科目を決めるの。2年生からは高校受験を意識した授業が始まるわ」
「1年生でもう進路を決めるの?」
「むしろ、それでも遅いくらいよ」
――厳しすぎる。
社会をはじめ、受験で必須ではない科目の通常授業は最低限に抑えられている。
その代わりに、志望校に合わせて選択科目を集中的に学ぶ時間が設けられていた。
一方、高校受験で全員に課される国語、英語、数学、理科の4教科には、多くの授業時間が割り当てられている。
そのため、中学1年生の段階ですでに、前世でいう高校1年生に近い内容まで学んでいるらしい。
必要な科目を早い段階から集中的に学ばせる。
どうやら、それがこの世界の教育方針なのだ。
主人公は、もう1度時間割を眺めた。
そして、大きくため息をつく。
「……中学生って、もっと気楽なものじゃなかったっけ?」
少なくとも、前世ではそうだったはずだ。
前世の記憶がなかったら、本当に初日から置いていかれていたかもしれない。
「選択科目、何にするつもり?」
隣の女子が尋ねてきた。
「まだ何も決めてない」
「それなら、早めに考えたほうがいいよ。人気の講座は人数制限があるから」
「選択科目に人数制限まであるの?」
「学校の設備にも限りがあるからね。技術なんて特に人気だよ」
この世界では、女子には家庭、男子には技術が人気らしい。
前世なら、あまり聞かなかった話だ。
主人公はタブレットに表示された選択科目の案内を眺めた。
社会、美術、保健体育、技術、家庭、音楽、情報。
さらに学校によっては、農業、水産、畜産まである。
どの科目を選ぶかによって、受験する高校や学科にも大きく影響する。
まだ中学1年生になったばかりだというのに、もう将来の進路について考えなければならない。
「高校受験って、もっと先の話じゃなかったっけ……」
主人公がつぶやくと、隣の女子は不思議そうな顔をした。
「もう受験まで3年もないよ?」
――まだ3年近くある、ではない。
この世界では、もう3年しかないのだ。
主人公はタブレットに表示された、高校1年生レベルの数学教材を見つめた。
どうやら、この世界の中学校生活は、主人公が想像していたよりもずっと大変そうだった。
そんなことを考えているうちに、昼になった。
待ちに待った給食の時間だ。
全校生徒が食堂に集まり、ここで給食を食べることになっているようだ。
今日の献立は洋食だった。
パンにコーンポタージュスープ、それにサラダ。
そこまでは、ごく普通に見えた。
しかし、運ばれてきたメイン料理を見た瞬間、主人公は目を疑った。
「……ステーキ?」
皿の上には、分厚いステーキが堂々と載っている。
しかも、それだけではない。
デザートには、きれいに切られたメロンまでついていた。
主人公はしばらく料理を眺めたあと、隣の生徒に尋ねた。
「なあ、ここの給食って、いつもこんなに豪華なの?」
すると、相手は不思議そうな顔をした。
「こんなの普通よ。明日はお寿司が出るわ」
「寿司!?」
「献立は1か月分、タブレットに載ってるわよ」
そう言われて、主人公は慌ててタブレットを開いた。
給食の献立表を確認する。
そこには、学校給食とは思えない料理の名前がずらりと並んでいた。
基本的には、肉料理の日と魚料理の日が交互になっているらしい。
肉料理の日には、ステーキ、ハンバーグ、鶏のから揚げ、すき焼き、とんかつ。
魚料理の日には、ぶりの照り焼き、キンメダイの煮つけ、刺身、寿司、サーモンのムニエル。
それぞれに、ご飯やパン、スープ、サラダ、副菜、デザートまでついている。
「……これ、本当に学校の給食か?」
思わず声が漏れた。
どう見ても普通の給食ではない。
毎日、レストランへ食事に来ているような献立だ。
しかも、豪華なのは見た目だけではなかった。
主人公は恐る恐るステーキを一口食べた。
「……うまっ」
肉は柔らかく、焼き加減もちょうどよかった。しかも、冷めることなく、焼きたてのように温かかった。
ソースもしっかり作り込まれており、付け合わせの野菜まで手抜きがない。
学校給食とは思えない味だった。
そこらのレストランで出されても、まったく不思議ではない。
主人公はステーキを食べながら、ふと転生前の学校を思い出した。
――転生前の給食じゃ、こんなの出なかったのにな。
ステーキはもちろん、刺身や寿司など、学校給食で見た記憶すらない。
そこで主人公は、もう1つ気になったことを尋ねた。
「ところで、給食費っていくらなんだ?」
すると、隣の生徒は、何を当たり前のことを聞いているのかという顔をした。
「給食費? そんなの無料に決まってるじゃない」
「……無料?」
主人公は思わず聞き返した。
「そうよ。国から給食用の補助金が出てるから、生徒は払わなくていいの」
「これが全部……無料?」
主人公は改めて、自分の前に並んだ料理を見た。
ステーキ。
コーンポタージュ。
サラダ。
パン。
そしてメロン。
明日は寿司。
その先の献立にも、とんかつ、刺身、すき焼き、キンメダイの煮つけといった料理が並んでいる。
それを、生徒は1円も払わずに食べられるという。
――この国、財政は大丈夫なのか?
今度は別の意味で心配になってきた。
これだけ豪華な給食を毎日提供し、その費用を国が負担している。
しかも、もしこの学校だけの特別待遇ではなく、全国の学校で同じ制度が行われているのだとしたら――。
必要になる予算は、相当な金額になるはずだ。
授業では最新のタブレットを1人1台使い、教育内容も前世よりはるかに進んでいる。
そのうえ、毎日の給食までこれほど豪華で無料。
――いったい、この国は子ども1人に年間いくら使ってるんだ?
主人公はそんな疑問を抱きながら、もう1切れステーキを口に運んだ。
「……でも、うまいな」
財政への心配とは裏腹に、ステーキはやはり驚くほどおいしかった。




