103話 家族で温泉旅行(1)
家族で温泉旅行に行くことになった。
目的地は、車で四時間ほど離れた山あいにある観光都市だった。
そこは昔の建物や町並みを再現した場所で、その一角に有名な温泉地があるらしい。
道中の道路はどこもきれいに整備されていた。
特に高速道路は驚くほど走りやすく、路面もきれいだった。
しかも――料金は無料。
最初の世界では、高速道路を利用するたびに料金がかかっていたため、主人公には少し信じられなかった。
「これだけ走って無料なのか……」
主人公は窓の外を眺めながら、ふと不安になる。
「この国の財政、大丈夫なのか……?」
前世では考えられなかったことだけに、便利さより先に心配になってしまう。
そんなことを考えているうちに、車は目的地へと近づいていった。
山あいに造られた大きな観光都市。
そこには、まるで江戸時代の町を丸ごと現代へ移してきたような光景が広がっていた。
木造の旅籠。
茶屋。
商家。
芝居小屋。
道を歩く観光客の中には、着物姿の人も多い。
「おお……すげえ。本当に江戸時代みたいだ」
「団子食べたい!」
弟がさっそく茶屋を指さす。
「先に宿へ荷物を置いてからね」
母がそう言うと、父も笑った。
「今日は温泉もあるぞ」
「最高じゃん!」
久しぶりの家族旅行。
学校もない。
特別授業もない。
今日は一日、家族だけでのんびりできる。
――少なくとも、主人公はそう思っていた。
昼過ぎ。
宿へ荷物を置いたあと、家族で城下町を歩いていると、主人公の携帯端末が震えた。
ピコン♪
何気なく画面を見る。
【子ども家庭庁・担当者】
嫌な予感がした。
恐る恐るメッセージを開く。
『今日は夕方から特別授業ね。いつもの時間に来てください』
「…………」
主人公は無言で画面を閉じた。
「どうしたの?」
母が不思議そうに尋ねる。
「いや、なんでもない」
今日は家族旅行である。
しかも、自宅から車で四時間も離れた場所まで来ている。
当然、いつもの時間に担当者のところへ行けるはずがない。
本来なら、旅行へ行く前に担当者へ連絡しておくべきだった。
主人公も、それくらいは分かっていた。
だが――。
「たまには休みたい……」
その一心で、わざと旅行のことを知らせていなかったのである。
とはいえ、このまま夕方になって無断欠席するわけにもいかない。
主人公は渋々メッセージを送った。
『すみません。今、家族旅行中なので、今日は行けません』
送信。
「よし」
これで終わり。
旅行なんだから仕方ない。
担当者だって分かってくれるはずだ。
……のはずだった。
五秒後。
プルルルルルル!!
「早っ!!」
画面には担当者の名前が大きく表示されていた。
「……出たくない」
「出なさい」
父に即答された。
「はい……」
主人公は諦めて通話ボタンを押す。
「もしもし……」
『ちょっと!!』
「うわっ!」
いきなり大声が飛んできた。
思わず端末を耳から離す。
『家族旅行って何!? 私、何も聞いてないんだけど!』
「だって、家族旅行だし……」
『旅行に行くなら事前に連絡する! 前にも説明したでしょ!』
「でも、たまには休みたいし……」
『それとこれとは別です!』
「はい……」
完全に先生に叱られている生徒だった。
せっかくの旅行気分が、一瞬で吹き飛んでいく。
すると、担当者の声が少し落ち着いた。
『それで、今どこ?』
「え?」
『旅行先。どこにいるの?』
「江戸時代の町並みを再現した観光都市だけど……」
『名前は?』
「○○歴史観光都市」
電話の向こうから、端末を操作する音が聞こえてくる。
カタカタカタ……。
主人公は眉をひそめた。
「……何してるの?」
返事はない。
代わりに、次の質問が飛んできた。
『宿泊先は?』
「え?」
『今日泊まる宿。名前は?』
「なんで?」
『いいから教えて』
「○○温泉旅館だけど……」
再び端末を操作する音が聞こえてくる。
カタカタカタカタ……。
さっきより長い。
「…………」
主人公の嫌な予感が、どんどん強くなっていく。
そして数秒後。
『……あ、あと一件あるんだけどなぁ』
「何が!?」
主人公が思わず声を上げる。
だが担当者は、それ以上説明しなかった。
『じゃあね』
「ちょ、待っ――!」
プツッ。
通話終了。
主人公は、呆然と携帯端末を見つめた。
「…………」
隣を歩いていた弟が顔をのぞき込む。
「どうしたの?」
「嫌な予感しかしない」
「担当のお姉さん?」
母が尋ねる。
「うん」
「何て?」
父まで興味を示した。
「今いる場所と、泊まる宿の名前を聞かれた」
「……なんで?」
「俺が聞きたいよ!」
そして主人公は、担当者が最後に言った言葉を思い出した。
――『あと一件あるんだけどなぁ』
「……あと一件って何だよ」
主人公は城下町の美しい景色を眺めながら、深いため息をついた。
さっきまで最高だった家族旅行に、突然とんでもなく嫌な予感が漂い始めていた。




