142話 女性に転生した。
目を開けた。
最初に見えたのは、真っ白な天井だった。
しばらくぼんやりとそれを眺めていたが、やがてここが自分の部屋ではないことに気づき、ゆっくりと上体を起こした。
「……ここ、どこだ?」
どうやら俺は、ベッドの上で眠っていたらしい。
周囲を見回す。
部屋の広さは六畳ほど。
白い壁に白い床。窓はなく、天井には病院で見かけるようなLEDが埋め込まれている。
ベッドも一般家庭にあるようなものではなかった。
金属製の柵がついた、いかにも病院や施設で使われていそうなものだ。
壁には小さな棚と鏡。
さらに部屋の隅には、仕切りのついたトイレと小さな洗面台まで設置されていた。
まるで病室だった。
いや、それにしては妙だ。
ナースコールもなければ、窓もない。
時計すら置かれていない。
病院というより、どこかの隔離施設の個室と言ったほうが近いかもしれなかった。
「なんなんだよ、ここ……」
ベッドから降りようとして、そこで初めて自分の格好に気づいた。
「……は?」
服を着ていない。
身につけているのは、女性用らしい下着だけだった。
「なんで……?」
慌てて身体を隠しながら、部屋の中を見回す。
ベッドの下にも、棚の中にも、着替えらしきものは見当たらなかった。
そのとき、壁に設置されている鏡が目に入った。
何気なく顔を向ける。
「……え?」
そこに映っていたのは、見知らぬ女性だった。
短く整えられた髪。
整った顔立ち。
しかも女性にしては、かなり背が高い。
俺はその場で固まった。
鏡の中の女性も、同じように固まっている。
「……俺?」
恐る恐る頬に触れる。
鏡の中の女性も、まったく同じ動きをした。
間違いない。
鏡に映っているのは、自分だった。
「嘘だろ……」
震える手で、自分の身体を確認する。
以前とは何もかもが違っていた。
胸元も、身体全体のつくりも、明らかに女性のものになっている。
そして、一番気になっていた部分を確認した。
「……ない」
あるはずだったものが、なくなっていた。
代わりにあるのは、どう見ても女性の身体だった。
「ちょっと待てよ……」
まだ信じられない。
俺はふらつくようにトイレへ向かい、そこで改めて自分の身体を確認した。
だが、何度確認しても結果は変わらない。
俺は完全に女性の身体になっていた。
洗面台に両手をつき、鏡の中の自分を見つめる。
「なんで……俺、女になってるんだ?」
考えても答えなど出るはずがなかった。
そもそも、どうしてこんな場所にいるのかすら分からない。
まずは誰かを探そう。
そう思い、俺は部屋の扉へ向かった。
病院の個室にあるような、無機質な白い扉だった。
取っ手を握り、回す。
ガチャ。
「……あれ?」
開かない。
もう一度力を込める。
だが、やはりびくともしなかった。
鍵がかかっている。
窓はない。
電話もない。
ナースコールもない。
出口は、目の前にあるこの扉だけ。
知らない施設。
知らない身体。
しかも、女性用の下着しか身につけていない状態で、俺は完全に閉じ込められていた。
「冗談じゃないぞ……」
しばらくすると、扉の向こうから電子音のようなものが鳴った。
直後、カチャリという音がする。
今までびくともしなかった扉が、ゆっくりと開いた。
「……っ!」
思わず身構える。
だが、入ってきたのは人間ではなかった。
黒ずんだ肌。
異様に細長い手足。
口元からは獣のような牙がのぞき、ぎらつく目がこちらを見つめている。
ひと目で分かった。
――魔物だ。
俺は反射的に後ずさった。
そんな俺を見て、魔物はにやりと笑った。
「目覚めたか」
低く濁った声だった。
魔物はゆっくりと部屋の中へ入り、まるでこちらの反応を楽しむように言葉を続けた。
「生まれ変わった気分はどうだ?」
その一言に、俺の背筋が凍った。
生まれ変わった。
つまり、こいつは俺が転生したことを知っている。
なぜだ。
どうして、そんなことまで分かる。
頭の中が一気に混乱する。
だが、ここで動揺を見せるのは危険だと直感した。
俺はできるだけ平静を装い、曖昧に答える。
「……何のことか、よく分からない」
魔物はくつくつと喉を鳴らした。
「そうかそうか。まあいい」
まるで、すべて見透かしているような口ぶりだった。
「気分はいいか?」
「……悪くは、ない」
警戒しながら答えると、魔物は満足そうにうなずいた。
「それは良かったな」
その態度が、不気味でたまらない。
魔物は扉のほうへ振り返りながら、軽い調子で言った。
「着替えと食事を持ってきてやる。今は大人しくしていろ」
そう言い残し、魔物はいったん部屋を出ていった。
扉は再び閉まり、部屋の中に静寂が戻る。
「……なんなんだよ、ここ」
小さくつぶやいても、答えは返ってこなかった。
しばらくして、再び扉が開いた。
先ほどの魔物が、今度は食事の乗ったトレーと、衣類の入った箱を持って入ってくる。
食事は、意外にもまともだった。
