157話 ボスの改革
ボスは、涙を流していた。
「俺たちは……最初から、こんなことをするつもりじゃなかったんだぞ」
主人公は何も答えず、ただ黙ってボスを見つめていた。
「最初は交渉したんだ。俺たちが生きていくために、年間百万人を食料として提供してほしいってな」
ボスは、震える声で続けた。
「俺たちの種族は、人間しか食べることができない。しかも、六十歳を超えた人間は身体の老化が進んでいて、食料には適さない」
「だから地球側に頼んだんだ。毎年、百万人だけ提供してくれって」
ボスは拳を強く握りしめた。
「当時、この星には八十億人もいたんだぞ。八十億人のうち、たった百万人だ」
「だが、人類は拒否した」
――たとえ一人でも、人間を食料として差し出すことはできない。
「そう言われた」
ボスは、自嘲するように笑った。
「俺たちにとっては、生きるためにどうしても必要な食料だった。それでも人類は、絶対に認めようとしなかった」
そして、その表情が変わった。
「だから……仕方なく、この星を支配することにした」
主人公は何も言わない。
「支配してから、俺たちは人類について徹底的に調べた。そして、分かったんだ」
ボスは、ゆっくりと顔を上げた。
「このまま放っておけば、人類社会は千年も持たないってな」
「俺たちの寿命は八百年ほどある。俺たちから見れば、千年なんてほんのわずかな時間だ。それなのに、人類文明はすでに、あちこちで崩壊の兆候を見せていた」
出生率は下がり続け、人口減少が始まりつつあった。
地域によって多少の差はあったが、例えば、かつて日本と呼ばれていた地域では、出生率は1.15だった。
その水準が続いた場合、人口は100年後には約3分の1まで減少し、300年後には約100万人。そして800年後には、ほぼ0人になると試算された。
社会保障や年金制度を維持するため、現役世代には大きな負担がのしかかっていた。
環境破壊も進んでいた。
海では水産資源が減少し、地域によっては、食料や水の確保さえ問題になり始めていた。
「だから俺たちは、社会そのものを作り直すことにした」
ボスは語り続ける。
「まず、莫大な費用がかかっていた制度を整理した」
高齢者医療。
年金。
生活保護。
刑務所。
その他、巨額の費用を必要としていたさまざまな社会保障制度。
ボスたちは、それらを「文明を長期間維持するうえでの負担」と判断した。
そして、人類が長い年月をかけて築き上げてきた価値観など一切考慮せず、極端な政策を次々と実行していった。
高齢者。
重い病気を抱えた者。
障害のある者。
そうした人々を、社会から排除した。
働く能力がありながら、働こうとしない者もいた。
特に女性に多かった。
そこで生活保護制度を廃止し、原則としてすべての人間に労働を義務づける制度へと改めた。
それでも働こうとしない者は、社会から排除した。
犯罪者についても、刑務所へ長期間収容するのではなく、社会から排除する方針へと切り替えた。
「その結果、社会保障に必要だった金は大幅に減った」
「税金も安くなった」
主人公は眉をひそめる。
「……それを、本気で正しいと思ってるのか?」
「ああ」
ボスは即答した。
「俺たちの世界では、それが当たり前だった」
「そこまでしなければ、生き残れなかったんだ」
ボスは、さらに続ける。
「小学生の段階から選別も行った。素行に大きな問題のある子どもや、能力が著しく低いと判断された子どもも排除した」
「そういう者をそのままにしておけば、将来、社会に深刻な問題を引き起こしたり、能力が足りず、働くことすら難しくなったりする可能性がある」
「だから俺たちは、早い段階で排除することで、将来起こりうる社会問題を未然に防ごうとしたんだ」
さらに調査を続けると、別の問題も見つかった。
男女関係だった。
「当時の社会では、男女の対立もひどくなっていた」
「特に俺たちが問題だと思ったのは、人間同士の信頼関係が壊れかけていたことだ」
男女がお互いを警戒し、恋愛や結婚そのものを避ける者が増えていた。
一部では、身体に触れたことを巡るトラブルや、同意の有無を巡る争いを悪用し、金銭を要求する事件まで発生していた。
「もちろん、本当に被害を受けた者まで否定するつもりはない」
「だが、制度を悪用する者もいた」
ボスは吐き捨てるように言った。
「特にひどかったのは、痴漢を悪用した事件だ。男の手を無理やりつかんで自分の身体に触れさせ、そのあとで金を要求する者までいた」
「恋人や夫婦だったにもかかわらず、あとになって事実関係をねじ曲げ、相手から金を取ろうとする事件もあった」
「その結果、人間同士が互いを信用できなくなっていった」
そこで、ボスたちは制度を変更した。
