14話 転生後初めての外出 この世界では物価が安かった
記憶を失ってから、初めて家族と外出することになった。
行き先は、家から少し離れた場所にある大型ショッピングセンターだった。
父と母、それから弟と主人公の四人で車に乗り込む。
ところが、運転席に座った父は、ハンドルを握ろうとしなかった。
「お父さん、運転しないの?」
主人公が尋ねると、父は不思議そうな顔をした。
「運転? 行き先を入力するだけだぞ」
父が車内の画面にショッピングセンターの名前を入力する。
すると、車は音もなく動き始めた。
ハンドルが勝手に回り、交差点では自動で停止する。歩行者がいれば速度を落とし、前を走る車との距離まで自動で調整していた。
父は運転席に座っているというのに、前方を気にする様子もなく、母と普通に会話をしている。
「完全自動運転だから、寝てても着くわよ」
母は当たり前のように言った。
「寝ててもいいの!?」
「いいに決まってるじゃない。危ないから、走行中に人間が勝手に操作しちゃ駄目よ」
「そっちが危ない扱いなのか……」
前の世界とは、危険の基準まで逆になっているらしい。
しばらく走っていると、主人公は窓の外を眺めながら、別の違和感を覚えた。
道路が異様なほど整っている。
曲がりくねった細い道はほとんどなく、広い道路が一直線に伸びていた。住宅街もきれいに区画整理され、建物まで一定の間隔で並んでいる。
電柱も見当たらない。
古びた建物や、無理やり増築したような家もない。
「……ずいぶん、きれいな街だな」
前の世界では、ここまで整然とした街並みをつくるのは簡単ではなかったはずだ。
道路を広げようとすれば、土地の買収だけでも大変だった。
それなのに、この街には、そうした苦労の跡がまるで見当たらない。
少し気になったが、今の主人公には判断するだけの材料がなかった。
やがて、車はショッピングセンターの駐車場へ入った。
父は何もしない。
車が自分で空いている場所を探し、そのままきれいに駐車する。
「……駐車まで自動なんだ」
「当たり前じゃない」
母にそう言われてしまった。
どうやら、この世界では主人公が驚くことのほうがおかしいらしい。
ショッピングセンターは、とにかく巨大だった。
スーパーだけでなく、洋服店、家電量販店、飲食店、映画館、さらには屋内型の遊園施設まで入っている。
入口へ向かうと、改札のような透明なゲートがいくつも並んでいた。
ほかの客たちは、ゲート横の端末へ手のひらをかざし、次々と中へ入っていく。
主人公は思わず立ち止まった。
「何してるの?」
母が振り返る。
「ここに手をかざすのよ」
「手を?」
言われたとおり、端末へ手のひらを近づける。
ピッ。
小さな電子音が鳴り、目の前のゲートが開いた。
「……今、何を読み取ったの?」
「手の中のチップよ」
母は何でもないことのように答えた。
「チップ?」
「生まれたときに、みんな手のひらに入れるの。本人確認とか、買い物の支払いとか、いろいろ使うのよ」
主人公は思わず自分の手のひらを見つめた。
傷跡らしいものはない。
だが、この皮膚の下には、主人公の知らない機械が埋め込まれているらしい。
「じゃあ……財布はいらないの?」
「財布?」
母が首をかしげた。
「現金だよ。お札とか、小銭とか」
「げんきん……?」
まるで聞き慣れない外国語を耳にしたような顔だった。
父と弟も顔を見合わせている。
どうやら、本当に知らないらしい。
母は少し考えてから答えた。
「よく分からないけど、買い物なら全部、手のひらで払うわよ」
スーパーでは、商品をかごへ入れるだけだった。
店内のあらゆる場所にAIカメラとセンサーが設置されており、誰がどの商品をかごに入れたのか、自動で判別できる仕組みになっているらしい。
店を出るときに手のひらを端末へかざせば、購入した商品が自動的に確定され、代金もそのまま口座から引き落とされる。
つまり――。
「レジがない……」
店内を見回しても、前の世界にあったようなレジはどこにもなかった。
「でも、ごくたまに商品を読み間違えることがあるのよ」
母が出口付近を指さした。
そこには、何台ものタブレット端末が並んでいる。
「だから、店を出る前に明細を確認するのがマナーなの」
「結局、人間が確認するんだ……」
機械が自動で会計してくれるのに、その機械の間違いを人間が確認する。
便利なのか面倒なのか、よく分からない。
さらに店内を歩いていると、主人公は別の意味でも驚かされた。
売られている商品も、以前の世界とは少し違っていた。
肉や魚は、丈夫なプラスチック製のトレイに入れられ、その上からラップがかけられている。
飲み物も、ほとんどが瓶か、厚みのある丈夫なプラスチック容器に入っていた。
それだけではない。
