135話 神の領域を上空から探る。
主人公は空軍に入隊すると、パイロットを志望した。
理由は、ただ一つ。
少しでも高い場所から、神の領域の全容を探るためだった。
地上から近づくのは難しい。
神の領域の周囲には巨大な壁が築かれており、一般人はもちろん、軍人であっても許可なく接近することはできない。
だが、航空機なら話は別だった。
もちろん、神の領域そのものの上空は飛行禁止区域に指定されている。
しかし、その周辺空域までなら、訓練飛行や警戒任務で接近することができる。
主人公は、そこに目をつけた。
「だったら……パイロットになるしかない」
そう決めた。
しかし、実際に入隊してみると、主人公は少し驚いた。
今の軍隊は、長い平和の中にあった。
戦争もない。
大規模な紛争もない。
軍が実戦に投入された記録も、何十年も前のものばかりだった。
そのためか、訓練に参加している兵士たちにも、どこかのんびりとした空気が漂っていた。
「今日の訓練、早く終わらないかな」
「終わったら食堂行こうぜ」
「明日は休みだろ?」
「あそこの男の子、女の子みたいでかわいいな」
「…………」
そんな会話が、あちこちから聞こえてくる。
しかも、通常の勤務時間は一日八時間。
大規模な演習でもない限り、ほとんど定時に帰宅することができた。
もちろん当番はあり、ローテーションで夜勤に入ることもある。
それでも、前世の感覚でいえば、かなりのホワイトな職場だった。
主人公は軍隊というものに、泊まり込みの訓練や厳しい勤務が続く、もっと過酷な場所というイメージを抱いていた。
それだけに、少し拍子抜けしてしまった。
もちろん、全員が不真面目というわけではない。
訓練そのものは、きちんと行われていた。
それでも主人公には、どうしても緊張感が足りないように思えた。
教官ですら、
「まあ、今の時代に本当に空中戦なんて起きないだろうけどな」
と、冗談交じりに話すほどだった。
だが、主人公だけは違った。
主人公には、どうしても成し遂げなければならない目的があった。
神の領域。
そこに何があるのか。
なぜ人間がそこへ送られるのか。
そして、前世で自分が見たものは、いったい何だったのか。
それを確かめなければならない。
だからこそ、主人公は訓練にも一切手を抜かなかった。
航空力学。
気象学。
航法。
通信。
航空機の構造。
緊急時の対応。
主人公は、寝る時間を削ってまで勉強した。
飛行訓練にも、教官が驚くほど真剣に取り組んだ。
「もっと高度を維持しろ!」
「はい!」
「旋回が遅い!」
「もう一度お願いします!」
「おまえ、本当に熱心だな。それに、かわいい顔して根性もある」
失敗すれば原因を記録し、家へ戻ってから何度も復習した。
その様子を見た周囲からは、
「お前、そんなに本気でパイロットになりたいのか?」
と、呆れられることもあった。
主人公は、いつも笑ってごまかした。
「まあね」
本当の理由など、話せるはずがなかった。
そもそも、ここまで本気で軍のパイロットを目指している者は、主人公くらいだった。
純粋に飛行機が好きな者の多くは、待遇がよく、自由度も高い民間航空会社を目指す。
わざわざ軍用機の操縦士になろうとする者は、それほど多くなかった。
そんな中で、主人公だけが異様なほど熱心に訓練を続けていた。
やがて主人公は、厳しい訓練課程を突破し、ついに軍用機のパイロットとなった。
そして数か月後。
ついに、待ち望んでいた機会がやってきた。
神の領域周辺を飛行する訓練任務である。
出発前のブリーフィングで、教官が大型画面に地図を表示した。
「この赤い区域には、絶対に入るな」
赤く示されているのは、神の領域だった。
「飛行禁止区域だ。理由は知っているな?」
隊員たちが一斉に答える。
「はい!」
主人公も、周囲に合わせて返事をした。
しかし、その目は地図に釘付けになっていた。
やがて、訓練飛行が始まった。
軍用機は基地を離れ、徐々に高度を上げていく。
雲を抜ける。
眼下には都市が広がり、その先には道路や森、川が見える。
そして――。
遠くに、巨大な壁が見えてきた。
主人公の心臓が大きく鳴る。
「……あれか」
無線に拾われないほどの小さな声で、そうつぶやいた。
近づくにつれて、その異様な姿がはっきりと見えてくる。
巨大な壁。
しかも、一枚ではない。
主人公は目を細めた。
「二重……?」
外側に巨大な壁。
そして、そのさらに内側にも、もう一つの壁がある。
神の領域は、二重の壁によって囲まれていた。
主人公は飛行を続けながら、可能な限り周囲の地形を頭に焼き付けていく。
山。
川。
谷。
そして、海岸線。
どれも見覚えがあった。
「やっぱり……」
前世で見た地形と、ほとんど同じだった。
都市そのものは大きく変化している。
道路も建物も、前世とはまるで違う。
だが、自然の地形はほとんど変わっていない。
つまり――。
前世の地図を利用できる可能性がある。
主人公の頭の中で、少しずつ情報がつながり始めた。
そして、何より気になったのが、二重の壁だった。
外壁と内壁の間には、かなり広い空間が存在している。
しかし、内壁の向こう側は、現在の飛行経路からではほとんど確認できなかった。
主人公は考える。
――外側は警戒区域。
――そして、内側が……。
「人間の収容区域……?」
前世で神の世界へ送られた人々。
彼らが暮らしていた場所。
おそらく、それが内壁の向こう側にある。
主人公は、確信に近いものを感じていた。
もっと見たい。
あと少し近づけば、何か分かるかもしれない。
だが、その瞬間――。
無線が入った。
『進路注意。飛行禁止区域まで残り十五キロ』
「了解」
主人公は悔しさを押し殺し、決められた航路に従って機体を旋回させた。
ここで規則を破れば、二度とこの空域を飛ばせてもらえなくなるかもしれない。
焦ってはいけない。
今は、少しずつ情報を集めることが最優先だ。
機体が神の領域から離れていく。
主人公は最後にもう一度だけ、その方向へ目を向けた。
二重の巨大な壁。
その向こうに、前世から続く謎が眠っている。
「いつか必ず……中を確認する」
この日の飛行で、主人公は初めて神の領域の構造を、自分の目で確認することができた。
そして、帰還後。
主人公は誰にも知られないよう、自分の端末に記憶した地形を書き起こしていった。
外壁。
内壁。
山。
川。
飛行禁止区域。
軍の監視地点。
一つ一つ、記憶を頼りに記録していく。
まだ分かったことは、ごくわずかだった。
それでも――。
前世では何も知らないまま送り込まれた神の領域に、今度は自分の意思で近づくことができた。
本当に少しずつではある。
だが主人公は、確実に神の領域の秘密へ近づき始めていた。
そして同時に――。
いつか神の領域へ踏み込む、その日のために。
主人公は密かに、神の領域へ至るための地図を作り始めていた。