単に身体へ触れたという事実だけでは処罰せず、暴力や強制、明確な被害が認められる場合を重く取り締まる仕組みに変えた。
さらに、結婚制度そのものにも介入した。
「結婚した以上、子どもを作ることを社会的な義務にした」
主人公は、思わず口を挟む。
「それは強制だろ」
「そうだ」
ボスは否定しなかった。
「だが、それをしなければ人口は減り続けた」
ボスたちが調べたところ、人類は恋愛や夫婦生活について、体系的な教育をほとんど行っていなかった。
多くの者が誰かから正しく教わることもなく、映像やインターネット上の断片的な情報だけを頼りに学んでいた。
「だから、男女ともに教育を受けさせることにした」
「特に男性には、子どもを作るための知識や、夫婦関係についての訓練を受けさせた」
浮気や不倫、夫婦間の不満を減らす目的もあった。
だが、問題はそれだけではなかった。
「男女平等を掲げながら、実際には男女に求められる役割が大きく違っていた」
「危険な仕事も男ばかりだった」
「戦争になれば、前線へ送られるのはほとんど男だった」
「しかも、俺たちを倒そうと攻撃を仕掛けてきた連中も、ほとんどが男だったぞ」
その結果、男女比は大きく崩れ、次第に生き残っているのは女性ばかりになっていった。
男女比は、男性一人に対して女性二人にまで偏った。
しかも、その後も男性の数は減少し続けた。
一方で、女性が結婚相手を選ぶ際には、
収入が高い。
知識がある。
背が高い。
社会的地位が高い。
そうした条件を求める傾向が強かった。
「人気のある一部の男に希望が集中して、他の男は誰からも選ばれない」
「逆に、一部の女性も、誰からも選ばれない」
「そんな状態なのに、『自由恋愛なのだから問題ない』と言い続けていた」
「結婚できない男女が増え、あえて結婚しない道を選ぶ者も少なくなかった」
ボスは首を振った。
「それでは人口を維持できない」
「実際、人口はどんどん減っていった。最盛期の三分の一以下にまで減少した」
そこで、男女の人口比を可能な限り均等に調整し、すべての人間が結婚するように社会制度を改めた。
さらに、恋人を作ることや結婚すること自体も義務化された。
一度、俺たちは人間社会を、自分たちの社会と同じように完全な男女平等へと作り替えたことがあった。
仕事も、兵役も、家庭での役割も、すべて男女まったく同じ条件にしたのだ。
男性と同じように女性も徴兵し、これまで男性が多かった職種にも積極的に女性を配置した。
しかし、これは思ったほどうまくいかなかった。
女性を男性と同じ条件で徴兵すると強い反発が起こり、男性の多かった職種へ強制的に配置した場合にも、不満や離職が相次いだ。
一方で、男性をこれまで女性が多かった職種へ配置しても、比較的大きな問題にはならなかった。
そこで宇宙人たちは、仕事だけではなく、家庭内での男女の役割についても調査することにした。
そして、二つの社会制度を比較する大規模な実験を行った。
一つは、仕事、家事、育児、生活まで、すべてを男女ほぼ同じ条件にする社会。
もう一つは、男性が仕事を主に担当し、女性が育児や家庭を主に担当する社会だった。
宇宙人たちが長期間にわたって出生数を比較したところ、彼らの実験では、後者の社会のほうが圧倒的に多くの子供が生まれるという結果になった。
その結果を見た俺たちは、一つの結論を出した。
「どうやら人間という種族は、何もかも男女同じにするより、ある程度役割を分担したほうが社会が安定するらしい」
こうして、完全な男女同一制度は見直された。
男性には勤務時間を長く設定し、仕事を中心とした生活を送ってもらう。
女性には、妊娠や出産、育児をしやすくするため、勤務時間を短縮できる特権が認めるようにした。
色々検討の結果、俺たちは、それを差別ではなく、人間という種族に合わせた「役割分担」だと考えたのだった。
「だが――今度は逆の問題が起きた」
「子どもが増えすぎたんだ」
主人公は思わず目を瞬かせる。
「減りすぎたと思ったら、今度は増えすぎたのかよ……」
「ああ」
人口増加を抑えるため出生数を制限したが、それでも子どもを作る家庭が相次いだ。
最終的には、人口を一定に維持するため、出産可能な人数を厳格に管理する制度まで導入された。
健康診断の際に避妊具の装着や取り外しを行い、社会全体の出生数を調整した。
「この星には、この星に適した人口がある」
「増えすぎても駄目だ。減りすぎても駄目だ」
「だから俺たちは、人口を一定に保つことにした」
さらに、土地制度にも手を加えた。
当時、貧富の格差は大きかった。
一部の富裕層が広大な土地や複数の住宅を所有する一方で、普通の家庭が十分な広さの住宅すら確保できない地域もあった。
特に都市部では、その傾向が顕著だった。
