137話 神の世界に侵入する(1)
主人公は、それからも何度となく神の領域周辺を飛んだ。
もちろん、飛行禁止区域には入らない。
軍の規則を守りながら、そのギリギリの外側を飛び、上空から少しずつ地形を観察していった。
そして、あることに気づいた。
神の領域を囲む巨大な外壁。
それはほぼ全周にわたって続いていたが、何か所か――
壁が存在しない場所があった。
最初に見つけたとき、主人公は驚いた。
「……壁が切れてる?」
だが、さらによく見ると理由が分かった。
そこには壁など必要なかったのだ。
代わりにそびえていたのは、巨大な山脈だった。
標高は低い場所でも二千メートル。
高い峰では三千メートルを超えている。
しかも穏やかな山ではない。
切り立った岩壁。
深い谷。
急斜面。
雪が残る峰。
上空から見ても分かるほど険しい。
主人公は思った。
「天然の要塞か……」
人工的な壁を造る必要すらないほどの地形だった。
地上から侵入しようとすれば、普通の人間ならまず諦める。
だからこそ主人公は逆に気になった。
航空機から何度も観察しているうちに、もう一つの特徴にも気づいた。
壁のある地域には、監視施設らしき建物が点々と存在する。
道路もある。
巡回する車両らしきものも見える。
だが山岳地帯には――
ほとんど何もなかった。
主人公は思わず考え込んだ。
「……もしかして、ここだけ警備が薄いんじゃないか?」
もちろん断定はできない。
山そのものが侵入者を防ぐ前提なのかもしれない。
だから人員を置く必要がない。
そう考えれば自然だった。
主人公の中で、一つの計画が生まれ始めた。
空からはこれ以上近づけない。
ならば――
地上から山を越える。
だが、主人公はすぐに行動には移さなかった。
三千メートル級の山を軽い気持ちで越えられるとは思っていない。
主人公には登山経験などほとんどなかった。
「今のまま行ったら、神に会う前に山で死ぬな……」
自分で考えて、自分で突っ込んだ。
そこで主人公は、まず登山の訓練を始めた。
休日になると山へ向かった。
最初は低い山からだった。
数百メートル級。
次に千メートル級。
そこから徐々に高度を上げていく。
登山靴を履き、荷物を背負い、長時間歩く。
最初のころは散々だった。
「はぁ……はぁ……」
少し登っただけで息が上がる。
軍の体力訓練には慣れていたが、山はまったく別物だった。
平地と違い、一歩一歩で足を持ち上げなければならない。
足場も安定しない。
下りでは膝に負担がかかる。
翌日。
主人公は宿舎のベッドから起き上がろうとして――
「痛っ!」
全身が筋肉痛だった。
「戦闘訓練よりキツいじゃないか……」
それでも続けた。
登山経験者から歩き方を学び、地図の読み方も覚えた。
天候の変化。
高所での体調管理。
岩場での移動。
荷物の重量配分。
主人公は一つ一つ身につけていった。
半年ほど経つころには、かなり険しい山でも長時間行動できるようになっていた。
そして同時に、装備も少しずつ揃えた。
登山靴。
防寒着。
雨具。
手袋。
ヘッドライト。
寝袋。
小型テント。
水。
保存食。
救急用品。
予備バッテリー。
地図端末。
必要なものをリスト化し、少しずつ準備していった。
ただし、軍用品は使わなかった。
軍の装備を持ち出せば記録が残る可能性がある。
主人公はできるだけ一般向けの登山用品だけを使うことにした。
そして、ついに準備が整った。
休暇を取った主人公は、一人で山岳地帯へ向かった。
表向きの目的は登山。
実際、主人公はこれまで何度も山へ行っていたため、周囲から不自然に思われることもなかった。
早朝。
まだ薄暗い中、主人公は登山口に立った。
遠くには巨大な山脈がそびえている。
あの向こう側。
そこが神の領域だ。
主人公は背負ったリュックの肩紐を締め直した。
「空から見られるところまでは見た」
そして山を見る。
「今度は……自分の足で確かめる」
歩き始めた。
最初は普通の登山道だった。
だが奥へ進むにつれて、人の姿は少なくなっていった。
やがて道も細くなる。
さらに進む。
数時間後。
主人公は立ち止まった。
端末に表示された地図を見る。
ここから先。
一般的な登山ルートは別方向へ曲がっている。
しかし神の領域へ近づくには、登山道を外れてさらに奥へ進まなければならない。
主人公は周囲を確認した。
誰もいない。
静かな森。
聞こえるのは風と鳥の声だけ。
主人公はゆっくりと登山道から外れた。
ここから先は未知の領域だった。
上空から何度も見た山。
だが、地上から見るとまるで別物だった。
巨大な岩壁が行く手を塞ぐ。
深い谷がある。
傾斜も想像以上だった。
主人公は思った。
「そりゃ壁を造らないわけだ……」
天然の壁のほうが、人工の壁よりよほど強力だった。
それでも主人公は進んだ。
一日目。
二日目。
徐々に標高が上がっていく。
気温も下がる。
周囲の木々も減り、岩だらけの風景へと変わっていった。
そして三日目。
主人公は尾根の上に出た。
強い風が吹いていた。
主人公は岩陰に身を寄せながら、反対側を見る。
その瞬間。
主人公の表情が変わった。
山の向こう側。
遠く下の谷間に――
何かが見えた。
人工物だった。
非常に小さい。
だが自然のものではない。
主人公は双眼鏡を取り出す。
「……建物?」
山の奥深く。
本来なら何もないはずの場所に、小さな建物がいくつか並んでいる。
さらに細い道らしきものも見える。
主人公の心臓が速くなった。
「やっぱり……こっち側にも何かある」
つまり完全な無人地帯ではなかった。
しかし同時に主人公は気づいた。
外壁沿いにあったような大規模な監視施設ではない。
見張り台らしきものも少ない。
車両もほとんど見えない。
主人公の推測は、完全な間違いではなかった。
山岳地帯は――
少なくとも他の場所よりは警備が薄い可能性が高い。
主人公は岩陰からその光景をじっと見つめた。
神の領域。
これまで空から眺めることしかできなかった場所。
その境界を、主人公はついに自分の足で越えようとしていた。
「ここから先が……本番だな」
主人公は再び荷物を背負った。
そして慎重に、山の反対側へと下り始めた。




