121話 金銭トレード
クラスで一番の金持ちとして知られる女子生徒が、あるカップルに突然、金銭トレードを申し込んだ。
狙われたのは彼女のほうではない。
彼氏のほうだった。
成績は学年上位。運動神経もよく、性格も真面目。さらに将来は医療系の上級職を目指している。
つまり――かなりの将来有望株だった。
ただし、一つ問題がある。
金持ちの女子生徒にも、すでに彼氏がいた。
つまり今回の交渉が成立すれば、彼女は現在の彼氏との関係を解消しなければならない。
昼休み。
金持ちの女子生徒は、獲得を狙っているカップルと、自分の現在の彼氏を空き教室へ呼び出した。
「単刀直入に言うわ。あなたの彼氏を私にトレードしてほしいの」
「……は?」
「……俺?」
「……じゃあ俺は?」
最後に声を上げたのは、金持ち女子の現在の彼氏だった。
彼女は何事もなかったように机の上へ端末を置いた。
《恋人移籍交渉》
《獲得希望:彼氏》
《現在の彼女への移籍補償金:三千万円》
《獲得対象本人への移籍金:三千万円》
《進学費用・医療費・住宅費:獲得側が全額負担》
そこまではよかった。
問題は、その下だった。
《獲得側・現彼氏との契約解除》
《現彼氏への契約解除補償金:二千万円》
現在の彼氏が画面を二度見した。
「待って」
「何?」
「俺、放出されること決定してる?」
「今回の獲得が成立した場合はね」
「俺をベンチ外の選手みたいに扱うな!」
一方、獲得対象の男子の現在の彼女は、じっと三千万円という数字を見つめていた。
「……これ、本当に三千万円?」
「本当よ。成立と同時に振り込むわ」
「税引き後?」
「そもそも、この国にはその種の税金がないから、そのまま三千万円よ」
彼女は静かに椅子へ座り直した。
「……話を聞きましょう」
「切り替えが早い!」
彼氏が叫んだ。
「お前、さっきまで怒ってたじゃないか!」
「怒っていたわよ。でも三千万円が私を冷静にしたの」
「俺たちの愛、三千万円で冷静になっちゃうの!?」
すると、金持ち女子の現在の彼氏も椅子を引いた。
「俺も話を聞こう」
「お前まで!?」
「だって俺にも二千万円出るんだろ?」
「自分が放出される条件を前向きに検討するな!」
金持ちの女子生徒は腕を組む。
「私は彼の将来性を高く評価しているの。今の成績を維持すれば、将来はかなりの収入が期待できるわ」
獲得対象の男子が眉をひそめた。
「俺を恋人じゃなくて投資商品として見てない?」
「失礼ね。恋人としても見ているわ」
「今、“も”って言った!」
「成長性、安定性、将来性。どれを見ても優良案件よ」
「完全に投資商品じゃないか!」
ところが、現在の彼女はもう端末を操作していた。
「食費も出るの?」
「出すわ」
「大学の学費は?」
「全額負担」
「病気になったら?」
「うちの系列病院で最高水準の治療を受けてもらう」
「なるほど……」
「なるほどじゃない!」
さらに、金持ち女子の現在の彼氏も手を挙げる。
「俺にも質問」
「どうぞ」
「俺との契約解除、本当に二千万円だけ?」
「現時点ではね」
「なるほど……」
彼は腕を組み、本気で考え始めた。
「そこ検討するところなの!?」
「だって俺、何も悪いことしてないのに彼女を失うんだぞ。金額は重要だろ」
「それは……まあ、そうだけど!」
一方、獲得対象の男子にも条件が提示された。
《本人同意条件》
《本人への移籍金:三千万円》
《毎月の恋人手当:十万円》
《成績優秀加算あり》
《誕生日特別報酬あり》
《浮気禁止》
男子が黙った。
「……毎月十万円?」
「ええ」
「成績優秀加算って?」
「定期試験で学年十位以内なら追加で五十万円」
男子は無言で椅子に座った。
「……話を聞こう」
「お前もか!」