ボスたちはすべての土地と一部の不動産を接収し、国の管理下に置いた。
土地や不動産から得られる収入だけで生活していた者を排除し、労働を義務づけた。
そして土地や一部の不動産を人々へ貸し出し、そこで得られた収入を子育て支援や公共サービスへ回した。
「俺には理解できなかった」
ボスは主人公を見つめる。
「なぜ、今を生きている大多数の人間をもっと支援しない?」
「子どもを育てている家族」
「毎日働いている人間」
「学校へ通う子どもたち」
「そういう者たちに金を使ったほうが、社会全体を豊かにできる」
「俺たちはそう考えた」
そして、ボスは両腕を大きく広げた。
「結果を見ろ!」
「税金は安くなった!」
「食料にも困らない!」
「すべての子どもが学校へ行ける!」
「すべての人間に働く場所を与え、生活に困る者がいない社会を作った!」
「貧富の格差も以前より小さくなった!」
「戦争もなくなった!」
「宗教も統一し、宗教対立もなくした!」
「人口も安定した!」
「食料生産量も管理した!」
「環境破壊も止めた!」
ボスの声が震え始める。
「俺たちは――この文明が一万年以上続けられる社会を作ったんだぞ!」
「なのに……」
涙が、ぽたりと床へ落ちた。
「なぜ、お前たちは全部壊そうとする?」
主人公は答えられない。
「お前たち人間だって、牛や豚や鶏を食べてきただろう!」
「狭い場所で育て、短い一生を終わらせ、それを食料にしてきた!」
「俺たちから見れば、人間だって同じだった!」
ボスは叫んだ。
「最初は俺たちも、人間を家畜として飼育することを考えた!」
主人公の表情が強張る。
「だが……やめたんだ」
ボスの声が、急に弱くなった。
「そんなことをすれば、人間は俺たちを永遠に憎む」
「だから考えた」
「人間にも豊かな暮らしを与える」
「食料も与える」
「住居も与える」
「教育も仕事も与える」
「戦争のない社会を作る」
「そして俺たちは、生きるために必要な分だけ食料を得る」
ボスは震える声で言った。
「それなら……お互いに利益がある」
「俺たちは、本気で共存共栄できると思ったんだ」
主人公は強く拳を握りしめた。
――そんなものを、本当に共存共栄と呼べるのか。
主人公には、到底納得できなかった。
人間を食料として扱っている時点で、受け入れられるはずがない。
しかも彼らは、人間の自由を奪った。
恋愛も。
結婚も。
子どもを作るかどうかも。
働き方も。
生き方さえも。
そして、自分たちの基準で「生きる価値のある者」と「そうでない者」を選別してきた。
それを平和と呼べるのか。
それを幸福と呼べるのか。
しかし――。
目の前にいるボスは、本気だった。
「俺たちは……故郷を失った」
ボスの声がかすれた。
「俺たちの星は滅ぼされた」
「家族も、仲間も……みんな死んだ」
「生き残った俺たちは、宇宙を逃げ続けた」
「食料もなくなった」
「何百年もさまよって……ようやく、この星を見つけた」
涙が次々とこぼれ落ちる。
「だから今度こそ、同じ失敗をしたくなかった」
「俺たちは、食料さえ確保して生活できれば、それでよかったんだ」
「人類を滅ぼしたかったわけじゃない」
「むしろ……ずっと存続してほしかった」
ボスは主人公を睨みつけた。
だが、その目に宿っているのは怒りだけではなかった。
深い悲しみだった。
「なのに……」
「お前は俺たちの世界を壊した」
「俺たちが何百年もかけて築いた社会を壊した」
「そして――」
声が震える。
「俺たちの家族を殺した」
「俺の仲間を殺した」
「子どもたちまで殺した」
「何も知らず、何もしていなかった者まで……全部だ!」
ついに、ボスはその場に膝をついた。
「俺たちが……何をしたっていうんだ……」
「ただ、生きたかっただけなのに……」
「故郷を失って……家族を失って……」
「ようやく見つけた新しい世界だったのに……」
大粒の涙が床へ落ちる。
「俺たちは……共存したかっただけなんだ……」
ボスは子どものように、大声を上げて泣いていた。
主人公は何も言えなかった。
ボスたちのやったことを、正しいとは思えない。
人間を食料として扱った。
自由を奪った。
恋愛や結婚、生き方まで管理した。
そして、自分たちの基準に合わない人間を排除し、命の価値まで勝手に決めた。
到底、許せるものではない。
それでも――。
主人公は初めて気づいてしまった。
自分が戦ってきた「悪」にも、
守りたかった家族がいて、
失いたくない故郷があって、
生き延びたいという願いがあって、
そして――
自分たちなりの「正義」があったのだと。
正義と正義がぶつかったのではない。
どちらも、自分たちが生き残るために戦っていただけなのかもしれない。
主人公は何も答えられず、
ただ黙って、その場に立ち尽くしていた。




