105話 主人公の家族の大晦日
大晦日。
主人公の家では、朝から母親が忙しそうに料理の準備をしていた。
この地域には、大晦日の夜から正月三が日まで、家族そろって普段より豪華な料理を食べる文化がある。
台所からは、だしのいい香りが漂っていた。
主人公がのぞいてみると、テーブルの上には白菜、ねぎ、豆腐、しらたき、しいたけ。
どう見ても、すき焼きの準備だった。
しかし――。
「……あれ?」
主人公は首をかしげた。
「お母さん」
「なに?」
「肉は?」
母親は何でもないことのように答えた。
「もうすぐ来るわよ」
「来る?」
主人公は嫌な予感がした。
肉が自分で歩いて来るわけがない。
そして数分後。
ピンポーン。
家の呼び出しベルが鳴った。
「来たわね」
母親が嬉しそうに玄関へ向かう。
主人公も、何となくその後ろについていった。
玄関を開ける。
そこに立っていたのは――。
「こんばんは」
子ども家庭庁のお姉さんだった。
しかも、大きな保冷バッグを持っている。
主人公の顔が引きつった。
「……なんでいるの?」
「大晦日ですもの」
「理由になってない!」
そこへ父親もやってきた。
「いつもお世話になっております」
母親も笑顔で頭を下げる。
「本当に、いつもありがとうございます」
お姉さんも上品に微笑んだ。
「こちらこそ。いつもご協力ありがとうございます」
そして、手にしていた保冷バッグを持ち上げる。
「お肉、持ってきたわよ」
「肉と一緒に来た!」
しかも、見るからに高級そうな肉だった。
母親は大喜びだった。
「まあ、立派なお肉!」
「みんなで食べましょう」
主人公は思わず聞いた。
「あなたも食べるの?」
お姉さんは当然のように答えた。
「もちろん」
「とうとう家にまで来るようになった!」
しかも、両親とはずいぶん仲がよさそうだ。
主人公は頭を抱えた。
そのまま、お姉さんも食卓に参加することになった。
やがて、すき焼きが始まる。
肉を鍋に入れた瞬間、甘辛い香りが部屋いっぱいに広がった。
「おいしい!」
主人公が肉を頬張っていると、父親がお姉さんに話しかけた。
「いつも私たち夫婦へのご指導、ありがとうございます」
「いえいえ」
「おかげで最近、夫婦仲もずいぶん良くなりまして」
母親もうなずく。
「本当に。夫婦でコミュニケーションを取る時間も増えました」
父親が笑った。
「この前教えてもらった夫婦円満のコミュニケーション方法なんて、母さん、すごく喜んでたよな」
「ちょっと、お父さん」
母親が照れたように父親の肩を軽く叩く。
お姉さんは満足そうにうなずいた。
「また今度、続きをご指導いたしますわ」
主人公は箸を止めた。
「正月まで仕事する気なの?」
「大切なお仕事ですから」
「休んで!」
すると、お姉さんが父親と母親の近くへ顔を寄せた。
三人でひそひそと話し始める。
主人公は嫌な予感しかしなかった。
「……何話してるの?」
三人が同時に主人公を見る。
「なに、その連携」
父親がにっこり笑った。
「今日は家にいるんだから、このあとお姉さんの授業を受けなさい」
主人公の箸が止まった。
「え?」
母親もうなずく。
「せっかく来てくださったんだから」
「大晦日だよ!?」
「今日も特別授業ね」
「正月休みは!?」
「授業が終わってから」
「逃げたい!」
主人公は玄関を見る。
しかし、ここは自宅。
自分の部屋に逃げたところで、居場所は完全に知られている。
父親が鍋から肉を取りながら言った。
「諦めろ」
母親も笑顔で続ける。
「食べ終わったら、お兄ちゃんの部屋で授業ね」
お姉さんもにこやかに手を振った。
「今年最後の授業、頑張りましょう」
主人公は天井を見上げた。
「なんで大晦日の最後まで、この人に授業されるの……!」
その叫び声をよそに――。
鍋の中では、すき焼きの肉だけが平和そうに煮えていた。