惣菜や調味料など、ほかの商品も、多くが繰り返し使えそうな丈夫な容器に入れられて販売されている。
主人公は不思議に思い、母に尋ねた。
「お母さん、どうしてどの商品も、こんなに丈夫な容器に入ってるの?」
すると、母は当たり前のことのように答えた。
「使い終わったら、全部お店に返すのよ」
「返すの?」
「そう。買ったお店に容器を返すと、商品代金の二割くらいが戻ってくるの」
「へえ……」
「回収された容器は、洗浄して消毒したあと、また使われるの。そうやって、できるだけゴミを出さないようにしているのよ」
主人公は、手に取った丈夫な容器を見つめた。
この世界では、商品を買って終わりではない。
容器まで回収し、何度も繰り返し使うことが当たり前になっているようだった。
そして、もう一つ驚いたのが商品の値段だった。
前の世界と比べて、信じられないほど安いのだ。
卵は一パック百円。
キャベツは一玉五十円。
そして精肉売り場へ行くと――。
「……え?」
主人公は思わず足を止めた。
高級和牛。
百グラム――三百円。
値札を見間違えたのかと思い、もう一度確認する。
やはり三百円だった。
「これ、本当に高級和牛なの?」
「そうよ」
母が値札を見る。
「あら、今日は少し高いわね」
「これで高いの!?」
思わず声が大きくなった。
これで高いというのなら、安い日は一体いくらなのだろう。
ほかの商品も同じだった。
野菜も肉も魚も、前の世界の感覚からすれば異常なほど安い。
主人公が値札を何度も確認していると、母が笑った。
「そんなに珍しい?」
「いや……安すぎない?」
「ああ、それなら、生産者に国からいろいろ援助が出てるからよ」
「国が?」
「農業や畜産業みたいな、食料に関わる産業には国もかなり力を入れているの。手厚い補助が出ているから、私たちも食料を安く買えるのよ」
「へえ……」
そこまで国が負担しているのか。
しかも、商品の表示価格が、そのまま支払う金額らしい。
そこで主人公は、もう一つの疑問を口にした。
「消費税は?」
家族全員がきょとんとした。
「消費税って何?」
母に聞き返され、主人公は言葉を失った。
「だから、買い物するときに商品の値段に上乗せされる税金」
「買い物に税金がかかるの?」
「……かからないの?」
「そんなの聞いたことないわよ」
父も弟もうなずいている。
どうやら、この世界には少なくとも消費税というものは存在しないらしい。
主人公は急に不安になった。
生産者への大量の補助。
異常なほど安い食料品。
そして、消費税なし。
「……この国、財政大丈夫なのか?」
「何の話?」
「いや、何でもない……」
完全自動運転。
手のひらに埋め込まれたチップ。
無人会計。
安すぎる物価。
消費税のない社会。
前の世界よりも、はるかに便利で豊かな世界に見えた。
――ここまでなら、主人公はそう思っていた。
しかし。
店内を歩いているうちに、主人公は奇妙なことに気づいた。
買い物客は大勢いる。
小さな子どもを連れた夫婦。
制服姿の学生。
若い男女。
父や母と同じくらいの年齢の人もいる。
それなのに――。
主人公は周囲を見回した。
もう一度、見回す。
どこにもいない。
「ねえ、お母さん」
「どうしたの?」
「お年寄りは、どこにいるの?」
母の足が、一瞬だけ止まった。
「……お年寄り?」
「おじいさんとか、おばあさんとか。杖をついてる人とか、白髪の人とか」
主人公は改めて周囲を見渡した。
これだけ巨大なショッピングセンターだ。
何百人、いや、それ以上の客がいる。
なのに、一人もいない。
考えてみれば――。
記憶を失って目覚めてから、主人公は一度も高齢者を見ていなかった。
家の近所にもいない。
病院にもいなかった。
テレビにも映っていなかった。
そして、これほど大勢の人間が集まる場所にも、一人もいない。
偶然で片づけるには、あまりにも不自然だった。
母は少し困ったように笑った。
「そんなこと、気にしなくていいのよ」
「でも、どうして一人もいないの?」
「……」
「お母さん?」
母は答えなかった。
代わりに、棚から卵を一パック取って、かごへ入れる。
「さあ、次は夕食のお肉を選びましょう」
明らかに話をそらされた。
主人公は父を見る。
父は視線をそらした。
弟を見る。
弟も主人公と目を合わせようとしない。
「……何なんだよ」
誰も答えない。
明るい音楽が流れる店内。
楽しそうに笑う家族連れ。
きれいに整備された街。
何でも自動で動く車。
安く手に入る食料。
財布すら必要のない生活。
争いも貧困もなさそうな、便利で豊かな世界。
けれど――。
老人が、一人もいない。
その理由を尋ねただけで、家族全員が口を閉ざした。
その瞬間、主人公は初めて思った。
この世界には――。
誰も触れようとしない秘密があるのかもしれない、と。