湯気の立つスープ。
焼きたてのパン。
彩りのいいサラダ。
それに肉料理まである。
こんな状況だというのに腹は空いていた。
警戒しながら口をつけてみると、驚くほど味が良かった。
「……うまい」
思わず本音が漏れる。
魔物はその様子を見て、また笑った。
「口に合ったようで何よりだ」
食事を終えたあと、俺は置かれた着替えへ目を向けた。
箱の中に入っていたのは、見覚えのあるような服だった。
紺色のセーラー服。
白い体操服。
そして、紺色のブルマ。
「……は?」
思わず固まる。
俺が顔を引きつらせていると、魔物は楽しそうに肩を揺らした。
「これからは、それを着て生活してもらう」
「どういうことだよ……」
思わず魔物をにらみつける。
すると魔物は、口元を大きく歪めて笑った。
「どういうことも何も、そのままの意味だ」
そして、箱の中身を見下ろしながら、愉快そうに続ける。
「お前はこれから、新しい生活を始めるんだ。この姿でな」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
新しい生活。
この知らない場所で。
この知らない身体で。
しかも、目の前の魔物に管理されながら。
「安心しろ」
魔物は、俺の不安を面白がるように言った。
「すぐに慣れるさ」
そう言って、また笑った。
その笑い声は、狭い部屋の中にいつまでも嫌な響きを残した。
それから少しして、俺は魔物に尋ねた。
「なあ……俺は、いつになったらここから出られるんだ?」
魔物は少し考えるように首を傾けた。
「それは人によって違うからな」
「人によって?」
「ああ。早い奴もいれば、時間のかかる奴もいる」
「じゃあ、俺は?」
「さあな。それはまだ分からん」
「なんだよ、それ……」
それ以上聞いても、魔物は教えてくれなかった。
結局、俺はしばらくの間、この部屋で生活することになった。
部屋には一つだけ、壁に埋め込まれたディスプレイがあった。
そこでは朝から晩まで、女性としての過ごし方やマナー、言葉遣いを教える映像が延々と流れていた。
電源を切ることもできない。時間はディスプレイに表示されていた。
最初は無視していたが、本もテレビもなく、ほかにすることがない。
「……暇だし、見るしかないか」
結局、毎日のように眺めているうちに、内容まで少しずつ覚えてしまった。
だが、不思議なことに待遇は悪くなかった。
食事は毎日きちんと用意された。
朝、昼、晩と、決まった頃になると魔物が部屋へ運んできてくれる。
料理も毎回違い、味も悪くない。
むしろ、かなり美味しかった。
風呂にも定期的に入れてもらえた。
そのときだけは部屋の外へ連れ出されたが、当然ながら魔物が付き添っていた。
さらに、髪まできれいに整えてもらえた。
伸びてきた部分を切りそろえられ、洗髪までしてもらう。
鏡を見るたび、そこには以前よりも整った女性の姿が映るようになっていった。
「監禁されてるはずなんだけどな……」
食事は出る。
風呂にも入れる。
髪まで整えてもらえる。
まさに至れり尽くせりだった。
ただし、自由だけはなかった。
部屋の扉は常に施錠されている。
勝手に外へ出ることはできない。
時計は表示されるものの、日付は表示されないため、どれくらいの日数が経ったのかさえ分からなくなっていた。
そんな生活がしばらく続いた、ある日のことだった。
朝、目を覚ますと、下腹部に重い痛みを感じた。
「……来たか」
確認すると、やはり生理だった。
前世でも経験しているため、それ自体に驚きはない。
ただ、今回の身体は以前よりも症状が重かった。
腹痛だけでなく腰も重く、身体には強いだるさがある。出血量も多く、起き上がるのさえ少しつらかった。
「この身体、生理重いな……」
俺は腹を押さえながら、ベッドへ横になった。
しばらくすると、いつものように魔物が部屋へやってきた。
俺の様子を見るなり、首を傾げる。
「どうした?」
「生理。しかも結構重い」
その瞬間、魔物の表情が一変した。
「おお!」
突然、嬉しそうな声を上げる。
「……なんで喜んでるんだよ」
魔物は俺を見ながら、満足そうに何度もうなずいた。
「そうか。ついに来たか」
「ついに?」
その言い方が妙に引っかかった。
まるで、ずっとこれを待っていたようだった。
そして魔物は、心底嬉しそうな表情を浮かべて言った。
「これで、ここから出られるな」
「……え?」
俺は思わず身を起こした。
「今、なんて言った?」
「ここから出られると言ったんだ」
「本当に?」
「ああ」
俺は少し考えてから尋ねる。
「もしかして……生理が来ることが、ここから出る条件だったのか?」
魔物は答えなかった。
ただ、にやりと意味ありげに笑う。
どうやら、この身体が女性として十分に成長するのを待っていたらしい。
「なんなんだよ、それ……」
理由は分からない。
だが、ようやくこの部屋から出られる。
そのことだけは間違いなかった。