今度は現在の彼女と、放出予定の彼氏が同時に叫んだ。
こうして、昼休みだけで終わるはずだった交渉は、そのまま放課後まで続いた。
現在の彼女側は移籍補償金の増額を要求。
獲得対象本人は移籍金の増額に加え、休日の自由時間、友人関係の継続などを要求した。
そして――。
金持ち女子の現在の彼氏も黙ってはいなかった。
「俺への補償金、二千万円じゃ少なくない?」
「なぜ?」
「俺、何も悪いことしてないよね?」
「そうね」
「浮気もしてない。喧嘩もほとんどしてない。成績も平均以上」
「ええ」
「なのに、もっと条件のいい男を見つけたから契約解除」
「言い方は悪いけど、そうなるわね」
「それ、完全に彼女都合の放出じゃん!」
教室が静まり返った。
彼は腕を組む。
「三千万円」
「二千五百万」
「三千万円」
「二千八百万」
「三千万」
「細かい攻防やめろ!」
獲得対象の男子が叫んだ。
数秒の沈黙のあと、金持ちの女子生徒がうなずく。
「分かったわ。三千万円」
「成立」
「成立するんだ!?」
さらに、現在の彼女も手を挙げた。
「私への補償は四千万円」
「三千五百万」
「彼は料理もできます。掃除も洗濯もできます」
「でも朝に弱いわ」
「そこは改善できます」
「目覚ましを三回止めるそうね」
「なぜ知ってる!?」
「確かに寝起きは悪いです。でも朝食を作らせれば優秀です」
「では家事能力で相殺しましょう」
「俺の能力を査定表みたいに計算するな!」
最終的に、現在の彼女への移籍補償金は四千万円となった。
すると、獲得対象本人も手を挙げる。
「俺からも要求があります」
「どうぞ」
「本人への移籍金も四千万円」
「強気に出た!」
「元の彼女に四千万払うなら、実際に移籍する俺にも四千万あっていいだろ」
金持ち女子は少し考えた。
「一理あるわね」
「認めるの!?」
「いいでしょう。四千万円まで出すわ」
男子は小さくガッツポーズした。
「よし!」
「自分がトレードされる話だぞ!」
三時間に及ぶ交渉の末。
ついに最終条件がまとまった。
《最終合意》
《元彼女への移籍補償金:四千万円》
《獲得対象本人への移籍金:四千万円》
《獲得側・元彼氏への契約解除補償金:三千万円》
《新彼氏への毎月の恋人手当:十万円》
《学年十位以内:成績優秀加算五十万円》
《進学費用・医療費・住宅費:全額負担》
《旧カップルは友人関係を継続可能》
《獲得側の旧カップルも友人関係を継続可能》
《クラス変更なし》
獲得対象の男子が画面を見つめる。
「……ちょっと待って」
「何?」
「合計一億一千万円動いてない?」
元彼女がうなずく。
「超大型トレードね」
放出予定の彼氏も腕を組む。
「歴史的移籍だな」
「お前ら当事者なのに楽しそうだな!」
四人は端末に指を置いた。
《本人確認完了》
《四者合意を確認しました》
《恋人トレードが正式に成立しました》
次の瞬間。
教室の大型画面に速報が表示された。
《恋愛移籍速報》
《クラス史上最大級の大型トレード成立》
《金持ち女子、医療系有望男子を獲得》
《総額一億一千万円》
《元彼女に四千万円》
《獲得対象本人に四千万円》
《契約解除となった元彼氏にも三千万円》
教室中が騒然となった。
「一億一千万!?」
「元彼女に四千万!」
「本人にも四千万!」
「放出された彼氏にも三千万!」
「完全に大型補強じゃん!」
「恋愛で補強って言うな!」
翌朝。
金持ちの女子生徒は、新しく彼氏になった男子と並んで教室へ入ってきた。
その瞬間、クラスメートたちが一斉に端末を向ける。
「新天地での意気込みをお願いします!」
「移籍の決め手は金銭面ですか!」
「元の彼女に対して一言!」
「記者会見じゃないんだぞ!」
そこへ元彼女も入ってきた。
「現在のお気持ちは?」
クラスメートに聞かれ、彼女は堂々と答える。
「もちろん寂しい気持ちはあります。でも彼には新天地でも頑張ってほしいです」
「おお……」
「立派だ……」
「それと、今朝四千万円の入金を確認しました」
「やっぱり金じゃないか!」
さらに後ろから、金持ち女子の元彼氏も入ってきた。
「放出された側としてのお気持ちは?」
「三千万円いただきましたし、条件には満足しています」
「彼女を失った感想がそれだけ!?」
「いや、寂しくないと言えば嘘になるけど……三千万円だからな」
「金の力が強すぎる!」
一方、金持ちの女子生徒は、新しい彼氏の肩に手を置いた。
「彼は将来、このクラスを代表する男性になるわ。今回の獲得は間違っていなかったと確信している」
「球団代表みたいに言うな!」
「まずは定期試験で学年五位以内を目指してもらうわ」
「もう育成方針まで決まってる!」
「将来的には医療系上級職への進学。そして長期的には結婚も視野に入れている」
「長期契約だった!」
新しい彼氏は疲れた顔でため息をついた。
「俺、恋人になったんだよな?」
友人が肩をたたく。
「たぶん」
「“たぶん”って何だよ!」
こうして――。
元彼女には四千万円。
獲得された彼氏には四千万円。
そして、放出された元彼氏にも三千万円。
総額一億一千万円が動いた、クラス史上最大級の恋人トレードは無事成立した。
――ところが、数週間後。
廊下で元彼女と、金持ち女子の元彼氏が偶然顔を合わせた。
「その後、どう?」
「普通。そっちは?」
「私も普通」
「新しい恋人は?」
「まだいないわ」
「俺も」
二人は少し沈黙した。
そして、元彼女が首をかしげる。
「……私たち二人とも、今回のトレードで恋人を失ったのよね」
「そうだな」
「しかも同じクラスに、元恋人同士の新しいカップルがいる」
「そうだな」
「……冷静に考えると、かなり変な状況よね」
「今さら気づいた?」
再び沈黙。
やがて元彼氏がぽつりと言った。
「だったらさ」
「何?」
「俺たちが付き合えば、一番早くない?」
「……え?」
「だって、お互い恋人いないだろ」
「まあ……そうだけど」
「相手の事情も知ってるし、今回の件で何度も話したし」
「確かに」
「それに、俺たち二人とも元恋人に対して恨みがあるわけでもない」
「そうね」
元彼女は少し考え込んだ。
そして、ふと思い出したように言う。
「……私、四千万円あるわよ」
「俺も三千万円ある」
「合わせて七千万円ね」
「そこを合算する必要ある?」
「将来を考えるなら重要でしょ」
「もう結婚後の資産まで計算してるの!?」
「で、どうするの?」
元彼氏はしばらく黙ってから笑った。
「じゃあ……付き合ってみる?」
「いいわよ」
「即決だな!」
「三時間のトレード交渉に比べれば早いほうよ」
「比較対象がおかしい!」
こうして――。
トレードによって恋人を失った二人が、今度は自分たちの意思で付き合うことになった。
結果だけ見れば、
元の二組のカップルが、相手を交換しただけである。
しかも一億一千万円まで動かして。
その事実を知ったクラスメートは、一言だけつぶやいた。
「……最初から普通に話し合えばよかったんじゃない?」
誰も反論できなかった。
そのころ教室では。
新しい彼氏が、定期試験の結果を金持ち女子へ提出していた。
彼女は端末の成績表を見る。
「学年十一位ね」
「……はい」
「惜しかったわ」
「はい……」
「学年十位以内ではないので、成績優秀加算五十万円はなし」
「うわあああああ!」
教室中に悲鳴が響いた。
友人が静かに彼の肩をたたく。
「頑張れ」
「何を?」
「次の契約査定」
「恋人関係で契約査定なんてしたくないよ!」




